第弍拾陸章 皇帝の恋愛指南

「行ったようですな。ざっと見ただけで手練れと分かる者達ばかり。まさに精鋭といったところです」


 自分の別荘から黒装束の一団が出て行くのを見届けたブリッツがゼルドナルに話しかける。彼らの身はなんと別荘の中にあった。

 腹に一物を抱えていそうな者がガイラント帝国に訪れた際、ブリッツは別荘の中のとあるゲストルームに案内する事がある。その部屋は隠し部屋が隣接しており、そこから中を見張る事が可能で、その上、地下から敷地の外への脱出する事も出来た。

 今回は逆に脱出口から侵入し、隠し部屋に身を潜めていたのである。

 日中より別荘内が騒がしくなり、夜になって警備が手薄になった事でブリッツが斥候に出たところ、天狐てんこが手勢を引き連れて霊薬奪還に出撃するのが見えた。


「なぁに、アントン君達、宰相直轄部隊もまた君とカンツが鍛え上げた精鋭だ。カンツならきっと上手くやるさ」


「ええ、殿なら不覚を取る事はないでしょう。ただ出て行った者達の中に九尾つづらおがいなかったのが気に掛かります。いつぞやのように捜している様子は見られませんでしたので、別荘内にはいるようですな」


 こうして別荘を見張っているのなら天狐出撃を念話でカンツラーに知らせれば良かったのでは、と思われる向きもあるだろう。しかし念話は魔力を使用する為に感知されやすいというリスクもあった。

 しかもガイラント帝国は念話の傍受・・・・・という畏るべき技術を魔女と共同開発していた為に慎重を期していたのである。


「それにしても流石はゲルさんの勘働きだ。今夜は分厚い雲が出る上に風が強いから良からぬ事を仕出かす輩が出てくるやも知れぬ、と云っていたからね」


「そ、それで私は何故ここに連れて来られたのでしょうか?」


 この場にいたのはゼルドナルとブリッツだけではなかった。

 なんと、バオム王国第一王子・カイムの姿もあるではないか。


「何、聞けば直心影流じきしんかげりゅうの修行も中伝に入ったそうじゃないか。そろそろ実戦というものを教えてやろう、というゲルさんからの計らいだよ。勿論、ヴルツェル王には話を通してある。命だけは守るからしっかりと見学するように。そして将来、騎士となり王となった時にこの経験が役に立つ事を祈っているよ」


「貴方は一体何者なのですか? 宰相補佐官であるブリッツ殿と行動を共にし、ゲルダ先生の事をゲルさん・・・・などと……」


 『水の都』での教訓が生きたのか、カイム王子は目の前の若い男に対しても慇懃な態度を崩さずに接している。

 それに感心したのかゼルドナルは微笑んでカイム王子の頭を撫でた。

 ゼルドナルが口に人差し指を当ててウインクをすると彼の体が光り輝き、姿が見えなくなる。その光はすぐに収まりカイゼル髭を生やした初老の偉丈夫が現れた。


「あ、貴方様は?!」


 思わず叫びそうになるカイム王子の口をガイラント皇帝の手が塞いだ。

 若い男がいきなり皇帝に変身すれば驚くのは当たり前だろうと言葉にはしていないが、ブリッツの表情がその呆れを如実に表していた。


「シーッ、驚かせてしまったのは悪かったが、ここは敵の拠点だ。大声を出すのは勘弁して欲しいかな」


「陛下、上背こそありますがゲルダ様のお話ではカイム殿下はまだ十二歳の子供だそうですぞ。衝撃的な事実を見せられて声を出すなという方が酷でありましょう」


「ははは、気を付けるよ」


 ゼルドナルがカイム王子の目を見ると頷いたので手を離す。


「久しいな、カイム王子。最後に会ったのは皇后にょうぼう殿の葬儀だったかな? 改めてゼルドナルだ」


 擬態を解いた爽やかな青年がにこりと笑ってカイム王子の手を取る。

 カイム王子も驚きはしたが、ゲルダがよく吾郎次郎ごろうじろうの姿となる事もあってか、すぐに落ち着いた様子だ。


「陛下も転生者であらせられたのですか?」


「いや、俺に前世の記憶は無い。少し特殊な事情があってね。老いが遠くなったせいで年齢に合わせた擬態が必要になってしまったのさ」


「よもや皇帝陛下の真のお姿がこのように若々しく美しいとは思いもしませんでした」


「ははは、ありがとう。それとゼルさんと俺の関係だったね」


「は、はい」


 カイム王子は緊張する。

 ゼルドナルは肩ほどまである黒髪を首の後ろに結わいた美丈夫だ。

 体は引き締まり鍛え込まれているが、ボディービルダーのような鑑賞用の無駄な筋肉が一切無い極めて戦闘に適した肉体である。

 それでいて顔立ちは清涼感のある笑みを浮かべた好漢然としており、所作も洗練され、長身ではあるものの相手に威圧感を与えぬ涼やかな男であった。

 カイム王子はゼルドナルと並ぶゲルダを夢想する。

 どちらも見た目は若いが人生の蜜度は濃く、想像上の彼らはとても似合っていた。


「はっきり云おう。俺とゲルダは籍こそ入れていないが夫婦同然の関係だ。所謂いわゆる内縁というものだね。君の恋敵といったところか」


「内縁……はは、道理で私に靡いてくれない訳だ……」


 ならば云ってくれれば良いのに、とは思わない。

 云ったとしても“籍を入れてはいないのですよね”と縋る自分を想像できたからだ。

 しかも、あの・・宰相カンツラーが二人の子と云うではないか。

 ヘルディン=ナル=ビオグラフィーとの婚約が成立した日、魔王を想起する程の形相で凄まれたが、あの時は無礼と思う前に“何故、こんなにも必死なのだろう?”と不思議だったものだ。しかし事情が分かれば理解出来る。

 そりゃ子供からすれば父を差し置いて母親に求愛する餓鬼など不快以外の何者でもないだろう。況してや両親が想い合っているのなら尚更だ。

 ならばゼルドナル陛下は自分に対して何故微笑む事が出来るのだろう?

 実質的に夫婦である余裕か? 違うだろう。彼の微笑みには一切の悪意を見出すことは出来ない。むしろカイム王子への慈しみすら感じる程だ。

 これはゼルドナルの器が大きいのだ。対してカイム王子は衝撃的な事実に次々と襲われた結果、最早嫉妬する事すら忘れている始末である。

 私では勝ち目どころか勝負にならないであろうと暗澹たる気持ちとなった。


 だが――ゼルドナルはカイム王子の瞳を真っ直ぐに見据えて云う。


「ゲルダは君と結婚をしても良いと云っている」


「結婚…本当ですか?」


「本当だとも。ただし…」


 ああ、やはり但し付き・・・・か。


「そのような顔をしないでくれ。策前提だが正式に婚礼までするのだからね」


「策…転生武芸者を抱える寺院とやらに対するものですね?」


「話が早い。噂に違わぬ頭脳のようだね」


「寺院の暗躍は我がバオム王国も他人事ではありませんので」


 近頃では何者かの手引きによりバオム王国の中にも怪しげな僧侶が増えてきていたところである。

 しかもバオム国王の正室にしてクノスベ王子の母であるシュランゲも秘やかに新興宗教の者達を召し抱えている様子だ。加えてカイム王子を排除してクノスベ王子を次期国王に据えようとしているという噂もあって何かときな臭くなっている。


「寺院の教えがどういったものかは分からないが、少女を犠牲にして転生武芸者なる存在を生み出し使役しているのは疑いようもない事実だ。前世の晴らせぬ無念を晴らしたい気持ちは理解するけど決して許してはならない事だ」


「はい、現にゲルダ先生が斃した青龍は若い女性を攫っては生き肝を喰らっていたそうです。しかも青龍の前世は、吾郎次郎様の莫逆の友にして多くの人を救ってきた御医師であったとか。貧しき者から金を取らぬ慈悲の人すらおぞましい怪物に変えてしまう寺院を許す訳にはいきません」


「良く云った。だが安心して良いぞ。策とは云え夫婦生活を送る分には何も制限するつもりは無い。師弟の関係を続けるのも子を作る事も思いのままだ」


「子…子を?!」


 王族として幼い頃より房事の指導もされていたカイム王子は子作りの意味を知っており、あっけらかんとゲルダとの子作りを許すゼルドナルに呆気に取られた。

 王家や貴族が側室を持つというのに聖女が複数の男と関係を持つ事を否定する道理は無いのも分からぬではないが、彼は平気なのであろうか。


「皇帝と未来の王を夫に持つ聖女というのも面白いじゃないか。まあ、そもそもにしてゲルさん自身は聖女と名乗るつもりは無いしね」


「しかし巷間にはゲルダ先生をふしだら・・・・と嘲る者も出てくるのでは?」


「ならば、ほとぼりが冷めるまで『水の都』で暮らすまでだよ」


 暗に巷間の噂からゲルダを守れない程度の男なら結婚する資格無しと云われてカイム王子は自分の失言を悟った。

 しかもゼルドナルばかりかブリッツにまで冷やかな目で見られているようで居心地の悪い思いにさせられたものだ。

 十二歳の子供に酷な事を、と思われる向きもあるであろうが、二人からすれば、王族でありながらその程度の事から女一人も守れない男にそもそも結婚生活など出来る訳が無いとすら思っている。

 ただ好きだから一緒にいられる程に安い女ではないのだ。

 現にゼルドナルは勇者の力も高貴なる血筋も持ち合わせていないが、ゲルダに置いていかれないよう必死に修行を重ね、知恵を蓄え、その上で仲間を大切にしてきた結果、気が付けば彼女の横にいたという経緯があった。

 だからこそ王家の出であり、勇者と木の精霊の力をその身に宿しているにも拘わらず、自分の力で、しかも進んでゲルダを守ろうとしないカイム王子に厳しくなるのも当然の事であろう。

 勇者でありながらも与えられた権威に酔い、傍若無人の振る舞いをするばかりで何の役にも立たなかった男を知っているからこそというのもあるやも知れぬ。


「ゲルさんと一緒にいたいというのなら先生・・と呼んでいてはダメだ。彼女の横にいたいのであれば、対等でなければいけない。先程は気骨のある若者・・だと思ったが、彼女を守れるようにならなければ結婚どころか、そばにいる資格すら無いぞ、坊や・・


 同じ女性を愛する者同士としてゼルドナルの言葉は重かった。

 只でさえ寺院や雷神・・といった敵が多いのに未だ守られている自分ではゲルダにとって重荷にしかならないという事実が自覚と共に肩に伸し掛かってくる。

 明らかに意思消沈しているカイム王子にブリッツが声をかけた。


「カイム殿下、私からも一つ生意気・・・を云わせて頂けますかな?」


「何なりと」


「これだけ云われて下を向いてしまわれるようでは殿も怒りを通り越して呆れられる事でしょうな。陛下も今でこそ皇帝の地位におわしますが、元は傭兵に近い冒険者であり、生まれもスラム街だったと聞いています。それでもゲルダ様のおそばにいる為に弛まぬ努力を重ねた結果、今の陛下があるのです。まだ未熟だった頃の陛下は何度打ちのめされようとそれでも常に前だけを見ていたそうですぞ」


「前だけを…」


「そしてゲルダ様から『斬鉄』の極意を盗み、ついにドラゴンの王を斃したのです。分かりますかな? 生まれも才も恵まれておらず、聖剣のような強力な武器すら持ち得なかった男の望みはただ一つ。ゲルダ様の御身をお守りする事、その一点のみだったのです。その一念が巨大かつ強大なドラゴンの王の首を刎ね飛ばし、皇帝の地位を手に入れ、そしてゲルダ様の御心をも射止めたので御座います」


 ゼルドナルの武勇を聞いてカイムの顔が徐々に持ち上がってくる。

 その瞳にあるのは嫉妬ではなく、同じ男としての憧憬であった。


「畏れながら拙者からカイム殿下にご助言差し上げるとするならば、まずは前を向いて進まれては如何か。何も陛下と同じ様なハングリー精神を求めている訳ではありませぬ。ゲルダ様から正統の剣を学ばれている今、方々に手を出すのは却って成長の妨げになりましょう。前をしっかりと見据えて善き師匠の元で邁進する事が肝要と存じます。結果は後からついてきますゆえ、焦らず毎日の鍛錬を積み重ねる事です」


「ご助言、感謝致します。ゲルダ先生と共に歩まれている男性の出現と策を絡めたとはいえ結婚できると聞いて舞い上がっていたようです。勝手に舞い上がっては勝手に落ち込み、なんともお恥ずかしい限りです」


「前を向けば視野も広がります。下を見てこそ見えるものもあるでしょうが視野は狭まります。それでは却って足元にある石を見つけられずに蹴躓く事となりましょう。私の申す“前を向く”とはそういう意味なのです。陛下とて何も今の殿下にゲルダ様をお守りするようにと仰せになられたのではありません。ゲルダ様と添い遂げたくばそれだけの気概を見せよと仰せなのです。この気概が意外と効果的でしてね。ただ漠然と修行するより、惚れた人を護りたいと念じて修行した方がより強くなれるものなのです」


「ほ、惚れた女性ひと…」


「貴方様はバオム王国と民を守りたいが為に修行をされているからか、ゲルダ様もその成長に驚かれてました。これからはゲルダ様への想いも込めてみては如何でしょう。きっと更なる飛躍に繋がるとこのブリッツめが請け負いますぞ」


 すると溜め息が聞こえてきた。ゼルドナルのものだ。


「云いたい事を全部ブリッツ君に云われてしまったよ。ならば俺からも一つだけアドバイスだ。さっきはああ・・云ったけど気負い過ぎてはいけない。前を向き過ぎても視野を狭める事もある。広く見るんだ。視野ついでにゲルさんと善く話し合う事だ。君の告白は一方的過ぎる。豪華なディナーに高価な贈り物だけでは女性は靡かないと知る事だ。心を通わせるんだ。愛を囁くにも遣り方をよくよく考えなければならない。相手が受け入れられなければ、いたずらに煩わしい思いをさせているだけだ」


 カイム王子は過去の告白を思い出す。

 確かにあの一方的な告白では靡かないのも当然だ。

 自分がゲルダ先生なら鬱陶しく思うだろう。


「岡目八目という言葉がある。当事者より第三者の方が正しい判断が出来るという意味だが、由来は人の碁を脇から見ている分には八目も先を読めるという事だ。恋も同じだよ。君はゲルさんの気持ちを分かっていない。考えていないとも云える」


「うう……」


「もし君がゲルさんの心を掴みたいのなら自分だけの愛を押し通そうとせずに話し合う事だ。それに先人の知恵を借りるのも手だね。君のお父上とお母上はそれこそ大恋愛の末に一緒になったのだから参考になるはずだ。人の話を聞くという事は人の教えにつくという事だからね。つまり第三者の目が手に入るという事だ。これぞ岡目八目の極意。これは恋に限らず人と解り合う為の役に立つ極意と心得なさい」


「ははぁ! 有り難き教えに御座います!」


 カイム王子はゼルドナルの教えに平伏するのだった。


「頭を上げなさい。俺としてもゲルさんが君と偽装の結婚をするよりちゃんと愛し合って欲しいからね。策の為だけの結婚なんて哀しいじゃないか」


「陛下…」


 ゼルドナルが皇家に婿に入って皇帝となっている事から、ゲルダと結婚出来なかった理由を察し、彼の分まで彼女を幸せにするのだと心の中で誓う。


「ああ、その前に俺は近々皇帝を隠居するつもりでね。その後は『水の都』でゲルダと結婚するんだ。結婚式には呼ぶから参加してくれ」


「あ、さ、左様ですか…承知しました」


「『水の都』の出来事は世間には知られる事は無いから、ゲルさんがふしだら呼ばわりされる事はないだろうから安心してくれ」


「そ、そうですか」


 肩を落とすカイム王子にブリッツが申し訳なさそうに云う。


「男性に当て嵌まるか分かりませんが陛下がゲルダ様の正室となり殿下が側室ということになるでしょうな。ゲルダ様が『水の都』の支配者と考えればそう不自然な考えではありますまい。それに」


「そんな無茶な…いや、“それに”? まだ何か?」


「仮にゲルダ様が殿下に心を許したとしても、もっと怖い『塵塚』のセイラ様と更に怖い殿、ガイラント帝国宰相にしてゲルダ様のご愛息カンツラー様のお許しを得るというミッションが御座いますればお覚悟を」


「う…全力を尽くします…」


 『水の都』に君臨するセイラとは信頼関係が結ばれつつあるが結婚の許しとなればまた話は別であろうし、バオム国王のいる前で王子を恫喝するカンツラーを思えば前途は多難であった。


「拙者から口添えはしますし、場を設けさせて頂きますが、ご挨拶はご自分でなされますよう願います……命だけはご容赦賜ると存じますので頑張って下され」


「ちなみに俺はセイラ様と三日三晩戦った末に生き存えた事で許された。俺に出来たのだから勇者と精霊の力を持つ君なら出来ると信じているよ」


「きょ、恐縮です」


 頬を引き攣らせるカイム王子にブリッツから苦言が飛ぶ。


「今からそのような様を見せていてはそれこそゲルダ様に見限られましょう。何は無くともゲルダ様の御心を掴む事が肝要。今はしっかりと精進する事ですな。直心影流じきしんかげりゅうの免許皆伝を許されなければ話は始まりますまい」


「免許皆伝が大前提ですか」


「当然で御座います。勿論、それで終わりではありませぬ。修行は生涯続くものと心得、自分を高める為に更なる修行へと邁進するのみでござる。そこで初めてゲルダ様は貴方様を一剣士をして見て下さるでしょう。そこから“男”となれるかどうかは殿下の心持ち一つと存じまする」


 なるほど、とカイム王子は漸く得心した。

 自分はまだまだ色恋にうつつを抜かす資格など無いのだと。

 ゲルダ先生から相手にされない訳だ。

 いつぞや靡かぬ理由の数々を聞かされたが、あれすら軽いジャブに過ぎなかった。

 彼女にとって未だ私はちょっと困った弟子でしかないのだろう。


「明日から早速、修行の練り直しを致します」


「そうなさいませ。不肖ブリッツ、殿下の再修行の御手伝いを致しましょう」


「俺も流派こそ違うが剣を遣う。時間を作って指南しよう。未来の恋敵を鍛えるというのも面白いだろうさ」


 これはカイム王子を侮っているのではない。

 純粋に未来へ突き進む若者への投資の一環である。

 それにゲルダ同様、我が流派を未来に遺したいという一念もあった。

 余談となるがゼルドナルの流派はタイ捨流しゃりゅうという。

 スラム時代、マルメなる老人から教わった剣術に蹴りや関節技、果ては目潰しといった体術を取り入れた実践剣法であるそうな。


「頼も~~~~~~~う!! お出会い下され!!」


 不意に外から善く通る胴間声が聞こえてきた。


「この声は吾郎次郎様となったゲルダ先生?」


「お、ゲルさん、始めたな」


 ゼルドナルが壁に耳を当てて外の様子を伺っている。

 これも何かの策であろうか。


「待ち伏せでござる! 補佐官の屋敷はガイラント兵に取り囲まれております!! 天狐・地狐ちこ兄妹を初め、悉く捕縛されまして御座る!! 拙者は天狐殿に逃がされて報告に戻った次第!!」


「何だと?!」


 別荘内の気配が正門前に集っていくのが分かる。

 その間も吾郎次郎が寺院の一派が捕縛されたと叫んでいる。


「よし、行こう」


「御意! 殿下は離れてついてきて下され。先程も申した通り実戦の見学して頂きます。命の遣り取りをご覧になって何を学ばれるかは殿下次第でござる」


「わ、分かった。しかと検分させて頂く」


「云っておくが君はこれから凄惨なものを見る事になるだろう。その光景に耐え切れずに逃げたとしても誰も責めはしない。ただ安全の為にも逃げ込むのならこの部屋にして欲しい。内側から鍵をかければ誰も入る事は出来ないからね」


「は、はい」


 カイム王子も只事ではない空気に素直に応じた。

 変に見栄を張らずに“私も戦います”と云い出さないだけゼルドナルはカイム王子の評価を上げる。


「出るぞ!」


 何も無いと思っていた壁がスライドして出口が現れた。

 一行は通路に出るとブリッツの案内で正門へと向かう。


「なるほど、ゲルダ先生が正門で敵を引き付けて陛下達が背後から強襲するという作戦なのですね」


「そういう事だ。しかも霊薬奪還に精鋭を送り込んだ直後だから手薄という寸法だ」


 正門では僧形の者達が集まって黒装束に詰め寄っていた。


「それで天狐らは捕縛されたのか」


「恐らくは」


「何と云う事だ」


「如何なされますか?」


「仕方あるまい。撤退を、と云いたい所であるが、お主は何者だ?」


「何者とは拙者は仲間でござる」


「戯け! 間者防止に報告の際に頭巾を取って素顔を見せるという取り決めを知らぬ時点でお主が偽物であるのは明白。またお主の声に聞き覚えはない。愚僧は同志一人一人の声を把握しておるのだ。見縊るでないわ」


 黒装束は老僧により敵であると見破られてしまったようだ。

 瞬時に僧形の者達に取り囲まれてしまう。


「ふふふ、そのような取り決めがあったとは抜かったわえ」


 黒装束が頭巾を取ると同時に光を放つ。


「まあ、作戦はほぼ成功しておる。こちらの勝ちよ」


「お主は?! 聖女ゲルダか?!」


「如何にも! そして後ろを見よ」


「何?!」


 背後より現れた人物に老僧は目を見開く。

 それはそうであろう。そこにいたのは死んだと思っていた人物であったのだから。


「ガイラント帝国宰相補佐官ブリッツである! 神妙に致せ!」


「ブリッツだと?! 生きておったか?」


「左様、すまぬが霊薬は既に研究班にて解析中よ。お主らの手には戻らぬ!」


「おのれ…たばかりおったか!」


 老僧が十文字槍の穂先をブリッツに向けて獅子吼した。


「孤月院殿、投降なされ。素直に降れば悪いようにはせぬ」


 ブリッツが投降を呼びかけるが孤月院延光えんこうは観念した様子を見せない。

 むしろ威嚇するように十文字槍を頭上に掲げて構えている。


「許すまじ、ブリッツ! 宝蔵院流槍術の流れを汲む我が槍を受けるが良いわ!!」


「是非に及ばず、か。柳剛流りゅうごうりゅう、ブリッツ=オカダ、参る!!」


 ブリッツと延光が同時に駆けた。

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