第拾章 聖女対四神

「何ッ?!」 


 愛刀『水都聖羅すいとせいら』を躊躇う事なく手放したゲルダに白虎は驚嘆する。同時にニ尺六寸の剛刀が飛んだ。

 鎖分銅が白虎の手元に引き寄せられる間隙を縫ってゲルダが走り出し、直前まで彼女の頭部があった場所を微塵みじんが唸りをあげて通り過ぎる。

 しかし、今のゲルダに武器は無い。無手で組み付く気かと白虎がゲルダを迎え撃つ為に鎌を振り上げる。

 背に隠されていた右手には小刀が握られていた。『水都聖羅』の柄は上下に分離する事が可能であり、下部分には小刀が仕込まれていたのだ。並の刀でこのような仕掛けを施せば強度に問題が生じるが、『塵塚』のセイラ謹製の刀は素材も含めて規格外である為、何の支障も無い。


「南無八幡大菩薩!」


 ゲルダは転生して尚崇拝する武神に祈りながら小刀を地擦りに跳ね上げる。

 鎖分銅を遣う間合いを破られた白虎が鎌を振り下ろすがゲルダの方が一瞬早く脇腹を薙いだ。


「莫迦な……小刀が届く間合いでは……」


 白虎はゲルダの小刀がニ尺ほどまでに伸びているのを見て愕然とする。

 『水都聖羅』が意思を持つ刀であり、刀身が伸縮自在である事を知らなかったのが白虎の不運であり、命運を分けたのだ。


「くく…我が武運尽きるも…直心影流じきしんかげりゅうのゲルダ…愉しかったぞ」


 白虎は頭巾を外し、まだ幼い顔に壮絶な笑みを浮かべるや、まさに虎の如き咆哮をあげながら腰砕けに倒れて動かなくなった。

 ゲルダは青龍と同じく黒い強膜と赤い瞳を持つ目を閉じてやる。


「白虎を討ち取ったり! 次はたれぞ?」


 愛刀を拾い、小刀に戻った柄の下部分を納刀する。


「おのれ!」


 仲間の死に激昂した玄武が左右から同時に微塵を投げる。

 微塵の恐ろしさは下手に受けると鎖分銅に剣を絡め取られる上に、勢いが死んでいない残り二本の鎖分銅に頭などを打たれて多大な痛手をこうむる事にある。

 先程、微塵を止めた氷柱だけでなく、近くの氷柱が砕けたのもそのせいであった。

 しかし、相手の武器が微塵であると知れれば対処の方法などいくらでもある。

 ゲルダが飛来する微塵の分銅部分を打つと軌道が変わって明後日の方向へ飛んでいってしまったではないか。


「くっ! よもや、このような神業を見せられるとは思わなんだわ」


 玄武が懐から新たな微塵を出そうとするが、短い悲鳴があがり手を止める。

 なんと軌道を変えられた微塵の一つが朱雀を襲い、彼女の頭を砕いたのだ。


「朱雀ッ?! 貴様ァ!!」


「何を怒っておる? 朱雀を殺したのは貴様の微塵ぞ」


 そう云いつつゲルダはいつの間にか回収していた微塵を玄武に向かって投擲した。

 玄武は伏せる事で躱す事に成功するが、既に間合いを詰めていたゲルダに顎を蹴り上げられて昏倒する。

 速い。さながら獲物に襲いかかる餓狼の如き寄り身であった。


「斬らぬのですか?」


「聞きたい事があるでな。無論、お主にもだ」


 ゲルダは『水都聖羅』を下段に構える。

 対して青龍は小太刀を正眼に構えた。


「おお…おお…おおおお…」


 青龍の目から涙が滂沱のように溢れてくる。

 臆したのではない。前世を含めて初めての真剣勝負に感動しているのだ。


「この緊張感…敗北とは此即ち死という緊迫感…恐怖…昂揚…真剣勝負とは、立ち合いとは、このようなものでしたか」


「良いものではあるまい。ワシも仕明しあけ吾郎次郎ごろうじろうであった頃なら立ち合いで死すとも悔いは無かったが、今ではすっかり生き汚くなった。母者と暮らす穏やかな毎日は失い難き物よ。それを守る為ならワシは卑劣にも非情にもなろうよ」


「なんと?! それが藩随一の剣客、仕明吾郎次郎の言葉か!」


 青龍の顔に驚愕と落胆が入り雑じったものが浮かぶ。

 しかし、青龍の非難も何処吹く風のゲルダであった。


「今のワシはゲルダだ。世を眩ます為に前世の姿になる事はあるがな。六右衛門ろくえもん殿よ。今世に母はおらぬのか? 居るのなら大切に致せ。ワシは前世も今世も生母とは縁が無かったが、『塵塚』の母者こそはワシを大切に育ててくれた真に貴き御方よ。ワシのやりたいようにさせてくれたが、それでいて道を踏み間違わぬよう導いてくれた恩人だ。云わでもの事だが、ワシも母者を愛しておるぞ」


「拙者に今世の母はおり申さぬ」


 俯く青龍にゲルダは失言であったかと案じた。

 しかし、青龍の顔には哀しみではなく笑みがあった。


「まず我らが如何様にして転生したか説明せねばなりますまい」


 青龍は語る。

 文武に秀でた女子を妊娠させて胎児に選ばれた武芸者の魂を宿らせるのだと。

 武芸者の魂が新たな肉体に馴染むと“母”を操って護摩の中へと飛び込むという。


「待て。それでは死してしまうであろう」


「心配は無用です。灰になるのは“母”のみでござる。我らは燃え尽きた“母”から無事に生まれ申す。そして灰を喰らい肉体を最も力溢れる十代半ばへと成長させ、魂を取り込む事で前世を上回る力が手に入るのです。これぞ『異世界転生』の秘術。選ばれし者のみが許される再誕の儀式にござる」


 然しものゲルダも絶句させられた。

 この男、否、この女は自分が何を云っているのか判っているのか?

 未来ある若い娘を目的の為に孕ませるだけでも許し難い事ではあるが、あまつさえ母親を炎の中へ投じて転生するなどあってはならぬ蛮行である。

 しかしこやつ・・・はその事に罪の意識を抱くどころか、誇らしげ語っている始末だ。それも前世では多くの命を救ってきた医者がである。


「お主は今世の母者をどう思っておるのだ? 自分が転生する為に犠牲にした母の事である。ワシにはお主に罪の意識があるようには思えぬのだが?」


「罪とは? そもそも出産とは命懸けでござる。我ら・・が誕生の為に死ぬのは仕方なき事ではありませぬか。“子”の為に命を捨ててこそ“母”でありましょう」


 それに――青龍は嗤いながら続ける。


「“母”の死は無駄ではありませぬぞ。その体と魂は我ら『転生武芸者』の血肉となっており申す。むしろ“子”の糧となってこそ“母“の幸せではござらぬか。そうは思われませぬか、ゲルダ殿? いや、ここは敢えて吾郎次郎殿と呼びましょう」


「今のワシはゲルダであると申したはずだ。吾郎次郎は過去の人間よ。今のワシに取っては変装以外の意味は無い」


 ゲルダは改めて『水都聖羅』を正眼に構える。

 目の前に居るのは風見六右衛門・・・・・・ではない・・・・

 青龍の名を騙る外道である。生かしておいては世の為にならぬ化け物だ。


「貴様から聞きたい言葉は一つだけだ。母者、否、貴様の得手勝手な転生の犠牲になった娘御に詫びよ。そして再び死すが良い。せめてもの情けだ。ワシが死に水を取ってくれよう。かかって参れ」


 全身から濃厚な殺気を出すゲルダに青龍は身震いをする。

 前世むかしの自分であったなら腰を抜かしていたであろうが、今は明確に向けられている殺意と剣気が何とも心地良い。

 かつての友は転生して更に力を増したようだ。

 確かこの世界に転生して既に三百年も生きているらしい。

 その三百年じかんを無為に過ごしていた訳ではないようだ。

 否、自分の知る仕明吾郎次郎なら更なる研鑽を積んでいたに決まっている。

 たまらない。我が剣が三百年に渡る修行を無に帰すのだ。

 先程の言は撤回だ。これほどの剣客が仲間だなんてもったいない・・・・・・

 聖女ゲルダを斬って彼女の三百年をそっくり貰い受けてやろう。

 青龍は小太刀を頭の右横に立てて左足を前に出す八相の構えを取った。


「くかかかかかか、冨田流とだりゅう・風見六右衛門……参るッ!!」


 ゲルダの殺気に当てられて昂揚したのか、奇妙な笑い声をあげたものだ。


「化け物が我が友の名を騙るな。ましてや冨田流を名乗られては冨田家ひいては中条流も迷惑であろう。このゲルダの直心影流じきしんかげりゅうが邪剣を砕いてくれよう」


「じゃあッ!!」


 ゲルダの言葉に青龍が八相のまま走り出した。

 ゲルダに劣らぬ寄り身の速さだ。まさに小太刀術らしい戦法である。


「じぇいッ!!」


 奇声を発して小太刀が振り下ろされる。

 ゲルダはそれを愛刀で受け止めようとして、


(視線がおかしい?)


 と、察した。

 軌道はゲルダの脳天を捉えていたが、青龍の目が若干下を見ている気がしたのだ。

 違和感を覚えると同時に背中に氷塊を入れられたかのような悪寒が走って、ゲルダは後ろへ飛んだのである。

 ゲルダの左肩に鋭い痛みが走り、青いゴシック風のドレスを赤く染めた。

 青龍の小太刀がゲルダの左肩を掠めたのだ。


「ほう、流石は吾郎次郎殿。肩を捉えたと思いましたが勘のよろしい事で」


(あのまま受け止めようとしたら袈裟懸けに斬られていた)


 ゲルダの優れた観察眼と長年磨いてきた勝負勘が辛うじて致命傷を避けた。

 そして左肩を斬られた理由を察して、再び背筋を凍えさせる。


(斬撃の軌道を変えおった!)


 冨田流にはこのような恐るべき技があるのか。否、違うだろう。

 小回りの利く小太刀ゆえの兵法と転生で得た力を組み合わせて編んだ技か。

 そう指摘すると青龍は手柄を褒められた子供の様に顔を綻ばせた。


「ご明察にござる。小太刀術の技を怪力をもってより精巧に操る新たなる秘剣『飛龍』。天空を自在に舞う龍になぞらえて名付け申した」


 青龍は小太刀に付いたゲルダの血を舐める。

 途端に強い陶酔感に襲われた。


「おお…この芳醇な香りと甘み、転生してから数多の女を・・・・・喰らって・・・・参りましたが、これほど上質な血は味わえませなんだ。これは肉の方も期待できますな」


 青龍の告白にゲルダは答えない。

 だが内側では激しい感情が燃え上がっていた。


(愚かな…否、憐れな。力を得たところで人をやめて何になるのだ。やはり我が手で斬る事こそが情けか)


「青龍、いや、六右衛門殿よ。今一度、『飛龍』で参れ。玄妙なる技をもっとワシに見せてくれい。見事ワシを斬る事が出来たなら我が血肉を好きに致せ」


「おお、吾郎次郎殿にそう云って頂けるとは剣客冥利に尽きますぞ。では今一度、我が秘剣を存分に味わわれよ」


 自尊心を擽るゲルダの誘いに青龍が乗った。

 勝負の駆け引きにおいては、やはりゲルダに分があるようだ。

 青龍の不運はゲルダの血に酔ってしまった事、かつての憧れの存在であった吾郎次郎に秘剣を“玄妙”と賞賛されて舞い上がってしまった事だろう。

 ゲルダの意図に気付く事なく、青龍は再び八相に構える。


「参りますぞ! じゃあッ!!」


 奇声をあげ、烈風さながらに駆け出した。


「じぇいッ!!」


 ゲルダの脳天目掛けて小太刀が振り下ろされる。

 しかしゲルダは斬撃軌道が自在の剣を前に落ち着いていた。

 『飛龍』に弱点があるとすれば、狙った場所に青龍の視線が固定されてしまっている事だろう。もう少し研鑽を積めばそのような弱点を克服出来たであろうし、もしかしたら見当違いの場所に視点定めて相手を幻惑させる事も出来たのかも知れない。

 だが、既に技は発動し、現在の青龍の力量では一度の軌道変更が限界であった。

 ゲルダの首を狙った小太刀は『水都聖羅』に容易く受け止められたのだ。


「ぐっ?! 流石は吾郎次郎殿!」


「逃がさぬ!」


 退こうとした青龍であったが鍔迫り合いの恰好のまま離れる事が出来ない。

 青龍の動きに合わせてゲルダが押し込んできたからだ。


「は、離れぬ! これは面妖な」


 今度は逆に押し込めようとするが、ゲルダはそれに合わせて引く。

 まるで磁石のように両者の剣が絡んで動く事は叶わない。


「吾郎次郎殿?! 何をした?! 此は妖術か?!」


「無礼な。ワシは剣の勝負に魔法は用いぬ。少女を喰らって得た怪力を自慢する貴様と一緒にするでないわ」


「お、おのれ!!」


 青龍はそれこそ怪力でゲルダを押し潰そうとするが、巧みに力を逃がすゲルダの技術に翻弄されるばかりであった。


「な、何故? 何故、刀が離れぬのだ?! 引くも押すも出来ぬ!」


 押すと見せ掛けて引こうとするもゲルダはそれに合わせて『水都聖羅』を小太刀から離さない。また逆も同様の結果に終わった。

 秘密は呼吸にある。

 ゲルダは勝負が始まってから相手の呼吸と自分の呼吸を合わせていたのだ。

 相手と呼吸を合わせる事に加えて、相手の構え、視線の向きなど諸々の情報から技の意図、発動の間合いを推理していたのである。これは相手の未知の技を読む事にも遣え、先程の『飛龍』も掠らせはしたが見破ったのも、この秘剣のお陰であった。

 秘剣。そう、この呼吸もゲルダが編み出した秘剣の一つである。

 泰然と構え、敵の技を悉く見切る事で相手の心に焦燥が生まれるのだ。

 そして今のはその応用で鍔迫り合いに持ち込み、敵の剣を絡め取ってしまったという訳だ。

 こうなったが最後、敵は追い詰められ、ついには焦りから自滅してしまう。

 その隙を突いて敵を斬る。まさに恐るべき秘剣である。

 また泰然と佇むゲルダの姿に、如何なる風雨もしなやかに受け流して折れることのなく凜と咲いている花の姿を連想してセイラから秘剣『花一輪』の名を与えられたという。


「くっ…化け物か」


「貴様に云われとうないわ。ほれ、せなに気をつけい。薔薇の生け垣に突っ込むぞ。その薔薇は一度魔物に変じたのを戻した特別製でな。ソレの棘は鋭くて痛いぞ? おまけに毒もあるでな」


「何と?!」


 青龍は思わず後ろを見るが、生け垣どころか何も無かった。

 その事に拍子抜けし安堵するが、その為に僅かに隙を生んでしまう。


「ほれ」


 なんとゲルダが不意に『水都聖羅』を引いたので青龍の体が前に流れてしまう。


「しまっ?!」


「終わりだっ!」


 体勢を整えようとする青龍であったが、それを見逃すゲルダではない。

 自分の背中に叩きつけるように振り上げた『水都聖羅』を、その反動を利用して振り下ろす。その切っ先は青龍の脳天から股間まで真っ直ぐに斬り裂いた。


「お、恐るべきは吾郎次郎…否、聖女ゲルダ…我ら四神衆、悉く斃されたり…」


 青龍は左右に両断される壮絶な最期を迎えた。


「今度こそ安らかに眠れ、風見六右衛門。さらばだ」


 ゲルダは青龍の屍を修復すると目を閉じてやる。

 そして魔法で指先に水を作り出すと口元を潤す。

 宣言通りに死に水を取ったのだ。

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