第肆拾㯃章 聖女の生家探訪

「河と申しても大陸を掘削して海と海を繋いでいるのだから海水であると思っておったが淡水なのだな」


「流石は『亀』の聖女で御座ンす。見ただけで分かりやすか」


「運河周辺の田畑に塩害を受けている様子がないからな」


 運河の水が淡水であると見抜いたゲルダをアンネリーゼが褒めそやす。

 ゲルダは運河近辺の農作物に塩害の被害が無いから気付いたと返した。


「運河の途中に山があるのよ。流石に山を海抜以下まで掘るのは不可能でしょう? だから海に注がれる複数の川の流れを変え、堰き止めて巨大なダム湖を作ったの。そして両端の海からダム湖に向けて掘り進めるように工事の方針を変えたのよ」


「それが運河の水が淡水である理由か」


 運河の建造時の話にゲルダは人の知恵と努力に感心する。


「工事にはスチューデリアの魔法遣いも動員されたわ。土属性の魔法で一気に掘り進めたのね。結果、大陸を横断する超巨大運河は僅か十年で完成したわ」


 その上、工事には魔女も徴集され只働き同然で使い潰されてしまい、多くの魔女が犠牲となったという。

 これもまた魔女がスチューデリアを憎む原因であり、運河は魔女達にとっては屈辱と苦痛の象徴であるそうな。


「魔女からすれば運河を破壊してやりたいところなんだけど犠牲となった魔女達の功績も潰す事にもなるからジレンマとなっているようね」


「一度、星神教とスチューデリアにはキツイ灸を据えてやらねばなるまいな。勿論、民には迷惑がかからぬ方法でよ」


「そのような方法があるんで?」


「笑えるものからワシの人格が疑われるようなものまで何でも御座れよ。いずれにせよイルゼを捨てた皇子と寝取った公爵令嬢は社会的に死んで貰う事になるがな」


 ゲルダにかかれば王侯貴族を失脚させる事など造作も無い事らしい。

 吉宗と尾張の継友・宗春兄弟の暗闘を影で制してきた仕明しあけ吾郎次郎ごろうじろうは刺客のみならず思いもよらぬ謀略にも晒されてきたものだ。

 裏を返せば尾張の策略は吾郎次郎の知略を磨く事となったのである。

 晩年には敵の策を逆に利用にして罠にかける戦術家としても活躍していたという。


「社会的にで御座ンすか」


「あのような者共など斬る値打ちも無いわえ。むしろ廃嫡され聖女の称号を剥奪された方が良い薬となろうさ。後は捨て扶持で辺境に押し込まれて御仕舞いじゃよ。復讐しようにも金も無ければ人もいない。そんな末路が相応しいわ」


 エヴァはゲルダの目を見て、これは“提案”ではなく“実行”する気だと悟った。

 聖女の宿命に翻弄されずに聖女の力を顎で遣うようなゲルダの事だ。

 皇子と公爵令嬢の未来に待ち受けるのは生き地獄であるのは確実であろう。


「エラいのを敵に回しちゃったわね。いえ、ゲルダは敵とも思ってすらいないわ。精々未来の聖帝と聖后を夢見ながら地獄の到来を待ってなさいな」


 母である魔女ペルレの方針で苦労の多い魔女ではなく魔法遣いとなったエヴァであるが、それでも聖都スチューデリアと星神教が魔女達に行ってきた仕打ちは許し難いものであった為に不誠実な皇子と公爵令嬢の未来を思って薄く嗤った。


「さ、ここがイルゼどんの生家で御座ンす」


 話をしている内に一行は『虎』の聖女・イルゼが生まれ育った家に辿り着いた。


「まるで廃墟じゃな」


 ゲルダの感想通りイルゼの家は何十年も人が住んでいないようで朽ち果ててしまっており、元は畑であったであろう柵に囲われた周囲の土地は荒れ放題となっていた。


「基本的に聖女に認定されると里心が芽生えぬように実家は潰され、家族は城下町に移されやすからね。例外は無宿のあっしや『水の都』に住んでいらっさる先生、後は船上で生活しているベアトリクスどんくらいでやす」


 ベアトリクスとは“火”と“生命”を司る『不死鳥』と認定されている聖女である。

 元は海賊の娘であったがカイゼントーヤの海賊殲滅作戦により親と仲間を殺されていく中、星神教の僧侶の助命嘆願により命だけは救われ、更生目的に修道院に入れられたという凄まじい過去があった。

 修道院に入ったばかりのころは無筆同然であったが元々素質があったのか木の根が水を吸い上げるが如く知識を吸収して二年もする頃には首席を張っていた。

 また船で世界中を回っていた為か、文字は知らなくとも語学は堪能であり、入った当時で二十ヶ国語を操っていたという。言語学者でも十ヶ国語を操るのは稀とされているので驚異的であると云ってもよい。

 しかしベアトリクスにはまだ秘密があったのである。

 彼女は一見すると女性であるが、実は男性器も持ち合わせた所謂いわゆる両性具有と呼ばれる存在であった。

 ベアトリクスは修道院の指導に従順であるように見せ掛けて男性器を武器に修道女や見習いの少女達を陥落し秘やかに勢力を築き上げていたのである。厳しい戒律に縛られていた彼女達はベアトリクスの奔放な性の虜となってしまったのだ。

 修道院の中で味方を増やし力をつけてきたベアトリクスは側近を連れて脱走し、海賊時代に懇意にしていた娼館に匿って貰うとそこでも勢力を増していく。

 彼女に抱かれる或いは抱いた者はこれまで感じた事のない力を得る事があった。

 闘技場で負け越していた闘士がベアトリクスを抱いた翌日からは連戦連勝するようになり、気が付けば闘技場のチャンピオンとなっていたという。

 彼が云うにはベアトリクスと一夜を過ごした次の日には愛用の剣を小枝のように振れるようになった上に疲れ知らずの体力まで得ていたそうだ。

 後に他者の生命力を増大させる加護を与える『不死鳥』の聖女であると判明するのであるが、その方法は何も房事が必要という訳ではなく、ベアトリクスが悦楽の中で無意識の内に加護を与えていただけの話である。

 その後、ベアトリクスは噂を聞きつけた者達をパトロンに得て退役間近の軍艦を購入すると船上娼館として改装して独立し、今日に至るという訳だ。

 そればかりか、海に出て海賊に襲われたことが切っ掛けで海賊行為の残虐性や己の罪を認識させられ漸く彼女は改心したという。

 以来、ベアトリクスは海賊により家族を失った者を保護し生活を支え、海賊を討つようになり、星神教の聖女認定にも素直に応じたそうである。

 だが身寄りの無い女達が生活費を得る為にと船上娼館は続けており、必要悪としてカイゼントーヤ王国も星神教も黙認せざるを得なかったという。

 こうして「飲む」「打つ」「買う」の不良聖女が勢揃いした事になる。


「まったく故郷までも奪うのなら最後までイルゼの面倒を見るべきであろう。ほんにろくでもないヤツらじゃ」


 勝手な帝室と星神教にゲルダは憤りを隠そうともしていない。


「そういえばイルゼってどんななの?」


「どんなと申してもなぁ…至って普通の娘であるぞ。常に“うふふ”と微笑んでおってな。赤みを帯びた金髪を三つ編みにしてまさに田舎娘そのままだな」


「腕っ節は強かったでやすよ。聖女になる前は近所で喧嘩が起こると首根っ子を掴んでやめさせて双方の意見を聞いて解決に導くおきゃん・・・・な優しさの持ち主でした。しかも街で弱い者が無頼に絡まれているのを見るや無頼共を川に投げ込んでやっつけちまうってンでやすから驚きだ。弱きを助け、強きを挫くって典型でさ。小麦が詰まった袋をひょいひょいと持ち上げる力持ちでもありやしたね」


「ほう、それは知らなんだな」


「聖女なんて真っ平御免と聖女の集会を悉く断っていたからでやすよ」


「口を開けば“聖女として世の為に尽くせ”と云われ続けりゃ誰だって逃げるわえ。特に手当てが出るでも無いしな。むしろ親分の付き合いの良さに感心したものよ」


「持ちつ持たれつってヤツですよ。顔を出したり、他の聖女が困っているのを助けておくと後々自分に何かあった時に助けて貰えるってもんでさ」


「ははん、“情けは人の為ならず”か。ワシでいうガイラント帝国やバオム王国のようなものかえ」


 ゲルダはアンネリーゼの心意気に感心して顎を撫でた。

 人脈という意味ではゲルダもまた負けてはいない。


「ま、なんだかんだ云って先生もイルゼどんの為に動いてくれてるンでやすからね。あっしはそれだけでも嬉しゅう御座ンすよ」


「あ? ああ、まあな」


 ゲルダは曖昧に答えたものだ。

 ゲルダがイルゼを追っているのは彼女への疑念が晴れていないからである。

 人は変わる。慈悲の人、生き仏と崇められていた町医者・風見六右衛門ですら剣客としての宿業に抗えず天魔衆に唆されるままに転生武芸者となった事実もあった。

 転生した六右衛門は青龍と名を変えると有ろう事か若い娘を拐かしては腹を裂いて生き肝を喰らう怪物へと成り果ててしまっていたのだ。

 友を斬るのは生涯一度きりで沢山だ。イルゼとは親しくはしていなかったが、それでも面識はあったし、素朴で垢抜けてはいなかったものの、逆に云えば聖都の生活の中で染まることなく誰隔てなく優しく出来る彼女を好ましく思っていた。

 理不尽な仕打ちに打ち拉がれていれば手を差し延べてやりたいし、復讐心に呑まれていたならば救い出してやりたいとも思っている。


「さて手掛かりになる物があれば良いがな。住めないまでも生家に立ち寄った可能性は高い。痕跡の一つでも見つけたいものよ」


「そうでやすね…って、先生っ!」


「うむ、血の臭いじゃな」


 イルゼの家に入った瞬間、噎せ返るほどの血の臭いが三人を襲った。


「こっちね」


 エヴァが臭いの元を辿っていくのをゲルダとアンネリーゼも続く。


「こいつは…誰だ?」


「尾張柳生でも僧兵でもない。況してや半グレやエルフにも非ず」


「死んで間も無いわね。血だって乾いてない」


 台所と思しき場所で死体を発見するも素性は知れない。

 頭が瓜のように左右に割られて血に塗れており、飛び出した眼球が白い浮島のように映えていた。

 恐怖に歪んだ顔は今にも断末魔の叫びをあげそうだ。

 ゲルダは死体を検める。


兜梵ときん、結袈裟、法螺貝、一本歯の下駄、錫杖、羽団扇…それでいて長い鷲鼻か。山伏というよりまるで天狗じゃな」


「天魔宗で御座ンすか?」


「はて…仮に天魔宗だとして…それをたやすく斬り殺せる者がいるのは確かだ」


 ゲルダが男の背からおいと呼ばれる箱を外して中を見る。


「おいおい、何だこれは…」


「えっ? どういう事?」


 笈の中には桐箱があり、頭蓋骨が二つ入っていた。

 所々肉片が着いているが腐ってはいない。

 少しずつ頭蓋骨から肉を削いでいたのだと分かる。


「これはどういう意味で御座ンすかね」


 桐箱には片仮名でローデリヒにローゼマリーという二人の名が書かれていた。


「親分、目明かしの勘で良い。偶然・・と思うか?」


「偶然にしては出来すぎで御座ンすよ」


「気味が悪いわね。何で桐箱に皇子と公爵令嬢の名前・・・・・・・・・・が…」


 三人は再び男の死体を見る。

 イルゼに無体な事をした二人の名が書かれた桐箱に納められた二つの頭蓋骨。

 それを何故異世界にそぐわない山伏が所持していたのか。

 そして、その山伏が何故イルゼの生家で殺されたのか。

 イルゼの生家に来れば何かしらの手掛かりを得られるのではと藁にも縋る思いでやって来たが、よもや更なる謎が待ち受けているとは想像すらしていなかった事だ。

 確かなのは今までに無い悪意に捕らわれてしまったという一点のみである。

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