第6話 ローディング
目を覚ますと、懐かしい空間が広がっていた。俺が使っていたベッドだ。そこから見える景色はなにも変わっていなかった。綾ちゃんが心配そうに俺を見ていた。
「みつき君、大丈夫?」
「ごめん、大丈夫。迷惑かけちゃったね」
「ううん、私びっくりしてなにもできなかった。全部佐々木さんがやってくれたの」
「え??」
「ごめんね、疲れているのに、びっくりさせちゃったかな。軽い脱水症状みたいだよ」
「佐々木さん、お医者さんなんだって」
「勝手に家にあがっちゃって悪かったね。これ飲めそう?発熱も無いみたいだし、点滴は必要ないと思う。ずっと運転していたんだって?」
その男は俺が使っていた彩ちゃんとお揃いのカップを渡してきた。もう自分の所持品のように扱うのか。カッコよくて、身長が高くて、おまけに医者らしいそいつから、奪うようにカップを取り返した。
「ありがとうございます。お医者さんなんですね」
「はい、こう見えて医者です!みつき君のことは、さやちゃんがよく話してくれるから、いつか会ってみたいと思っていたんだよ。会えて良かった!」
「さやちゃんなんて呼んで、ずいぶん仲が良いんですね」
「あ、ごめん。不快だよね。さやさんとは長いから、つい癖で」
長いとはどういうことだ。ああ、そうか、こんなゲームが始まる前から、彩はこの男といたのか。なんだ、そのためにこのゲームを始めたのか。結局俺に気をつかって、自然に別れることができるようにやったことだろう。会いにきたのが間違っていた。
「本当はすぐに連絡しようと思っていたんだけど、彩ちゃんに絶対黙っていてほしいっ言われてさ。みつき君心配するだろうし、みつき君SNSもやらない派って聞いたからさ。それでこの家に来たついでにみつき君の連絡先が見つからないかなって探していたんだ。だから、ちょうど良い所に来てくれたよ」
「なんて連絡するつもりだったんですか?お前の女はもらったとか、俺の勝ちだとか、そんなことが言いたかったんですか?さすがお偉いお医者様ですね、いいですよ、帰りますよ」
かなり、攻撃的な姿勢の俺に綾ちゃんは怯えていた。こんな姿は見せたくなかったが、感情がおさまらない。こいついが彩を奪った男なのだから。
「帰ってもらおうなんて思っていないよ。みつき君は何か勘違いしているようだけど」
「もういいですって、出ていってくださいよ。それが無理なら俺が出て行きますから」
「みつき君、違うの。話を聞いてあげて、私たちひどい勘違いをしていたみたいなの」
綾ちゃんは泣いていた。
「驚いた。本当にみつき君はなにも知らないんだね。ごめんね、一からちゃんと説明する必要があるね。彩ちゃんは今、危険な状態なんだ」
「え?どういうことですか?」
「彩ちゃん持病が悪化して、今は僕の病院で入院中なんだ。本当にギリギリの状態だから、みつき君に伝えようと思っていたんだ。遅くなって本当にごめん」
彩が病気だなんて聞いたことがなかった。この人はなにを言っているんだ?
「本当なんですか?冗談でも怒りますよ」
「本当だよ、まさか、持病のことも聞いていない?」
「聞いたことないです」
「高校の時から付き合っているって聞いたんだけど?」
「はい。まさか、高校の時からどこか悪かったんですか?」
「ううん、もっと前だよ。僕のところに来たときは、まだ中学生だった」
みのりさんは丁寧に説明してくれたが、放心状態でほとんど頭に入ってこなかった。彩は生まれつき心臓が弱かったらしい。ほとんどの場合、中学生になる頃には正常になるようだが、彩は悪化した。中学生活の半分以上を病院で生活をしていたらしい。みのりさんはその頃から担当していたという。高校生になってからは月に数回通えば大丈夫というほどに回復していたが、それでも完治というところまでにはいたらなかった。
「彩ちゃん、中学生までは病院と学校を行ったり来たりで学校に馴染めず、暗い性格だったんだよ。両親が離婚したのも重なって、本当に見ていて辛かった。でも、絶対に高校生になったら普通な生活を送るんだって、頑張っていたんだ」
俺はまだみのりさんの話が信じられなかった。信じたくない、俺は彩のことをなにも知らなかったてことじゃないか。こんなこと、6年も一緒にいたのに、なんで気づいてあげられなかったんだ。
「彩ちゃんはさ、高校に入って変わったんだよ。一年の時に、男の子に声を褒められたって、すごく喜んでいた。激しく動くことができないから趣味で始めた絵をすごく上手だって言ってくれたって。将来はこれを職業にしたいと思うって。毎回本当に嬉しそうに話すからさ、僕も今でも覚えているんだ」
みのりさんも涙を浮かべて話していた。どうやら本当らしい。今の話が真実で、俺だって鮮明に覚えているのだから。
「でも、そんなこと、一度も聞いたことないです」
「誰にも知られたくないって、特にみつき君には知られたくないって、言ってた。だから、みつき君が知らないのも無理ないよ。まさか本当に知らなかったとは、びっくりだけど。みつき君のせいじゃないよ、やっぱり彩ちゃんが凄いだけなんだよ」
「俺は、なにも知らずに、ずっと一緒にいたのに、一回もそんな様子は見せなかった」
「あ、だからか、だからSNSもやっていないんだ。本当に自分を隠すために、彩さんは自分を隠すためにやっていなかったんだね」
「そうそう、みつき君のことも、私みたいにSNSやっていないふりをしているけど、実は私に隠れてみている気がするって言ってた」
「なんだよ、彩ちゃんも俺に隠れてやっていたじゃないか」
また綾ちゃんが空気を変えてくれた。落ち着くことができた。綾ちゃんはコーヒーでも飲もうと、部屋から出て行った。みのりさんと2人きりにしてくれた。
「彩は今どうなっているんですか」
「うん、去年の10月にね、悪化したんだ。確か、みつき君が就活真っ只中だって言っていたような」
「はい、そうです。その時に?」
「うん、実はその時に一度手術をしたんだよ」
「え?」
「その時にさすがに、みつき君には伝えようと思ったんだけど。彩ちゃんに絶対ダメだって止められて。もう二度とみつき君の邪魔はしたくないって。みつき君は私のために第一志望の大学を諦めたから、就活はなにがなんでも邪魔したくないって」
「そんな、違う、あれは彩のせいじゃないって。そんなこと思っていたなんて」
「それから、残念ながら回復は難しいだろうって。もうできることはやり尽くした状況なんだ。そのことを12月に彩ちゃんに伝えた。相当ショックを受けていたよ。だからその時にも、みつき君に伝えようって言ったんだ。そしたら、みつき君が有名企業に就職が決まったんだって。これから東京に行くのに、そんなこと言えないって。」
「なんで、みのりさん、最低ですよ。それでも医者ですか、俺はそれでも言って欲しかった。そんなことわかっていたら、東京になんて行かなかった、就職なんていつでもできるんだから。俺は彩とずっと一緒にいたかったのに。あんたはなんで黙っていたんだよ。今頃になって伝えてきて、もう手遅れの状況なんだって、なんですかそれ。ふざけないでくださいよ、患者の思いを理解してあげられるのは立派な医者かもしれませんが、それで周りの人が傷ついても良いんですか?俺はそんな奴が医者なんて認められないです。本当に最低です」
「本当に申し訳ない。みつき君の言っていることはもっともだよ。俺も今になって後悔しても遅いが、もっと早く伝えるべきだったと思っている。患者の危機を、患者の大切な人、患者を大切に思っている人に伝えることができないなんて、医者失格だ。今更だが悔いているよ。本当に申し訳ない」
みのりさんは土下座をしたまま顔を上げなかった。ずっと泣いていた。言いすぎたとは思わない。今になってこんなこと言われたってどうしようもないじゃないか。でもわかっている。彩はそんなやつだ。なにを考えているのかわからない言動をとるが、何かそれが正解のように思えてくる。彼女の妙な説得力にみのりさんも負けたのだろう。
「すみません。感情的になりすぎました。みのりさんは、俺よりも前から彩の魔法にかかっているわけですもんね。今まで彩を助けてくれていたんですもんね。俺一度、彩と大喧嘩したことがあるんです。もっと両親を大事にしろって言われて、父もいなくなって、母も亡くなってしまった彩に、お前が両親とか語るなって。わかったようなこと言うなって。最低なことを言ってしまったんです。でも、彩は本当の父はいなくなったけど、私にだってまだ父はいるんだって言っていたんです。なにを言っているかわからなかったけれど、あれはみのりさんのことなんですね、きっと。彩を支えることができるのは俺だけだと思っていたけど、本当はみのりさんがいたんですね」
「違うよ、俺はなにもしてあげられていないよ。彩ちゃんを支えていたのは間違いなく君だよ。みつき君」
「俺、彩に会いたいです合わせてください」
「うん、もちろんそのつもりだよ。でも、今はコロナの危険があるから、面会ができない状態なんだ」
最近ニュース番組で見た。コロナの影響で、入院患者に会えない家族がいると。直接会って面会をすることができないため、カメラを使って会話をするらしい。なんとなく見ていたそのニュースの映像が蘇った。
「まさか、会えないんですか?」
「いや、俺がどうにかする。俺がしてあげられることは、もうそれくらいだから。彩ちゃんには怒られるだろうけど、綾ちゃんもみつき君も絶対に彩ちゃんに会えるようにする」
「ぜひ、お願いします。彩に会わせてください」
俺たちは特別にPCR検査を受けさせてもらい、2人とも陰性だと証明されたそれから、みのりさんが手配してくれて、どうにか明日、短い時間ではあるが彩に会うことを許可してくれた。
彩に明日俺たちがくることを伝えると、怒られたが、くると思ったと。会ってくれるとのことだった。
「今日は長かったね、まさかこんなことになるなんて。みつき君大丈夫?」
「大丈夫なわけないよ。彩ちゃんも、みのりさんも、こんなことを隠していたなんて、本当に許せないし、いきなりこんなこと言われて整理もできていないよ」
「そうだよね、辛いよね」
「でもさ、今はやっと彩に会えることが、なんか本当に楽しみなの。もう二度と会えない気がしていたからさ。会えることがとにかく嬉しいんだ」
「私も、彩さんに会えるのがすごく楽しみ。私のこと認めてもらえるように頑張る」
「認めてもらうって。結婚するわけでもないんだし」
「みつき君の親に挨拶する気分だよ」
「もうしたじゃん、難なく二票もらってたじゃんか」
綾ちゃんとのふざけた会話のおかげで、緊張がほぐれてちゃんと眠ることができそうだ。明日ついに彩に会う。このゲームも終わる。みんなで笑うんだ。
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