第52話 命をかけた一振りに魅せられ、空へ




 龍だ。龍がいる――!!


 天空の覇者、まさに王者。

 いつか辿り着かんと欲する高み。


 騎士達には悪いが、こここそが誉れ高き死に場所だ。


 絶望に染まる瓦礫の大地に、ただ一人、腹の底からこみあげてくる笑いをこらえて、剣を握る男がいた。

 冒険者クラン“龍へと至る道”のイゴール。

 満足のゆく死に場所を欲して冒険者を続けるなどという、もはや干からびてカビも生えないような古い思想の老害だ。

 妖精ドヴェルグが打った剣が黒の上に青を乗せて光る。


 <剣よ、俺の全てをもってゆけ>


 その刀身がマナを吸う。命の深層に染みわたるマナまでも吸いあげ、更に鈍く輝く。

 どこまでも強欲にマナを欲するのがこの剣だ。だからこそのとっておきだ。

 イゴールは近くのクー・シーを見た。龍は上空。古い言葉で<俺を憧れまで届けてくれ>と告げると、その思いを汲んだのか背に乗せてくれた。


 <ならばその生きざまに敬意を表し>


 クー・シーが駆け出した時、後ろからそんな古い言葉が聞こえた。

 振り返らなくても、剣に届けられたマナで分かる。

 白鉄騎士団の副団長エヴゲーニー・バルクライ・トーリ。伯爵家に生まれた本物の騎士だ。

 今日という日がなければ、決して交わることのない二人。身分も環境も思想も何もかもが違う二人。

 その二人のマナをドヴェルグの打った剣が吸う。

 ふと後ろで、この騎士が笑った気がした。


 上空の龍がそのマナの塊の息吹を放とうとした。

 その時、クー・シーに跨ったイゴールがその眼前に飛びこんだ。


 肉体的にはもうとうにピークを過ぎた年齢。衰えてゆくばかりの体だ。だが、それでもイゴールはたゆまぬ研鑽により身につけてきた技術、そしてこの気力とマナまであわせれば、自身の最高潮は今であると知っている。

 剣を構え、イゴールは高らかに笑う。


「おやっさん!」


 アレクセイがその特攻に気づいて叫んだ。


「憧憬よ、この命捧げにきた――」


 人間が人間である以上、龍になど届くはずもない。

 そんなことは分かっている。

 それでも夢を見続け、そこを死場と定めて龍へと至る道を進んできた男の剣が、今、龍へ向け――。



 だが、届くことはなかった。



 龍へと振りぬこうとした剣は、その手前で厚いマナの層によって阻まれてしまった。

 遠い。龍はそこにいるというのに遥かに遠い。それでもイゴールは微かに笑った。全身の筋肉が隆起する。

 龍の集めるマナと剣に宿るマナとが、ぶつかりあう。


 剣を中心に空間がひび入った。


 息吹のために集められていたマナが拡散してゆく。

 この一撃に命を懸けていたイゴールは、そこで目がかすみはじめた。体から命が抜けてゆくような感覚。

 まだだ。あと一撃だ。今なら届くはずなんだ。

 渇く。どうしようもなく渇く。

 龍への一太刀という渇望。あとほんの少しでそれが叶う。

 だが、体から力が抜ける。


 龍の前足がイゴールに向けて振り上げられた。



 <どこ? どこ? そこ、そこ>


 イゴールを粉砕する龍の一撃が見舞われる直前だった。

 落下する肉体を、ライヤの<かたい手>による精密射撃が捉えた。

 聖山で木々を引き抜いた砲網がイゴールの体を包み、弾き飛ばす。騎士の数人が網から伸びる綱を握り、マナを込めて引き寄せはじめた。


「言っただろう? 誉れ高き死場のためならばお断りだ、と」


 ライヤはそうつぶやいた後、胸の内で、だが――と続けた。


 お見事でした、イゴール殿。

 命懸けの剣によって、龍の息吹はひとまず防いだのだ。



 一方、アレクセイの頭上で今やっと空間が歪んだ。

 その歪みに龍が反応し、目が向けられた。でも、今のイゴールの行動に勇気をもらったアレクセイは、龍を一睨みした。

 ライヤが<守人人形まもりてにんぎょう>と名づけたその人形が落下してくる。


 それはこれまでのどの人形よりも、ずっと人間らしかった。ホムンクルスという言葉が頭に浮かぶ。

 小柄な体。真っすぐな目。あどけなさを残した顔。

 まるでアレクセイそのものだ。


 アレクセイという名の由来は“守る者”を意味する。そんな彼がこれまでどんな生き方をしてきたのか。名は体を表し、その血とマナを宿す人形にも受け継がれた。

 <守人人形まもりてにんぎょう>。

 これがライヤの最高傑作だ。


「オグレマゲ、俺の体をライヤさんに届けて」


 アレクセイは人形に手をかけて乗り移った。

 聖山で使ったまわる人形もだいぶなじんだが、これはそんなものではない。完全に自分自身の圧倒的な上位互換だ。

 本体から魂が抜けると、ふっと竿から外れた洗濯物のように、頼りなく崩れ落ちる。それをサーシャが支え、オグレマゲに託した。

 神鳥に乗る。翼が広げられる。


「サーシャ、ちょっと行ってくるね」


 アレクセイが龍へと目を向けた。翼を羽ばたかせると、ふわりと浮いた。

 無謀な戦いへと飛び立つ。


「ん……」

「って、なんでサーシャまで乗ってきてんの」


 飛び立った神鳥の上で、つい緊張感のない声をあげた。

 でも、いいか。二人ならきっとなんとかなる。そんな気がする。

 いや、もしかしたら二人じゃないかもしれない。色々あってライヤに相談をするのを忘れていたが、今思い出した。


「そういえば、サーシャの琥珀に住んでるあのおっさん、本当は切り札とか? あの人なにができるの?」

「うちで留守、番」


 そうだよね。留守番は大切だよね。子供達だけじゃ大変だもんね。


 ……期待しただけバカだったよ!


「じゃあ、やっぱり二人でやろう!」

「ん……っ!」


 龍に向かって、二人を乗せた神鳥が飛ぶ。

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