第陸拾玖章 戦争を止めろ・一揆勢・前編

「莫迦な。そのような話など信じられる訳がないではないか。いくら聖女殿といえども我が愛する女性ひとを侮辱するというのであれば承知せぬぞ」


「気持ちは分かるが本当だぜ。繰り返しになるがローゼマリーの正体はグレゴール=ユルゲン=ヴァイアーシュトラス公爵その人だ」


 アンネリーゼは持てる情報収集能力を駆使して一揆勢の本拠地を突き止めると一人でローデリヒ皇子との面会を求めた。

 戦力の分散は危険であったが時間が限られている為に手分けをしての多面作戦を決行するしかなかったのである。

 ヴァレンティーヌは聖都軍を束ねる大将軍にカイゼントーヤ軍の牽制を依頼をしに向かった。

 如何に強大な水軍を持つカイゼントーヤ軍といえども精強な聖都軍を前にしては進軍を止めるしかないであろうし、個人でも世界最高峰の力を持つ大将軍が動けば停戦の言葉に耳を傾けるであろうという期待もあった。

 ベアトリクスはスエズンにてヴァイアーシュトラス公爵との交渉を行っている。

 流石に白旗を掲げている聖女の船に攻撃はしないだろうし、ベアトリクスの言葉を信じるなら秘策があるとの事で任せている。

 そしてアンネリーゼは一揆勢の本拠に乗り込んでローデリヒ皇子を説得する役目を請け負っていた。

 意外にも本拠は城下町にある貴族専用のサロンだったのだ。

 不逞貴族が郊外でこそこそ集まるよりは怪しまれるリスクは少ないだろう。

 まさに灯台下暗しである。

 乗り込んできたのが聖女であり聖都スチューデリアの暗黒街を支配する顔役とあっては門前払いにする事も出来ず、すぐに面会が叶う。

 早速、アンネリーゼはローゼマリーの正体を明かし、彼女の身はカイゼントーヤ王国ではなくスエズンにあると告げたが案の定こちらの話を信じようとはしない。

 ローデリヒ皇子がローゼマリーに惚れ込んでいる事もあるが、やはり吸精鬼サッキュバスの『魅了』によるものが大きいだろう。

 ましてや攫われた姫君を救いに行くのだという状況は皇子の精神を高揚させてしまっており冷静さを失わせていた。

 普通に考えればカイゼントーヤ王国にローゼマリーの身柄を攫うメリットなど皆無に等しく、むしろ隣接するスエズンの支配者、ヴァイアーシュトラス公爵と敵対する事になるデメリットの方が大きいはずなのである。

 そこを指摘してもローデリヒ皇子は止まらない。否、止まれずにいた。


「これがカイゼントーヤ王国から送られてきたのだ。将来は我が妻となり、更には我が子を腹に宿すローゼマリーをこのような目に遭わされて黙っていられようか? 否、断じて否である! 私は一刻も早くローゼマリーを救出しなければならぬのだ!」


 ローデリヒが紫の袱紗を差し出し広げると、そこには人の薬指・・があった。

 しかもたった今、切り落とされたばかりのような瑞々しさである。


「カイゼントーヤ国王の書簡もある。それによれば運河の支配権を全て寄越せとの事だ。運河の使用料、それだけでも莫大な財産を得る事ができるからな。その利益をカイゼントーヤだけで独占したいのだ。動機としては十分であろう」


「そんな、誰の指とも分からねェもので」


「私が見間違う筈がない! これはローゼマリーの指に他ならない。見よ! この白く美しい肌、繊細なラインを! 何より私が贈った指輪が嵌められているではないか」


 シンプルながら繊細なデザインのプラチナの指輪を見せる。

 怨敵の息子に体を許し、子供を身籠もるくらいだ。

 自分の指を切り落とすくらい平気でやるであろう。

 ローデリヒ皇子を操る為ならやりかねないヴァイアーシュトラス公爵の執念にアンネリーゼは何度目になるか数える気も失せた怖気に襲われる。


「ヴァイアーシュトラス公爵って野郎はマジで化け物だぜ」


「さあ、そろそろどいてくれ。ローゼマリーが私の助けを待っているのだ」


 アンネリーゼの肩を掴んで横によけようとするローデリヒの体が回転して床に叩きつけられる。


「な、何をするか、無礼者?!」


「このままアンタを行かせるワケにはいかねェのさ。ちょいと動けなくなって貰うぜ、皇子様?」


 肩を掴んだ腕を取って背負い投げにするや、縄で縛り上げてしまう。

 イルゼに示現流を伝授された強者つわものをも一瞬にして動きを封じてしまう恐るべき早業である。


「皇子!! 聖女様、何をなさいますか?!」


「ガタガタ騒ぐンじゃねェ!! 怪我はさせてねェよ」


 護衛の者達がローデリヒを救わんと動こうとするがアンネリーゼの眼光に射竦められて金縛りとなってしまう。


「う、動けぬ!」


「当たり前だ! 俺がこれまでに何百、何千の悪党を捕らえてきたと思っていやがる? ましてや、この縄は俺の髪に魔力を込めて編んだものだ。剣で斬れるものでもねェ。人々に他者の財を奪う誘惑と盗みの技術をもたらす魔王『盗賊王』さえも縛り上げた実績もあるンだぜ?」


 暫く藻掻いていたローデリヒ皇子であったが悪足掻きにすらならないと悟り、大人しくなった。

 だが気丈にアンネリーゼを睨みつけることだけはやめない。

 細面の貴公子然としているがアンネリーゼの眼力を撥ね除けている。

 線が細いように見えてなかなかどうして大した胆力の持ち主だと云えよう。

 しかも拘束して分かったが細身のようで服の下は鍛え込まれた肉体が隠されているのが分かる。

 流石はゲルダと互角以上の剣客イルゼが鍛え上げた精鋭だ。

 いや、だからこそ頑迷になっているのかも知れぬ。


「頼むから俺の言葉を聞いてくれ。ローゼマリーがカイゼントーヤ王国に取っ捕まってる事にされている目的はただ一つだ。皇子であるアンタを攻め込ませる事でカイゼントーヤ王国に聖都スチューデリアを攻撃させる口実を作る為なンだよ」


「そんな莫迦な。我ら貴族連盟・・・・に資金と武器を提供しているのは舅殿・・なのだぞ。しかもローゼマリーがカイゼントーヤ王の手に落ちたと報せてくれたのも舅殿なのだ。カイゼントーヤ王の手紙とローゼマリーの指を携えてな」


 アンネリーゼは唸らされる。将来舅となるヴァイアーシュトラス公爵が自ら凶報を届けた事も信じる根拠となっていたらしい。

 年若く、ローゼマリーの美貌と瑞々しい肉体の虜となっているローデリヒ皇子に公爵を疑うなど発想そのものが無かったに違いない。

 本人に悟られる事なく操り人形にしてしまう事など造作もなかっただろう。

 これは目的の為なら怨敵にすら体を開く事も厭わぬ公爵の執念の勝利である。


「それが罠だってンだよ。いいか? このままアンタが一揆勢を率いて進軍すればスエズンで殲滅の憂き目に遭う。そしてカイゼントーヤ軍にその勢いのまま聖都に攻め込ませるというのがヴァイアーシュトラス公爵の筋書きなンだよ」


「一揆ではない! 我ら貴族連盟は飢餓に喘ぐ民を救う為の組織だ! 蝗害から十年、何ら対策を講じなかった父上に聖帝の座から退いて頂き、私が新たな聖帝となって民を救済するのだ。それだけではない! この期に及んで弱き者から搾取する悪辣なる貴族を糺し排除する為の戦力でもある」


 救国・・という大義名分もローデリヒの判断力を削いでいたのか。

 聖都から心が離れていたのは民衆だけではなく、皇子も例外ではなかったのだ。

 しかも皇子は自分を中心に据えられた事で正義に酔ってしまっている。

 貴族の子女が皇子を盛り立てているのもあるだろう。

 貴族連盟という大仰な名前が謙虚だったローデリヒを尊大にしてしまったのだ。

 ヴァイアーシュトラス公爵は勿論、ローデリヒの感情がここまで暴走・・する事まで計算しているに違いない。

 貴族が搾取しているのも公爵の仕込みであるのだが、その仕組みを説明した所でローデリヒは激昂こそしても素直に止まる事は出来ないであろう。

 育ての親であるイルゼがこの場にいてくれたならまた違ったであろうが、今はゲルダと共に慈母豊穣会・教皇ミーケの手の内だ。

 イルゼが慈母豊穣会に捕らわれているのはイレギュラーであるはずだが、今回は公爵にとってプラスに働いてしまう形となった。


「こうなった仕方ねェ。悪いが二、三日、牢屋に入って頭を冷やして貰うぜ」


「それは些か遅かった・・・・・・ですね」


「あん?」


 見れば貴族の子息と思しき青年が気障に髪を髪上げていた。


「おお、マーチン! 来てくれたか!」


 聞き覚えのある名前である。

 確かローデリヒ皇子を唆して一揆勢に取り込んだ友人というのがマーチンであったとベアトリクスから耳にしていた。


「遅かったとはどういう意味だ?」


「我々は既にカイゼントーヤ王国へ宣戦布告をしているのですよ。これにより皇子が不在でもカイゼントーヤ攻撃の首謀者が彼である事実は覆りません」


「何だと?! そんなワケが…運河は公爵がカイゼントーヤ艦隊で封鎖しているンだぜ! どうやって運河を渡っ…そういう事か」


 マーチンはローデリヒ皇子を一揆に引き込んだ張本人だ。

 その上、貴族連盟とやらはヴァイアーシュトラス公爵から援助を受けていた。

 少し考えれば答えは簡単に出た。


「テメェも公爵の手下ってワケかい」


「ご理解頂けましたか」


 マーチンは慇懃に一礼するが口元は嫌らしい笑みを浮かべている。

 聖都スチューデリアとカイゼントーヤ王国との戦争を回避しようとしている聖女達であったが既に手遅れであると嗤っているのだ。


「マーチン? どういう事だ? 宣戦布告はするが私はまだ宣言の書簡を書いてはおらぬぞ?!」


 アンネリーゼに押さえ込まれながらもローデリヒ皇子が詰問をする。

 するとマーチンは高笑いを始めたではないか。


「鈍いですな、皇子。貴方がここいる事実さえあればもう全ては事足りると云っているのですよ」


「私がここにいるだけで?」


 なおも理解出来ていないローデリヒにアンネリーゼが答える。


アンタ・・・は一揆勢の根城にいた。そしアンタ名義の宣戦布告が出された。それでアンタは一揆の首謀者に祭り上げられたンだよ。つまりカイゼントーヤ王国に聖都スチューデリアを攻める口実は既に出来上がっていたのさ」


「私が戦争の切っ掛けに…マーチン、私を騙したのか?!」


「だから鈍いと云ったのですよ。しかもまだ私をマーチンと呼ぶ・・・・・・・とはね。アンタは本当に聖女イルゼと聖女ヴァレンティーヌに育てられたのか? 鈍いどころか、知能も低いのでは、と疑いたくななるぜ」


 ゲラゲラと嗤うマーチンにローデリヒは漸く疑念を覚えた。

 まるで貴族としての品位を感じないからだ。


「お、お前は誰なのだ? マーチンはそのような下卑た笑い方はしないはずだ」


「ククク…莫迦な皇子様だ。やっと気付いたか」


 マーチンの顔がまるで蝋細工のように溶けていくではないか。

 あまりの光景に絶句しているとマーチンと名乗る者の髪がそっくり床に落ちた。

 目も鼻も溶けて、残されたのは大きく裂けた口とそこから覗く鋸の様な歯だけだ。


「俺は生まれつき目も鼻も無いが肉質は粘土に似ている。好きなように顔を変える事が出来るのさ。さっきまではデスマスクに顔を押し付ける事でマーチンの顔を頂いていたというワケだ」


「デスマスク?! まさか貴様?!」


「アンタのお友達は今頃、深い深い海の底で魚のエサになってる事だろうよ」


「マーチン…我が友が…」


 自分が聖帝となった暁には共に聖都を立て直そうと誓い合った莫逆の友が既に殺されていると知りローデリヒは愕然とする。


「俺の名は白蔵主はくぞうす…『百化け』の白蔵主だ。此度の一揆のプロデュースを竹槍の御方おんかたに任されている」


「竹槍…聞いた事がある。カネ次第で様々な暗殺や工作を請け負う正体不明の隠密集団がいるってな。古くから歴史を裏で動かしてきたとも云われていて、これまで暗殺されてきた王侯貴族の殆どがそいつらの手にかかっているとの噂もある。そして名か、二つ名かは分からねェがその首領は竹槍と呼ばれているってな」


 闇社会に君臨しているアンネリーゼは竹槍と聞いてピンと来るものがあった。

 竹槍仙十率いる謎の隠密組織の噂は耳にしていた。


「流石は長年、聖都スチューデリアの闇を支配してきた黒駒のアンネリーゼよな。竹槍の御方の事まで承知とはな」


 顔を持たない隠密が不気味な含み笑いを漏らす。


「だが、少々迂闊だったな」


「あん? どういう意味だ?」


「ぐぎゃ?!」


 突如、護衛達の喉が斬り裂かれて血が噴き出した。

 彼らは為す術も無く腰砕けに倒れていく。


「みんな?! 貴様、何をした?!」


「ケケケ、忍法『かまいたち』…竹槍の御方の名を聞いたのがこやつらの不運よ。そして、その名を知っている黒駒のアンネリーゼ、皇子諸共ここで死んで貰うぞ」


「テメェでバラしておいて理不尽な野郎だな、おい!」


 アンネリーゼは護衛を殺した謎の術から守る為にローデリヒ皇子を机の陰に隠して十手を構えた。


「白蔵主だったか? 一揆画策の真の首謀者として、マーチン殺し、そして今の人殺しの下手人として詮議をする! 神妙に御縄を頂戴しやがれ!」


「ケケケ、舐めるなよ? 竹槍の御方からここを任されているという事は聖女全員を向こうに回しても対処が可能であると見込まれての事だというのが分からないか? 『龍』の聖女アンネリーゼのその首を竹槍の御方に捧げてくれるわ!」


 一睨みで護衛の動きを封じたアンネリーゼの眼光をものともせずに大きな口が耳元まで裂けて笑みを形作る。

 そして無造作に右腕を突き出した。

 途端にアンネリーゼの背筋に悪寒が走って身をよじる。

 その直後、首の真横を何かが通り過ぎる気配を感じた。


「バカめ! 勘は良いようだが、それだけで忍法『かまいたち』は躱せぬ!」


「ぐはっ?!」


 アンネリーゼの首筋に赤い線が走り、一瞬の間の後に鮮血が噴き出した。


「聖女殿?!」


 熱い血を浴びたローデリヒの声が虚しく響いた。

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