第34話 あの日を境にもう変わったのだと、上着と腕章が告げる
騎士団加入から数日が経ち、アレクセイは毎日くたくたになるまで訓練をしていた。
その他にも人形についてライヤと打ち合わせや、家に戻ればサーシャとマナのやり取り、魂を体から離してできるだけ遠くに行く練習などをしていた。
そんな日々の訓練。
アレクセイはマナを自分にこめることはできるが、対象が武器などに変わるとまったくできないままだった。
騎士達と共に訓練をしても身につかず、副団長のエヴゲーニーが個人的にレクチャーをしてくれたのだが、
「武器に意識を集中してみて。それでガツンという感じがあったら、こう、ズバっとやれるよ」
という、なんとも“強い兵士が優秀な導き手なわけではない”という格言の通り、まったく役に立たなかった。
サーシャにこのことを話したら、やって見せてと言われたので、試したところ……。
剣に意識を集中。
ガツンという感じがあり――。
そしてその場で倒れ込んだ。心配して駆け寄ってきたサーシャに抱き起されたのだが、
「意識を集中すると剣に乗り移っちゃうんだけど、どうしたらいいの?」
「そんな失敗の仕方初めて聞い、た」
と笑われてしまった。
そんなアレクセイは今街中を駆けずり回っている。
訓練と市民と触れ合いという二つを同時にこなすために、白鉄騎士団には車輪付きセダンチェアー業界に参入している。
この王都のあちこちで見られる人力車だ。街を離れる遠乗りなら馬車になるが、王都内ではこの人力車の方が圧倒的に数が多い。客待ちをしている走り手の姿なんかは、街の風物詩とも言える。
他の貴族は人力車を引くなんてことは絶対にしないが、白鉄騎士団は率先だってやる。
王都防衛のためには、街の構造は全て把握すべきだし、脚力を強化する<古い言葉>を使った訓練にもうってつけだからだ。
また一般の客にとっても騎士の引く人力車はとても人気だ。
上流階級からは護衛にもなるからと、指名制度を作って欲しいとの声もある。だが、市民の仕事ともらうはずのチップを騎士が奪うことになるので、客を乗せて走る以上のことはしていない。
この訓練は、常に籠が道に対して並行になるように調整しつつ、脚力をあげる<古い言葉>を使って走り、速度をあげても周りには細心の注意を払わなければならない。
それで地理まで覚えられるというのだから、本当に大した訓練だ。
とはいえ、疲れる。
これも本当に疲れる。
「お、小さい騎士さん。今日はセダンチェアー引きか?」
少し道の横で休憩していると、目の前のパンの露店から声がかかった。この下町の道は元冒険者の再就職先もそれなりに多く、この初老のパン屋も雰囲気からしてそういう経歴だろう。
なんとなく親近感がわくので、アレクセイは以前から収入があった時には必ずここのパンを買っているのだった。
「うん。もうくったくた。って、おっちゃん、俺まだ騎士じゃなくて騎士団の構成員ッ」
「あらあら、いいじゃないの。騎士って言っておけば」
パン屋のおっちゃんの後ろから、少し若い奥さんが顔を出した。
「ダメだって。貴族だって嘘ついたら、それだけで捕まるんだから」
「はいはい。じゃあ、お詫びに今夜のパンくらいサービスしちゃうからね。お仕事終わったら寄りなさい」
「おお、本当にありがと!」
「おう。売れ残りをやるだけだ、気にすんな」
なんとも気持ちのいい夫婦だ。
このパン屋とは冒険者時代からの既知だが、それ以外でも最近は街の中ではすごく声をかけられる。原因はもちろんこの白鉄の上着だ。
「小さな騎士さん、セダンチェアーよろしいかしら?」
と、不意に声がかかって、アレクセイは驚いて振り返った。
「こんにちは。短い間にアレクセイくんはずいぶん変わったね」
冒険者ギルドの受付嬢ダリヤだった。職員の中では受け付けは花形で、その仕事はなかなか難しいらしい。まだ新人だったアレクセイを“龍へと至る道”に紹介してくれたのも彼女だった。
アレクセイはダリヤに久しぶりの挨拶をすると、彼女を籠に乗せた。
できれば、ダリヤから解雇のことで謝られたくない。そんな気持ちがあったので、アレクセイは、
「そういえば、おやっさんって“剛の剣の猛者”とか呼ばれてました?」
と違う話題を振った。
「それはないよ。“剛”はイゴールさんよりも上の世代の剣士だしね。どうして?」
「うちの団長が“剛の剣の猛者”から訓練を受けたのかとか聞くから、おやっさんがそうなのかなって思って」
「団長さんの質問も不思議ね。でも、確か女性に敗北して剣を置いたという噂があったと思うわ。名前は知れ渡っていても、なかなか顔を見る機会はないのよね。一度会ってみたい人だったけど」
やっぱりライヤさんの勘違いか。なんか、あの人ってちょっとずれてる気がするんだよな。
アレクセイはダリヤに教えてくれた礼を言って、セダンチェアーを引いて走りだした。
だが。
「ごめんね。私が紹介したクランだったのに」
避けていた話題なのに、交差点で一度止まった時、ダリヤはいたたまれなさそうに、そう言ってきた。
責任なんて感じて欲しくないのに。
「ぜんぜん。気にしないでください。俺、入ったこと後悔してないですし。むしろ感謝してます」
「そう言ってもらえると、気が楽になるけど……」
「あ、それよりもおやっさん達のAランク昇格は、なんでダメだったんですか?」
アレクセイがまた話題を変えようとそう質問すると、わずかに間があった。
「Aランク昇格ってクランランクの?」
「はい。昇格が流れたから皆しょげてたって聞いたんですけど」
「“龍へと”に昇格の話はまだきてないわ。あそこならいつかはあるでしょうけど……」
…………。
アレクセイの顔から表情が消えた。
昇格の査定の話はなかった。
この事実に目の前が一瞬真っ暗になった気がした。
あの日、Aランクになれないのはアレクセイが原因だからだと言われ、解雇されたのだ。だが、これではそんな話をでっち上げてまで、アレクセイをクビにしたかったということになる。
「じゃあ、俺の勘違い、ですね」
アレクセイは軽く言って走り出した。
そんなに疎ましかったんだ。
嘘をついてまで追い出したかったんだ。
言葉にならない黒い感情が沸いてくる。
でも、そんな気持ちなんかもっていたくない。
嫌な心を風に乗せて流してしまいたくて、アレクセイは一気に走り抜けた。
冒険者ギルドの前でダリヤを降ろし、いくばくかのお金を受け取った後、アレクセイは早くここから離れようとした。
が、悪いタイミングは重なるものだった。
ギルドのドアが開くと三人の若い冒険者が出てきた。全員が腕に“龍へと至る道”の遠征用の腕章をつけている。出先でなめられないようにと、イゴールがマナをこめたクラン証だ。
体を強くする<古い言葉>が得意な斧使いの女戦士。
罠の解除や鍵開けの他に<古い言葉>での妨害も得意なシーフ。
マナの連携が器用で、だいたい誰にでもマナを渡し、支援できる軽戦士。残念ながらアレクセイだけは上手くできなかったが……。
この三人はただの元同僚ではない。
一緒に貸し家を借りて住んでいた同期。狭い部屋で一緒に暮らし、一緒に眠り、一緒に何度も夢を語った仲だ。
それなのにクビになったあの日、荷物を取りに行った時になにも言ってくれなかった三人。
「――ッ」
あちらも全員ともアレクセイに気づいた。
アレクセイとしてはこれ以上の禍根は残したくない。
無理に笑顔を作り、挨拶だけしておこうと、
「三人ともひさしぶり」
と手を挙げた。
だが、三人はあからさまに無視をして横を通り過ぎた。まるで誰もそこにはいないとでも言うかのように。
手を挙げたまま固まる。立ち姿もその心も。
役立たずとは、もう関わり合いたくないということなのだろうか。
挨拶すら許さないその背が思い出と一緒に遠くへと去ってゆく。
白鉄騎士団の構成員の上着。
“龍へと至る道”の遠征用腕章。
もうあの頃とは違うんだ。
いや、身につけているものが違うだけではないのだと、そう実感させられて、アレクセイは下唇を強く噛んだ。
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