第拾壱章 勝利の褒美

「こ、は何事?!」


「黙っておれ。今は弔いの最中よ」


 覚醒した玄武は氷で作られた唐丸籠で拘束されている事に困惑の声を上げた。

 しかしゲルダはそちらに見向きもせずに経を唱えている。

 ゲルダの前に先程の戦いで命を落とした白虎、朱雀、青龍の三名が横たわっていた。遺体はいずれも修復を施されて生前の美しさを取り戻している。

 流石に聖女と呼ばれるゲルダといえども蘇生などという奇跡は起こせぬが、損傷の激しい遺体を生前と変わらぬ姿に修復する『エンバーミング』という魔法の心得はあった。


「は、般若心経でござるか」


「法華経の方が好みか? だが生憎初めから最後まで正確に暗記している経はこれだけでな。後は南無阿弥陀仏と繰り返す事しか出来ぬぞ」


「いえ、バオム王国なら雷神信仰が主流かと思ったまででござる」


「戯け。『水の都』はバオム王国の領内ではないぞ。今でこそ、どこの地図にも記されておらぬ空白の地であるがな。過去は立派に独立した国家であった。それ以前にお主とてワシが異世界よりの転生者であると承知しておったのではないのか?」


 ゲルダは白虎らの遺体に一礼してから玄武へと向き直る。

 金色の瞳に射竦められて玄武は身を震わせた。


「時にお主の名は?」


「玄武と名乗ったが…」


「親から貰った名を聞いておる」


「今世ではベロニカ…前世の名をお訊ねであるならば仕明しあけ一郎太いちろうたにござる」


「仕明とな?」


 前世と同姓であった玄武にゲルダは少なからず驚いた。

 珍しい苗字ではあるが一族以外に居ない訳ではない。

 じっと玄武の顔を見ると彼女は気不味そうに目を逸らした。


「ふむ、どことなく孫娘の面影が有るような無いような…これ、一郎太、そなたの顔は前世と変わりは無いかのぅ?」


「生憎と前世は自宅警備員、ニートでござる。色々と資格は取ったものの生来のコミュ障ゆえに仕事が長続きせず、いつしか引き籠もるようになり…気付けばどこに出しても恥ずかしいメタボになってそうろう。今の顔とは似ても似つかぬでござるよ」


「にー…めかぶ?」


「要は仕事もせずに家に引き籠もっていたのでござるよ。我ながら恥ずかしい過去でござるがな。あと、めかぶではなくメタボでござる。早い話が健康を損ねるレベルで太っていたのですな」


 玄武、いや、ベロニカの説明にゲルダは痛ましそうに彼女を見る。


「浪人であったか。しかし、それで太るものか? 一体、お主は如何にして糧を得ておったのだ?」


「それは……親の脛を……」


「何とも情けない! 善くもまあ、それで六右衛門ろくえもんの云う『転生武芸者』に選ばれたものよ」


「あいや拙者は前世の記憶がありますが『転生武芸者』ではないですぞ。親の紹介である寺院に奉公に出たのでござる。前世で得た資格が今世になって漸く花開いたのか、色々と小器用に働く事が出来ましてな。ありがたい事にそれで重宝されて今に至っているのです」


 云われてみればベロニカの目は他の三人と違い常人のそれであった。

 歳は十五、六か。お世辞にも美人とは云えないが人好きのする愛嬌がある。

 大きな団栗眼は囚われの身となった不安が見え隠れするが、悪意は見えない。

 肩で揃えた金髪をオールバックにしている。ゲルダとしては折角綺麗な金髪を持っているのだから伸ばせば良いものをと思わぬでもないが、それを云ったら自分とて剣を振るのに邪魔だと短くしているので余計な事は云わない。

 万が一にも養母である『塵塚』のセイラの耳に入ろうものなら、一夜にしてゲルダの髪は腰或いは膝裏まで伸ばされてしまうだろう。

 以前など、うっかり“月代さかやきをしてさっぱりしたい”と口走った日には血の涙を流して無言の抗議をしてきたものである。

 あれは流石に怖かった。やはり母としては女らしく育って欲しいらしい。


「その小器用な奉公人が何故なにゆえ、刺客となったのだ?」


「場の勢いでござるな」


「場の勢いとな?」


 予想外の答えにゲルダの顔が弛緩したものとなった。

 敵は雰囲気で刺客を決めるいい加減な組織なのか?

 ゲルダの様子に呆れている事を察したベロニカが言葉を続けた。


「いや、元々他に玄武は・・・・・いたのです・・・・・。ただ拙者が何故か検分役を命じられましてな。まあ、刺客と同行する訳ですから命懸けでござる。しかしながら危険手当が美味しかったので二つ返事で引き受けた次第ごござるよ」


「お主の組織はいい加減なのか、しっかりしているのか、分からぬな。して、その検分役が何故?」


「単純に拙者が玄武・・より強かったから…としか云えませんな」


 ゲルダは思わず感嘆の声を漏らした。

 微塵みじんを操る様は確かに一端の武芸者と呼ぶに相応しい力量を備えていた。

 ベロニカは『転生武芸者』と肩を並べるだけの実力と認められていたらしい。


「初めは玄武に“検分役など邪魔だ”と云われましてな。足手纏いと思ったのでしょう。しかし、こちらも生活がかかってますので引くに引けず、そうこうしていると鬱陶しく思ったのか、朱雀が“適当に追い払ってしまえ”と云い出しましてな」


「それで力尽くにきた玄武を返り討ちにしたという訳か」


「拙者も乱暴にはしたくはありませんでしたが、どうやら今世は前世で習った事を十全に使い熟す事が出来るようでしてな。前世ではまともに出来なかったパルクールで攪乱して玄武の息が上がってきた所に、前世では子供にすら勝てなかった空手の正拳突き一発で伸してしまったのでござるよ。まあ、転生して得たチートのようなものかも知れませんな」


「ぱる…ちーと? お主の言葉はよう分からんのう。ともあれ、勝利したお主は玄武の名を譲り受けて刺客の一員となった訳か」


「譲り受けたというか、白虎に“今からお主が玄武・・だ”と云われ、あれよあれよという間に『水の都』に来てしまったのですな」


 確かにそれでは場の勢い・・・・だ。

 玄武のみを殺さずに捕らえたのは『転生武芸者』では無い事に加えて、ある意味においては憐れな境遇の少女を救わんと本能が見抜いていたのだろう。


「ちなみに本来の玄武は拙者に負けた事を恥じたのか、一剣のみを持って武者修行の旅に出てしまいましたぞ。確か田宮流居合の遣い手であったとか」


「なんと、田宮流とな」


 居合或いは抜刀術は林崎甚助重信が工夫して編み出した云われている。

 その甚助に師事した田宮平兵衛重正が居合の奥義を修得し、後の田宮流となった。

 ベロニカには悪いが、ゲルダとしては田宮流の名人と戦ってみたかったと残念に思ってしまったものだ。


「どうやら『転生武芸者』は定期的に若い娘の生き血を摂取する事で若さと力を維持しておるようです。嗜好的にも合っているようで、青龍などはどこぞで攫ってきた若い娘の腹を裂いて旨そうに内臓を生で喰らっていましたぞ」


「左様か。どうやら『転生武芸者』は情けをかけて良い相手ではなさそうだ。否、これ以上悪鬼の所業を繰り返させぬ為にも終わらせてやるのが情けであろうな」


 武者修行に出たという田宮流の者もいずれは見つけ出して始末せねばなるまい。

 ゲルダは厄介な存在を生み出した寺院とやらを憎まずにはおれなかった。


「それでお主が奉公している寺院とは何だ?」


「さあ、両親が帰依している関係で奉公に出ただけで詳しくは存じかねます。表向きはあらゆる貧者を救う回向寺でしたな。実家も含めて多くの貴族や商家が寄進しておりかなり潤っているように見受けられましたぞ」


「なるほど…糧を求めて多くの貧者が寺院に集まり、『転生武芸者』の母胎となる娘を得ていたという事か。想像に過ぎぬがたねの出所は出資者ではあるまいかな。寺院は懐が潤う上に『転生武芸者』を量産でき、出資者は若い娘を抱ける。巧い絡繰りを編み出したものよな」


 ご明察かと――ベロニカはゲルダの推測を肯定した。


「ちなみに女の出資者には若い男を宛がっていましたぞ」


「余計な事を云わんでも良い。いや待て、するとお主の親は」


「心配は要りません。両親は共に堅物ではありますが心優しい人達ですぞ。寺院への出資も貧しい者達へ糧を与え、更には仕事も周旋している寺院の活動に感心しての事でござる。拙者を奉公に出したのも寺院にて慈悲の心を学ばせる事が目的でござる。実際は裏で恐ろしい企みがあった訳ではありますが……」


 預かったベロニカが予想を超えて有用であった為に寺院の中で順当に出世していったのであろう。だからといって、このような若い娘を検分役に抜擢するのは如何なものかと思わぬでもないが。

 或いはベロニカも母胎にされていた可能性もある。

 ただベロニカ自身が『転生武芸者』に匹敵する実力まで備えていたのは流石に予想外であったに違いない。


「その寺院の正体は何なのだ? ワシを聖女として排除しようとしていた事から『雷神』か、バオム王国の敵であるのは明白であるがな」


「それは手前にも分かりかねます。拙者とて寺院の裏を見たのはつい三日前なのです。拙者に出来たのは四神衆に同調して刺客になりきり身を守る事だけでした」


 然もありなん――ゲルダはベロニカの置かれた状況を想像して責める気にはなれなくなっていた。


「放て」


 ゲルダの言葉をキーワードにして氷の唐丸籠が消滅した。

 自由になったベロニカはゲルダの真意が読めなかったのか、訝しんでいる。


「拙者を処さぬのですか?」


「お主を斬ったところで状況は変わらん。ならば無用な殺生はせぬよ」


 ゲルダは既にベロニカから悪意や害意が無い事を見抜いている。

 むしろ才ある少女を寺院から救いたいとすら思っていた。


「お主は今後どうするね。その気があるのならワシが保護してやっても良いぞ」


「その申し出は有り難いのですが、色々と迷惑をかける事になりますぞ。拙者は寺院の裏を知り、あまつさえ刺客の任務を失敗したのです。おそらく拙者を始末するか、捕らえる為の刺客が送り込まれてくるでしょう」


「それを申せば元々狙われていたのはワシぞ。ならば逃げたお主の身を案じておるより、生活を共にして協力した方が有益であろうさ。違うか?」


 つい先程まで命の遣り取りをしていた相手にゲルダはニコリと微笑んだ。

 ベロニカは一瞬だけ両親の顔が脳裏によぎったが、刺客となった時点で決別の手紙を送っていたからか、すぐに腹を決めた。


「お世話になりますぞ。取り敢えずこれは当面の生活費にござる」


「預かろう。これでお主は気兼ねする事なくこの城に滞在するができよう」


 ベロニカは手持ちの全財産を気持ち良く受け取ったゲルダに感心した。

 彼女の慈悲は本物だ。同情も遠慮も見せずにさっぱりと金を受け取るゲルダを心から信用すると決めたのだった。

 事実、後にこの二人はセイラ立ち合いの元、義兄弟の杯を交わす事になる。


「さあ、疲れておるだろうが白虎らを弔わなければな。埋葬を手伝ってくれ」


「はい、お任せあれ」


 念話で従者を呼んでも良いが、斬った者の責任として自ら葬るのがゲルダのポリシーであった。ただベロニカも四神衆の一人であったし、何より自分だけが作業して彼女を放置しては気不味い思いをさせるだけであろうと手伝って貰う事にしたのだ。


『お待ち下さい』


「む?」


 制止の声にゲルダは動きを止める。


「今の声は六右衛門殿か? まだ成仏しておらなんだか?」


『いいえ、私はセイリュウでもロクエモンでもありません。私の名はトレーネと申します。セイリュウの転生の為に灰となった者でございます』


「なんと」


 見れば青龍の遺体の上に半透明になった少女が浮かび上がった。

 その顔立ちは青龍そのものであったが、やや垢抜けた印象を受け、何より特徴的であった目が人のそれとなっていた。

 つまり告白通り青龍転生の犠牲となった少女の成れの果てと思って良いだろう。


『ゲルダ様がセイリュウらを斃して下さったお陰で私共の魂は解放されまして御座います。その感謝をお伝えしたく推参致しました』


「そなたらを救えたのは偶然よ。だからな、そんな事は気にせずに成仏する事だ。天国或いは新たな人生で今度こそ幸せを掴めるよう祈っておるぞ」


『もったいない事です』


 頭を下げるトレーネの両隣にやはり半透明の少女が二人現れた。

 いずれも白虎、朱雀と似た姿形である。


『就きましては我ら談合の末、ゲルダ様に感謝の証を贈りたいと存じまする』


「左様か」


 ゲルダにはもう遠慮する気は無い。

 あまりに固辞し過ぎて、それがトレーネ達の未練となっては本末転倒である。


『セイリュウが命を落とした際に彼らの魂から剥がれ落ちた物が御座いまして、どうやら転生で我らの魂を取り込んだ際に生じた特典・・とも云うべき力のようです。このような物をお礼に差し上げるのは如何なものかと迷いましたが、これから激化していく『転生武芸者』との戦いでゲルダ様の一助になればと愚考致した次第で御座います。お納め下さいませ』


 トレーネ達の胸から都合三個の光の球が現れてゲルダの体へと吸収されていった。

 その瞬間、ゲルダの体の奥から力が湧き上がるような感覚が起こる。

 同時に三つの技術が手に入った事を理解した。


「むんッ!」


 ゲルダの両腕から氷の鎖が現れる。その先端は球体となっていた。


「そりゃッ!」


 ゲルダは暫く氷の鎖を振り回していたが、不意に中庭の木へと鎖を伸ばした。

 枝に命中する直前に先端の球から鉤爪が生えて枝を掴む。

 途端に鎖が縮んでゲルダが宙へと引き上げられた。


「ほほう、思い付きでやってみたが出来るものよのう」


 ゲルダの身は木の枝の上にあった。

 この鎖は攻撃に遣うだけではなく、こうして高所への移動にも遣えるようだ。


「鎖分銅を自在に操る白虎の能力がワシの魔力の属性と合わさった事で氷の鎖を操れるようになったようだな。ふむ、この新たな力を『氷百足ひむかで』名付けるか」


 続いて氷の礫を周囲に展開すると城のあちこちに的が出現する。


「実際に見る事は無かったが、投擲物を自在に操る朱雀の能力は如何程のものか」


 ゲルダの周囲を浮遊していた礫達が一気に撃ち出されて的を次々と射抜いていく。

 今度は氷の鎖を操って凄まじい速さで移動しながらも正確に的を射抜いた。

 しかも中には軌道を大きく曲げながら的に当たる礫まである。

 早くも遣い熟している様子だ。


「相手は動かない的とはいえ命中率は申し分無いな。動く的を用いた訓練は日を改めるとして、実戦にも耐えうると見てよかろうよ。氷の冷たさと燕の如く敏捷に飛来する礫に相手は心胆寒からしめるであろうことをかけて『寒飛燕かんひえん』と名付けよう」


 最後に愛刀『水都聖羅すいとせいら』を小太刀に変えて振るう。

 その動きに無駄は無く、舞っているかのようなゲルダの姿にベロニカは暫し見惚れる事となった。


「六右衛門殿よ。そなたが遺した小太刀術の工夫、貰い受けるぞ」


 次いで『水都聖羅』を分離させ、更に大刀と小太刀の二刀を持って演武を続ける。

 力強さと繊細さ、そして美しさとは同居させる事が可能であったかとベロニカは知らず涙を流してゲルダの動きを見詰めていた。

 いや、ベロニカだけではない。トレーネ達ですら血が通っていないはずの頬を赤く染めてゲルダの演武を見ていたものだ。


『私、成仏やめてゲルダ様にお仕えしようかな』


『あ、ずるい。ならアタシだって!』


『貴方達、この空気でこの世に迷うつもりなの?』


 トレーネが二人を窘めるが、思わぬ反撃を受ける事になる。


『じゃあトレーネだけ成仏しなよ。私はゲルダ様にお願いするから』


『そうだね。アタシも頼んでみようっと。トレーネは天国で見守っていてね』


『ぐぬぬぬぬ……そ、そういえばゲルダ様に感謝の言葉をお伝えしたけど、お別れの挨拶はまだだったわね?』


 数時間後、人形の体を得た新たな従者が三体生まれる事となるが、それは別の話である。

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