第弍拾伍章 天狐・地狐

「む? 手応えが無い?」


 首を斬られる寸前に擬態を解いて本来の幼子に戻ったカンツラーは倒れたまま背中を軸に回転して水面蹴りを天狐てんこに仕掛ける。

 百戦錬磨の強者と雖も頭上の光源を失った直後で闇に目が慣れていない状況では何が起こったか理解が及ばずに天狐は足を取られてしまう。


「ぬおっ?!」


 辛うじて転倒は避けられたがバランスを崩してしまい大きな隙となる。


「せいっ!」


 カンツラーは刀を抜き付けて天狐の右腕を狙う。

 腕を斬り落として確実に攻撃力を奪う秘剣『かいな落とし』である。

 およそ百年前にゲルダが魔界軍を制したせいで面目を失った勇者がいた事は前述した通りであるが、なんと彼には子孫がいたのだ。

 復活した魔王に対抗する為に神々が召喚した若者は才があるだけではなく、神夢想林崎流しんむそうはやしざきりゅうの遣い手であったという。

 居合術を編み出した林崎甚助を開祖とし、数多あまたの居合流派の源流である。

 甚助は出羽国楯山林崎(現・山形県村山市林崎)に生まれた。

 父を闇討ちされ武術修行に邁進したとされる。

 林之明神に百ヶ日参篭を仇討ちを誓願し、家に伝わる三尺二寸三分もの大刀を腰に帯びて抜刀を研鑽したという。

 満願の夜明けに夢の中に林之明神が顕現して抜刀の秘術『卍抜』を伝授されて居合の秘奥を開眼したと伝えられている。

 


 面目ばかりか、利き腕さえも失った勇者は関係を持った少女達の中でも我が子を孕んだ者達を半ば拉致するように山奥に引き籠もると、産まれてきた子に居合の秘術を授けたという。

 その修行はまるで鬼神が乗り移ったかのように過酷であり、子の中には修行の課程で命を失った者、隙を見て母が連れて逃げた子もいたそうな。

 数十年に渡る修行の末、我が子が父を超えたと確信した勇者は真剣勝負にて自分を斬らせるという凄惨な最期を迎える。

 利き手こそ失ったが勇者もまた修行により左手のみで刀を抜く『左逆手抜き』を編み出しており、我が子の虚を突いたが胴抜きが一瞬早く決まった事で敗れた。

 腹から溢れる臓腑を気にも止めず免許皆伝の印可を授けると勇者は微笑んでその生涯に幕を閉じたという。

 勇者の子といっても五十路も半ばを過ぎていた彼は下山すると、その足で『水の都』に向かったそうな。勿論、父の復讐のためだ。

 冒険者の間でも最も危険な場所とされていたが、剣のみならず勇者の資質も受け継いでいたのか、『水の都』の瘴気にその身は耐え、襲い来る魔物や怨霊も彼の敵ではなかったとされる。

 やがて中央部にそびえる城に辿り着くと信じがたい光景を目にする事となった。

 父の話そのままの美しい女性が幼い子供に剣の手解きをしていたのだ。

 その指導は父のものとはまるで違う。一見、厳しく袋竹刀で打ち据えているようだが、その叩き方は弟子の悪癖を矯正しているようであったし、言葉の端々に師が繰り出す技の攻略の手掛かりに繋がるものを感じた。

 嗚呼、父もこのように指導して下されば腹違いの兄弟達も命を落としたり逃げ出すことも無かったのであろうか。母達も幸せになれたであろうか。

 何より自分も復讐以外に生き甲斐を見出す事が出来たのではないか。

 そして修行の仕上げに父も命を落とす事も無かったのではあるまいか。

 それらを想うと聖女ゲルダを斬る為だけに生まれた自分が不憫に思えてきたのだ。


「もし、旅の御方、如何なされた?」


「どうしたの? どこか痛いの?」


 気付けば師弟が心配げにこちらを見詰めていた。

 “どこか痛いのか”という問いに漸く自分が泣いている事に気付いたのである。

 途端に父に云われるがままに聖女ゲルダへの復讐に生きる自分の人生が虚しいものに思えてきたのだ。


「いや、何でもござらん。ただ修行時代を思い出しただけでござる。修行の妨げになるであろうし、拙者はこれにて」


 背を向ける彼の手が引かれる。

 見れば子供が袖を引いていた。


「もうすぐ日が暮れるよ? 近くには街は無いし危ないから泊まっていきなよ」


「あ、いや、しかし……」


 戸惑う彼に子供はにっこりと笑って名乗る。


「僕はカンツラー、父様と母様はカンツって呼んでる。おじさんの名前は?」


「名…名か…」


 そして自分に名前が無い異常性を認識したのだ。

 我が人生は父の復讐の道具でしか無かったのだと理解して彼は手で顔を覆い産まれたばかりの赤子のように号泣したのだった。

 その夜、彼は五十年前に勇者として召喚されながらも役目を果たす事無く落ちぶれた男の子供である事を明かした。

 そして目の前にいる黒髪の少女こそ父の復讐対象である聖女ゲルダであると知って彼は目を丸くした。てっきり娘か孫かと思っていたからである。

 すぐに彼は落ち着きを取り戻し、既に父が亡くなっている事、そして最早、自分には復讐する気が無い事を告白すると朝になったら出て行き、二度と関わらずに迷惑をかけないと約束をした。

 しかし当のゲルダに“五十半ばまで人と交わらずに生きてきたのなら帰る場所も無かろう”と『水の都』に留まる事を勧め、“出来れば神夢想林崎流の妙技を我が子に教えてやって欲しい”と頭を下げられたという。

 ゲルダとしては彼の父親への償いの代わりになればという思いもあったし、直心影流じきしんかげりゅうと神夢想林崎流を学び、それらを昇華した我が子を見てみたいという武人としての欲があった。

 彼は何故か自分に懐いてくるカンツラーを見る。

 暫しの沈考の末、彼は首肯しカンツラーの師となる事を決めたのだった。

 直心影流のカンツラーが居合を会得している理由がここにあったのだ。


兄様あにさま!」


 刃が天狐の腕を半ばまで食い込んだところで地狐ちこの六角杖が差し込まれた事で截断にまでは至る事が出来なかった。

 しかし深手には変わりなく天狐の右腕はだらりと下がっている。

 少なくともこの勝負の間は天狐の右腕は使い物にはならないであろう。


「抜かったわ! 地狐がおらなんだら右腕を失っておったところだ」


 すると上空に再び光の球が撃ち出されて庭先を照らし出す。

 兵の誰かが照明弾を撃ったのだろう。

 見れば黒装束は闇に紛れたのか、その殆どが姿を消しており、残っているのは天狐・地狐の他は既に事切れている者だけである。

 カンツラーに肩を砕かれた者は近くにいたが、足手纏いになると思ったか、訊問を避ける為か、自ら小刀で喉を突いて絶命していた。


「莫迦な事を…お主ほどの槍の名手にして密法の遣い手、捕らえたとしても手厚く扱うつもりであったのだがな……私が鬼かじゃに見えたか」


 カンツラーは遣る瀬無い気持ちで頭巾を取るとまだ若い青年であった。

 あたら若い命を散らせてしまったと忸怩じくじたるものを感じながら目を閉じてやる。


「あら、その愛らしい御顔…貴方はもしや自然公園で会った女の子ですの?」


「だったら?」


 カンツラーは既に納刀し腰を落として構えている。

 愛刀の名は『飛龍聖羅』といい、武芸百般のゲルダに合わせた『水都聖羅』と違い特に仕掛けらしい仕掛けは施していないが、その分、斬れ味が鋭く、居合に適した作りとなっている。


「居合ですか。よもや、このような異世界で見られるとは思いもしませんでしたよ」


「チッ、右腕は最早動かんか。我らの必殺剣が破られたのは初めての事だ」


 天狐と地狐はカンツラーを挟んでゆっくりと円を描くように間合いを詰めてくる。

 この期に及んで戦闘を続けるつもりらしい。


「閣下!!」


「手を出すな! その代わり逃げられぬよう囲んでおれ!」


 助勢しようとするアントン達をカンツラーは制するが、足手纏いだからではない。

 二身一体の武芸者の繰り出す技が予想出来なかったからだ。

 乱戦ともなれば隙を生じやすく逃げられる可能性もある。


「折角できた九尾つづらおのお友達…あの子が哀しむ様が目に浮かぶようで心苦しくはありますが、勝負は勝負。容赦は致しませんわ」


「九尾がかけた迷惑分、全て返したとは思っていないが我らにもやらねばならぬ事がある。悪く思ってくれるな」


 腕を截断しかける傷を負っていながら天狐の声に苦痛を感じている様子は無い。

 むしろこの状況で女装していた自分と今の自分が同一人物であると善く気付いたものだと感心する。


「私も宰相としてガイラント帝国を守らねばならぬ。況してやブリッツを取り込み裏切り者にした罪は許し難し! そちらも手心は期待出来ぬと心得よ!」


 一応、ブリッツは帝国の裏切り者として死んだ事になっているので鎌を掛ける。

 これで天狐らがどのような反応を示すかで敵がブリッツをどう扱っているのか占ってみようと試みたのである。


「ぐっ……確かに褒められた手段でなかった事は認めよう。だが、ブリッツ殿が霊薬を飲み、転生すれば正式に仲間と認めるつもりではあったのだ。それがよもやあのような事故に……」


 腕を斬られても平然を装っていた天狐に苦悶が滲みでた事で、少なくとも天狐達は悪人ではないと確信した。

 未だ姿を確認できない孤月院とやらは分からぬが、野心だけの組織ではないと分かっただけで充分に収穫である。

 若い娘を犠牲に転生武芸者を生み出す残忍さやブリッツに賄賂を渡して取り入ろうとする狡猾さも持ち合わせているので善良な組織とは寝言でも云えないが、自害した若者も含めて信念で動いている者がいるのがせめてもの救いか。


「悔いたところでブリッツは帰って来ぬ。相応の報いを受けて貰おう」


 そうだ。捕らえた後で“実は生きてました”と種明かしでもしてやろう。

 今まで後手に回っていたが、今度はこちらから仕掛けてくれよう。

 右手を束にかけながら地狐に肉薄する。


「思ったより勇猛ですね!」


 まさかこの小さな体で突進してくるとは思わなかった地狐は迎撃の為に六角杖を突き出して来るが一瞬だけ遅れてしまう。

 虚を突かれ、闇夜である事とあまりに小さいカンツラーの体に間合いを測り損ねてしまったのだ。その上、束に手を掛けていた事から突進から居合に繋げる連続技と読んでいた事もあるだろう。

 ではカンツラーの狙いはどこにあるのかと云えば、地狐の攻撃を搔い潜り、そのまま彼女の背後に回り込む事にあった。


「秘剣『松風』!」


 背後を取ったカンツラーは振り返りながら片膝をついて刀を抜き付けた。

 抜き放たれた刃は地狐の膝裏を斬り、堪らず彼女はどうと倒れる。

 松に打ちつける風をイメージしてカンツラーが編み出した敵の背後を取る突進術であり、敵を動きを読んで攻撃或いは防御を抜いて背後に回るだけに終わらず、如何に素早く振り返って背後を取るかがキモとなる技だ。

 カンツラーは片脚を軸に突進の勢いを利用して回転し、片膝をつくことで制動する事を極意している。こうする事で今の膝斬りに移行する事が出来るのだ。


「秘技『夜烏よがらす』!」


 地狐を仕留めた隙を見逃さず、闇から天狐が降ってきた。

 小刀の束を両足の指に挟んでの急降下だ。

 カンツラーの狙いが生け捕りと分かっているのだろう。

 右足の小刀はカンツラーに狙いを定めているが、避ければ左足の小刀が地狐の命を奪う二段構えの捨て身技だ。

 迎撃するしかない。避ければ天狐は地狐を殺した後、逃亡するだろう。

 彼の驚異的な跳躍力があれば、包囲を抜けて一人逃げ切る事は可能だ。

 カンツラーとしては向後を思えば逃がす訳にはいかない。

 逃がせば天狐が右腕の傷と地狐の死を恨み、復讐の鬼と化すのが目に見えている。

 天狐ほどの男が修羅となっては手が付けられない事もあるが、何よりたった二人の兄妹として愛している地狐を殺させる訳にはいかない。

 そこでカンツラーが取った行動はなんと天狐に向けての跳躍であった。


「何っ?!」


 上昇してくるカンツラーの剣が股間を狙っていると察して天狐の心にちらと防御すべきかという迷いが生じた。

 捨て身も妹を殺す覚悟もしていたが男として明確に急所を狙われていると分かって僅かでも逡巡してしまったとしても責める事は出来ないだろう。


「くっ!」


 伸び来たる刀を思わず右足の小刀で迎撃してしまった事で体勢が崩れてしまい、その右足を掴まれてしまう。


「恥ずべき事ではない。君が人間である証拠だよ」


 来ると分かっている急所攻撃を避けた天狐を慰めつつ、カンツラーは天狐の足首を脇腹に固定するように抱えると身を捩って投げ飛ばした。


「父上直伝『旋龍衝』!!」


 足首を固定されたままの回転投げに身の軽い天狐といえども受け身を取る事は叶わず、膝を捻られながら地上へと叩きつけられる事となったのだ。


「ぐあっ?!」


 足のダメージが深刻であるのか、天狐・地狐の二人はもう動く事は出来なかった。


「さあ、私の勝ちだ。話を聞かせて貰うぞ」


「妹ごと殺す気でいた拙僧を殺さずに捕らえるか…形無しだな」


「ブリッツが打った布石のお陰だ。君達が動揺してくれなかったら勝負は分からなかっただろうさ」


「その上、謙遜までされてしまっては負けを認めるしかありませんね」


 頭巾を取った兄妹は晴れやかに笑うのだった。

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