第30話 サーシャの魂と語らう




「帰ってこないってなんで? なんか、俺変なこと言った?」

「ううん。でもボクのこと怖いで、しょう?」


 その質問に一瞬胸を貫かれたような気になった。

 幼い頃、アレクセイ自身も周りに感じていたことだ。自分だけがもっている禁忌の力。これを知られたらと恐れ、そしてもしかしたら皆本当は知っているんじゃないか、こわくて言い出せないでいるんじゃないか、そういう不安の中で生きていた。

 神父とシスターが気にしないでいてくれたことが、どれだけの救いだったか。アレクセイの語彙では言い表せないほどだ。

 サーシャもきっと同じだ。いや、アレクセイよりも、もっと大きな不安の中にいるのだろう。


「サーシャをこわいと思ったことはないよ」

「でも、キズビトだ、よ」


 アレクセイはただ首を横に振った。

 サーシャをキズビトと呼びたくないという思いがあった。その肌の模様が、人間の目には傷痕のように見えるからと勝手につけた呼び名だ。しかも傷なんて悪い感情がこめられてる。

 だから、サーシャの前ではキズビトという言葉を使っていないし、これからも使いたくはない。

 同時にサーシャにも自分をキズビトと呼んで欲しくはなかった。それはアレクセイの我がままなのだけど。


「サーシャはこわくない」


 サーシャにはそう答えるアレクセイがどうして悲しい目をしているのか、分からなかった。でも、なんとなくそれはきっと優しい気持ちからなのだろうと、そんな気がした。


「それに、覚えてない、の」

「覚えてないってなにを?」

「話すの苦、手。手をだし、て」


 アレクセイが両手を差し出すと、サーシャはそっと握った。手から伝わる体温が心地いい。だが、その心地よさはもっと深いところからだった。


「目、を閉じ、て」


 言われるままに目を閉じる。

 なにをしようとしているのか分かった。サーシャは見せたいのだ。

 アレクセイはこれまで憑依をした相手――魂が触れ合った相手の記憶を見たことがある。尤も憑依なんて危険な力は人間相手には間違っても使えないので、悪戯に記憶を盗み見たりはできないが。

 やはり思った通りだ。サーシャのマナが少しだけ入ってきた。


 魂がくすぐったい。


 憑依ができるアレクセイだからこそ理解できるが、今サーシャがしているのは、おそら<結び>のすごく弱いものだ。憑依と少しだけ感覚が似ている。きっと相手の魂に触れることが必要な力なのだろう。

 サーシャの魂と重なる。触れ合う。絡み合う。

 段々と強くなる浮遊感の中、アレクセイの意識はサーシャの中へと入っていった。


 やがて少し見えてきた。



 それはおそらくサーシャの最も古い記憶だ。


 場所はどこか分からない。

 ぼやけた視界にあるのはただ広がる草原。青々とした草が広がる土地で、サーシャは芽を出し、意識を手に入れた。本当に草以外には風と陽の光くらいしかないところだった。


 少しして同じ存在が立ち上がった。

 目がまだぼやけているが、肌に同じ模様があるのはよく分かった。


 この後、戦争が起きるのだとアレクセイは思った。

 歴史ではこの大陸の半分を焼き尽くすほどの、大きな戦争が彼らによって起こされる。


 サーシャの仲間が振り返った。長身のサーシャと同じくらい背の高い男性だ。どうやら他にも男性が起き上がったようだ。

 また一人、二人、と続いてゆく。



 ――そこでサーシャの記憶は消えた。


 次につながったのは、ただ歩いている状態だった。最初の記憶からどれくらいの時が経っているのか分からない。だが、歩いているのは草原ではない。道だ。

 しかも、この道はなんとなく見覚えがある。今とは景色は少し違うが、ここ王都につながる西の道だ。

 王都が見えてきた。

 世界の半分が焼かれたのは、建国よりもずっと前のことだ。おそらくサーシャの記憶はその間の数百年程抜けている。


 記憶の映像はそこで止まった。


 <覚えてないの>


 古い言葉が魂の一部を震わせるようにして届いてくる。


 <ボクも戦争を起こした一人なのかも、人を殺したのかも、思い出せない>


 確かにこの魂の記憶はだいぶ空白だ。


 そこからサーシャの感情が津波のように押し寄せてきた。

 不安。恐れられているという自覚。怖がられていることが怖い。他人の目が怖い。

 怖がらせるつもりない。誰かを傷つけるつもりもない。でも、自分が本当に危険ではないとは言い切れない。怖がられている通りの化物なのかもしれない。自分でも分からないことが怖い。


 この他者を支配する力もだ。


 サーシャは<支配>を望まない。ずっと<弱い支配>、<自由のある支配>などの古い言葉を選んで使ってきた。でも、まるで合唱の中で一人だけ違うキーで歌っているかのような、そんな違和感、溶け込まなさを感じていた。

 だから、アレクセイがあの聖山で<結んで>と、この力をそう言ってくれたのが本当にうれしかった。



 そんな風に受け取ってくれたんだ――あの時のサーシャの気持ちがあたたかさとなって流れてきて、アレクセイも嬉しくなる。

 誰かの<古い言葉>を考えるということは、その誰かのことを考えることと同じだ。やっぱり<結ぶ>を選んでよかった。

 だが、すぐに不安と怯えと申し訳なさが、身を震わせる冷たい風のようにアレクセイの魂へと吹き込んでくる。


 でも、アレクセイもきっとこわいはず。

 助けてくれた。

 <結び>と言ってくれた。

 恩返しがしたい。

 そんなアレクセイだからと、<結んで>いる子達を見せてしまった。でも、<支配者>の能力でこわがらせてしまった。出ていってしまった。もうここには戻らないのかと思った。


「いや、それは誤解だよ」


 アレクセイが声を出すと、二人とも現実に戻ってきた。目の前にサーシャがいる。サーシャも目を開いた。


「怖がって帰ったわけじゃないよ。お世話になってた人にあいさつに戻っただけ。何度も言うけど、俺はサーシャがこわいとは思わないから」

「で、も……」

「俺さ、ライヤさんに聖山でサーシャのことを少し聞いた時、俺と一緒だって思ったんだ」


 さっき感じていたサーシャの感情が痛かった。

 本当に自分と一緒だ。


「禁忌だからね、俺。生まれてきちゃダメって存在だから」

「そんなこ、とッ!」

「うん。ありがとう。でも、そう言ってくれるサーシャも絶対にそんなことない。昔のことは俺にも分からないけど、今のサーシャはこうしてここで子供達を守りながら暮らしていたり、あの少年兵達を命がけで救ったんだ。俺にはそのサーシャがすべてだよ」


 アレクセイの声はやわらかい。が、目線は真剣だった。


「優しい」「優しい、ね」


 と、二人の声が重なった。お互いが相手に対して同じことを言おうとしたようで、驚いて二人ともきょとんとしてしまった。けど、なんだか少しおかしくなってきて、顔をあわせて小さく笑った。


 ここでどんな言葉をかけても、サーシャの不安はきっと解決しない。

 白鉄騎士団でもサーシャは大切にされているのは分かったが、それでも不安は消えないのだから。

 ただ、それでもアレクセイは絶対にこわがってないこと、自分の存在否定を見せられるのは悲しいことだと伝えたかった。

 そう思う人間がここにもいるんだ、と――。


 きっとそれはほんの少しだけは伝わったんじゃないかと思う。

 魂での語らいがなくても、サーシャのやわらかくなった顔を見ると、そんな気がする。


「あー、あのさ、サーシャ。ちょっとお願いがあるんだけどいい?」

「ん」

「マナの連携、俺あの時初めてできたんだよ。これまで誰とやってもできなかったのに、サーシャとは一回でできて、すっごく嬉しかったんだ。それで、マナの連携の練習一緒にやってもらえないかな?」


 サーシャはゆっくりとうなずいた。

 アレクセイが「おお、よかった」と喜んでいると、


「じゃあ、ボクからもお願、い」

「ん?」

「<結ぶ>を使う時、の古い言葉、一緒に考えて欲し、い」


 もちろんアレクセイは喜んでうなずいた。

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