第4話 エラー

2020年6月5日

 彩からの電話が無くなってから一ヶ月たった。LINEには反応するが、電話には出ないことが続いた。そして今日、ついにはLINEにも反応しなくなった。仕事が忙しくなったらしい。俺はそわそわしていた。それまで、彩はゲームの進展を順調そうに語っていた。そして、最後に電話をした日、夜21時ごろだ電話の後ろから声が聞こえたのだ。

「さやちゃん、そろそろ時間だよ」

 俺以外の男が「さやちゃん」と呼ぶのを初めて聞いて、まともじゃいられなかった。おそらくこの前言っていた例の年上の男なのだろう。一体、なんの時間だというのだこれから何が始まるというのだ。想像しただけで気持ちが落ち着かなかった。彩は最近電話をする際、カメラをオンにしなくなった。電話をする時間も短くなっていった。明らかに俺の住んでいた場所ではない音も聞こえた。この一ヶ月で彩の生活は良いか悪いか大きく変化しているのだろう。

 でも、「仕事が忙しくなってきた」と電話で伝えてきた彩は嘘をついていると思う。彩が俺の嘘を見破れるように、俺も彩の嘘を声で見破れる。咳払いを二回した後に、何かいつもとは違う引っ掛かりのある声を出すのだ。ストレートで綺麗な空気のような声の彼女が、嘘をつく時だけ何か重いものに包まれているような声を出す。電話では伝わりにくく、たびたびそんな声で話す時もあるのだが、俺はその時だけははっきりと、その重い声を拾った。

 彼女は忙しいのが苦手だからこんな生活をしたくて、絵を描く技術を磨いたと言っていた。そんな彼女が仕事を忙しくすることなんてなかった。

 なんでそんな嘘をつくのだろう。

「それで、何か隠しているのかなと思って」

「何を今更、彼女はお前に隠し事しかしていないだろう」

 今日は光さんの家で仕事をすることになっていた。ついでに相談に乗ってもらっていた。光さんは仮にも仕事中だと言うのにハイボールを飲んでいた。

「ゲームのルール上、お互いの状況は報告し合うことになっているじゃないですか、だからその他のことで何か隠しているんじゃないかと思って」

「ゲームが成り立っていないんだから、ルールもクソもないだろ。そもそも、彼氏でもないお前に何を隠したって彼女の自由だろ」

「だから、まだ付き合っているんですってば!どっちの味方なんですか

「俺は正義の味方だ。どっちの悪にも味方はできない」

「なんですかそれ」

「綾ちゃんとはどうなっているんだ?」

「まあ、普通ですよ。今も俺の家で仕事しています」

「綾ちゃんには、このゲームのことをまだ言ってないのか?」

「言えるわけないじゃないですか」

「可哀想なことをしているとは思わないか?」

「思いますよ。だから早くゲームを終わらせたいんです」

「だったら、早く告白したらいいじゃないか。お前の話を聞いていたら確実にOKをもらえると思うぞ」

「いや、それが」

「わかるよ。お前さ、綾ちゃんのことも好きになってきているんだろ。元々はそんな気がなかったのに、ゲームのための手段に過ぎなかったのに、だんだん好きになるのが怖いんだろ。お前がこのゲームに勝つとき、彼女が1番傷つくからな」

 光さんの言う通りだ。俺は綾ちゃんを好きになっていた。今は彼女を傷つけることを恐れて付き合えずにいる。綾ちゃんからも俺に告白する気はないようだ。だから、現状維持を続けるしかなかった。

「そんなことないですよ。俺が好きなのは彩ですから」

「なんで認めないの?俺はさ、もう綾ちゃんと付き合った方がお前は幸せになれると思うんだよ。そしたら向こうだって、新しい相手とうまくできるさ。お互いの幸せを考えたらそれが正解なんじゃないの?」

「そんなの俺は望んでないです。俺にとっての幸せは彩と結婚すること一つです」

「なんでそこまでこだわる?彼女以外にも良い女はいるってわかっただろ?人の感情を弄ぶようなそんなふざけた女よりも、綾ちゃんの方が良いに決まってる」

 彩のことを馬鹿にされたことに腹がたった。

「酔っ払いは黙っててくださいよ、彩のこと何もわからないくせに随分なこと言いますね。どうせ他人事だと思ってるわけでしょ、良い先輩だと思われたらそれでいいとか思っているんでしょ。俺のことわかってくれる唯一の人だと信用していたのに残念ですよ」

 突如、頭が揺れた。光さんは俺の顎を真っ直ぐに殴った。

「残念なのはお前だよ。お前のその感じが最初から気に食わないんだよ。許せないんだろ、自分の信じていたものが、目指していたものが全く違うものだったことが。立派な人生設計だよな、沖縄から東京に出て、有名企業に就職して社会人一年目で、高校から6年間付き合っている彼女と結婚して東京で暮らす。今じゃ何も成功していないもんな、彼女には振られて有名企業に就職できたと思ったらいきなり小さい別の建物に飛ばされて、東京の生活はコロナで全く楽しめない」

 そうだ、全てダメになった。全部、俺のせいじゃないのに、俺の人生設計は他人にめちゃくちゃにされてきた。

「そうやって優秀ぶって周りを馬鹿にしているんだろうが、東京に来ただけで成功者を気取っている若者なんて沢山いるぞ。ダサいんだよ、地元に帰ったらここでの暮らしを自慢するんだろ?お前は他を見ようとしない。だからSNSに興味がないようなふりをしているが、お前のはただの世間知らずだ。ネットで調べようともせず、すぐに誰かに頼ろうとする。でも大人が嫌いだからとりあえず自分でなんとかしようとする。ずっとそうやってきたんだろ。わかっただろ、設計通りにいかないのが人生だ。お前の人生が狂うのはお前だけの原因じゃないがそれだけで何もかも失ったようなフリをするな。計画を変えながら理想にしていくんだ、折れることも重要だ。どんどん計画を変えていくのは理想から外れて怖いかもしれないが、それでも皆んな耐えているんだ。お前みたいなやつはそれを妥協と呼ぶんだろうが、妥協じゃない、英断だよ。もっと外を見ろ、自分以外に興味を持て。今のお前は、自分自身どころか周りの奴まで傷つける。クソだ、本当残念だよ」

「悪かったです。すみません」

「そんなペコペコした態度も嫌いだ。第一、あんなことがあってもこのゲームを続けようとするお前が怖いよ」

 心配した美桜さんが部屋にやってきた。そのタイミングで、お酒を買ってくると光さんは出て行った。

「ごめんなさい、僕が悪いんです」

「ごめんね、本当は光さんあなたのこといつも心配しているの」

 ここまで大人にしっかりと怒られたのが初めてだった。言われたことを言われた通りにこなしてきた俺に怒ってくる大人はいなかった。そして、嫌いな大人からは逃げてきた。こんなにはっきりと自分を否定されたことが悔しかったが、それ以上に嬉しかった。全て的を得たことを言われて、反論の余地もなかった。

「いいえ、はっきり言ってもらって助かりました。目が覚めました」

「本気の時は感情的になっちゃうの。ごめんね、美里さんのこともあったし」

「美里さん、あれからどうですか?」

「うん、元の美里さんに戻ってきたよ」

「よかった」

 光さんが「あんなこと」と言ったのも美里さんのことだろう。先週、衝撃的なことが起きた。

 


 もう少し自宅での仕事が続くことになり、俺は職場に追加のデータを取りに向かっていた。時刻は23時を過ぎていて、職場は閉まっているはずなので本社によって鍵を取りに行く必要があった。本社に行くのは久しぶりのことで、ビルの高さに改めて驚かされた。数年頑張ればここで働くことも可能だろうと希望を抱いていた。

 警備員に鍵を借りたいと伝えると、ついさっき誰かが使うと言って持っていたらしい。誰かが使っているのなら、入れ違いになっても面倒なので急いで職場に向かった。職場の電気は消えていた。誰かと入れ違いになってしまったと思ったが、鍵は開いたままだった。中に入って確認したが誰もいないようだった。とりあえず、自分のデスクから荷物を取ろうと思い作業場に向かったが、美里さんのデスクの上に鍵が置いてあるのを見つけた。美里さんが鍵を置いて出て行ってしまったのか、美里さんらしいな、そう思って鍵を拾ったのだが、イスの上にハイヒールが置かれているのを見つけた。靴まで置いていくなんてどこまでおっちょこちょいなんだと思ったが、ふと嫌な予感がした。

 急いで入ったことのない屋上に行き、扉を開けると美里さんがいた。

「みつき君!何してるの、こんな時間に!」

 いつもの明るい声だ。

「美里さんこそ何しているんですか、もう、びっくりさせないでくださいよ」

「みつき君には関係ないよ」

 美里さんはゆっくりフェンスに近づいていった。俺はとっさに美里さんに駆け寄って腕を引っ張った。引っ張った腕は傷だらけだった。

「まただよ、また男に騙された。なんで男ってのはセックスしか興味ないの」

「どうしたんですか」

 美里さんは俺に抱きついて泣き出した。泣きながらずっと謝ってきた。香水の良い匂いとアルコールのきつい匂いがする。いつもはふざけて、男ができないと嘆いて笑っている明るい美里さんとは別人のようだった。こんなに傷ついているとは思わなかった。とにかく、どこかに移動した方が良いと思い、俺はここから近い光さんの家に向かうことにした。事情を説明したら車で迎えにきてくれた。光さんの家に着いたときには美里さんは眠ってしまっていた。

「何考えているんだ、ふざけんな」

 光さんは美桜さんに止められながらも、美里さんを乱暴に起こして怒鳴った。

「こいつが来なかったら本当に死ぬ気だったのか?なんでいつもそんなになるまで1人で抱えるんだ。全く、冗談じゃないですよ」

 ここまで怒っている光さんを見たのは初めてだ。美里さんは弱々しい声で「ごめんなさい」と繰り返した。そして何があったか教えてくれた。

 俺も使ったマッチングアプリを美里さんも使っていたようだ。見た目の美しい美里さんはかなりマッチしていたらしい。でも寄ってくる男全てが会ってみると身体を求めてくるらしい。そんな男に会うたびに手首に傷が増えていったようだ。でも、今回は違うと言う男を見つけて、一ヶ月くらい良い感じが続いたらしい。そして、今日大事な話がしたいと言われて会いにいくと、予想通り告白された。もちろんOKを出したが、その次にはホテルに行こうと言われたらしい。今回は違うと信じた男も結局身体目的だと言うことに傷ついたという。まだそういった関係になりたくないと伝えると、男はあからさまに残念そうな顔をして「じゃあいいわ。ここもちゃんと払ってよ」と言ってお金を半分出して出て行ったらしい。確かにひどい話だ。その話の流れで美里さんはこんな話もした。

「え、じゃあ美里さんが僕をあの職場で採用にしたんですか」

「はい。本当にごめんなさい。本社の採用担当の人と履歴書を見て、新しい社員と付き合えるかもとか軽い気持ちで話していて、この子とか良いねってみつき君のを指さしたんだけど、本社の人がそれを真に受けたようで」

 正直ふざけるなと思ったが今はそれどころじゃなかった。

「私、もう結婚できるのも今年までかなとか考えてるの。若くないから焦るの、でも男は身体しか求めてこない。女の気持ちなんてわかろうとしない」

 そんな奴らは男として最低だと思ったが。自分に言われているような気もした。俺がやっていることはそういうことだ。自分の利益のために人の気持ちを考えずに利用している。



 恋愛に対してそこまで考えることができていなかった。ただなんとなく、好きな人と早いうちに結婚できたらいいなとその程度だった。もっとちゃんと人と人とが恋愛関係になるということを考えるべきだった。あの日以降、綾ちゃんに対してどう接するべきかわからなかくなってきた。このまま、ゲームを続けることは、たとえ勝ったとしても、綾ちゃんを傷つけることになるし、第一俺も本気で喜ぶことはできないだろう。今の俺には、綾ちゃんを傷つけて自分だけ幸せになろうなんて考えきれなかった。

 彩と連絡が取れなくなった今、このゲームが続けられるのかすらわからない。彩がどんな思いでこのゲームを提案したのかはわからなが、ちゃんと向き合わなきゃならない。もし、俺に話した通り、2人とも他の人を経験した上で結婚するか考えよう。という意図なのであれば、このゲームは間違っているということをしっかり話すべきだ。

 もし、俺と別れるための口実なのであれば、そんなゲームを始めさせたことも含めて受け入れるべきだ。俺はそろそろ、彩離れをする時期だったのかもしれない。本当に彩の幸せを願うのなら、彩の気持ちを受け入れて、俺も新しい人との幸せを目指すべきだ。光さんの言葉、美里さんの想いを聞いて俺は初めて覚悟を決めることができた。

 

 ちゃんと彩とお別れする。


 その前にだ、綾ちゃんいは悪いことをした。このゲームのことも、ちゃんと話さなくてはならない。そして、彩ちゃんともこれっきりにしよう。こんなに俺を支えてくれているのに、自分の幸せを優先して利用してしまっていたのだ。俺は綾ちゃんと付き合う資格がない。どう思われたって良い、綾ちゃんにはしっかりと話をして謝るべきだ。俺にはその責任がある。

 電話がなったのは、光さんの家を出てゆっくりと歩きながら家に向かっているときだった。番号は、俺が沖縄で住んでいた家の固定電話からだった。

「もしもし、さやちゃん?」

「みつき?私です。」

 母だった。どうして母が、俺の住んでいた家は知らないはずだ。大学に入って以来、ほとんど連絡をとっていない母から電話が来た。

「何?」

「何じゃないわよ、あなた今東京で就職しているって聞いたわ。さやちゃんを置いて何してるの。さやちゃんは今東京にいるの?」

「は?誰から聞いたんだよ、まずなんで彩のこと知っているんだよ」

「彩ちゃんから全部聞いてるのよ。東京に行ってからじゃない、大学時代もあなたが家を出ているときに彩ちゃんと会っていたの。そしてあなたのこと聞いていたの」

 そんなことは知らなかった。彩からそんな話を聞いたことはなかった。

「私もお父さんも、あなたに悪いことしたなって思ってるの。東京に行けば人生が変わると思い込んでいるあなたをどうにか留まらせたくて。それでも、あなたの自由を奪ったことは反省している。本当にごめんなさい。でも、黙って東京に行くことないじゃない、そんなことしたら本当に家族じゃなくなってしまいそうで私・・・」

 電話の向こうで母が泣いているのはわかった。俺も泣いているのがバレないよう、必死に声を殺した。両親には捨てられたものだと思っていた。まさか彩が俺と母の間にいてくれたとは思わなかった。俺と両親の空白の4年間を、彩がつなげてくれていたなんて。光さんに言われたこともあり、俺は初めて素直に心を開くことができた。

「ごめん、俺もガキだったよ。無理に東京に行くことにこだわっていたよ。2人のことも考えずに勝手に東京に出てきてごめん」

「いいの、私たちが悪かったの。子供はあなた1人だから、過保護過ぎたのかもしれない。今は私たちちゃんと応援してるから」

 母の言葉は嬉しかった。もう俺が泣いていることはとっくにバレただろう。それから、空白の4年を一瞬で埋めるかのようにこれまでの話をした。ほとんど髪はなくなってきたが、父も元気らしい。久しぶりの母との会話はとても懐かしく、暖かかった。本当は母と話すことを求めていたのかもしれない。

「それでね、みつき、さやちゃん最近家を空けているみたいだけど、もしかして東京で一緒にいるの?この前料理を教えて欲しいって言ったきり連絡取れなくて」

「え、彩はそこにいないの?」

 もう、理解できた。彩は完全に他の男を見つけて一緒に暮らしているのだ。それで、新しい彼氏に俺と連絡を取るのをやめさせられたのだ。ゲームから逃げたわけじゃない、彼女の勝ちなのだ。

 泣きながら見た夕焼けが、部活終わりのキラキラした記憶を呼び起こした。最後にもう一度会いたかったな。


2020年6月5日 大上 綾

 帰ってきた彼はボロボロに見えて、思わず抱きしめた。また、怒られるかもしれないがそうした。彼は途端に泣き出した。私も耐えられずに泣いた、お互い何も喋ることができずにひたすら泣いた。

 ひたすら泣いた彼が言った。

「綾ちゃん、明日時間ある?話したいことがある」

 今でもいいのに、きっと真面目な話なんだろう。内容はわかっている。私、振られるんだ。まだ付き合ってもないのに、振られるんだろう。大丈夫、覚悟はできている。

 彼と出会って二ヶ月ほど経っていた。ほとんどこの部屋で生活をしているが彼はそれを認めてくれている。ついに彼氏ができたと母も喜んでいるが、彼氏じゃないとは言えていない。家事は全部私がやろうと率先して行うのだが、彼も手伝ってくれる。そして、抜群に料理が美味いのだ。東京に来るまでは彩さんと同棲していたようだし、きっと向こうでも2人で家事をして、2人で料理をしていたんだろう。

 彼が綾ちゃんと呼ぶようになってくれたのが嬉しかった。そこで少し彼との壁が崩れたのかなと思ったけど、他は何も変わらなかった。「名前が二文字の人って、ちゃんをつけて呼んじゃうんだよね」と言っていた。かわいい、お母さんこの名前をつけてくれてありがとう。私は自分の名前を好きになれた。きっと彩さんのことも、さやちゃんと呼んでいたのだろうな。

 彼と一緒にいる間は、私は彩さんの代わりでしかない。いや、代わりにすらなっていない。彼の中では、同い年の女の子と仲良くなって、他に友達もいないので、たまたま一緒に過ごしているだけなのだろう。彼は私についてそこまで深く知ろうとすることはなかった。私は彼のことがすごく気になるのに。でも、それでいい、私はこれで幸せだ。

 先週、親友が私の話を聞いて本気で怒ってくれた。「綾はもっとちゃんとした男と付き合うと思ってた。ダメな男を好きになっても傷つくだけだよ」と。付き合ってはいないし、ダメ男でもない。そこに傷つく。彼は全然ダメな人間ではないのに、今の状況を言葉にした瞬間にダメな人間に聞こえるのだ。一緒に暮らすほどの関係なのに、恋人になることはない。私の気持ちだってわかってくれているはずだ。元カノの話をよくするし、私に隠れて電話したりする。確かに、女たらしの優柔不断なダメ男そのものだ。それでも彼を嫌いになれない。何か1人では抱えきれなに何かを私に隠している気がする。彼女でもないし、私に何かを隠していたって別に構わないけど、1人で抱えきれないのなら私を頼ってほしい。そんな存在になれないことが悔しくて傷つくのだ。親友の前で泣いてしまった。

 親友と別れて彼の家に帰ると、彼がいなかった。23時を過ぎていたので、心配になって電話をかけると、職場に行くと言っていた。私から言ったわけでもないのに、カメラをつけて1人で夜道を歩いている様子を映してくれた。それが嬉しかった。私の気持ちを理解してくれているのだと。嬉しくなって料理を作って待つことにした。私の得意なホワイトシチューを。

 彼が帰ってきたときには2時を過ぎていた。彼はしんどそうに帰ってきた。元気を出してもらおうとホワイトシチューを出したが、彼はお皿を眺めて泣き出して「ごめん」といった。それから今日まで彼との壁がまた成長を続けていた。会話も挨拶程度になっていった。思えば、ここ最近彼は彩さんと連絡をとっていないようだった。電話が来なくなっただけでここまで辛くなるのか。彼の心を支えることができるのは彩さんだけなのだ。私は彩さんになりたかった。

 そして今日、彼が先輩の家で仕事をすると出て言った。彼はしばらくして、先輩の家にいるという証拠の写真を送ってきた。こんなことはしてくれるのだ。そこで、ダメだとはわかっているが、彼の部屋を探ってみたいと思った。彼が抱えている何かを見つけることができるかもしれないと。綺麗に整頓された彼の部屋は、触れるだけで崩れてバランスを失うかのように、全てが綺麗に収められていた。これは慎重に触らなければバレてしまいそうだ。

 結局秘密につながりそうなものは、何も見つからなかった。ただ、写真たてに入った、彼とおそらく彩さんの写真が見つかった。私が来るまではこの机のこのスペースに置かれていたんだろうな写真に映るその人は美しく、可愛かった。私じゃ無理だ。並んで楽しそうに笑う2人がお似合いすぎて悔しかった。

 写真の下に、複数のイラストのようなものがあった。見ると、多分みつきさんを描いているのだった。彩さんが描いたものなのだろう。全て何かに寄りかかって立っているイラストだった。びっくりしたのは、私がすでにこの絵を見たことがあるということだった。もしかしたら、私は彩さんを知っているかもしれない。

 すると、彼が帰ってきた。急いで全てを元に戻した。かなり疲れているようだ。ドアに寄りかかる彼の姿が完全にさっきの絵と重なった。

 明日、何を言われたとしても受け入れよう。でも、彼の力にはなりたい。振られたってそこは下がらない。明日からみつきくんには会えなくなるのだろう。多分泣いちゃうけど、それで良い。覚悟はできてる。彼の支えの彩さんがいない今、私がみつきくんを支えなくちゃ。


2020年6月6日

 今日全てを綾ちゃんに伝える。このゲームに利用していたことを知ったらもの凄くショックを受けるだろう。当然だ、あやちゃんの好意を裏切る最低なことをしてきたのだから。でも、これ以上あやちゃんを傷つけることはできない。全部伝えて謝ろう。どれだけ嫌われたって仕方ない、ちゃんと嫌われよう。もっと他の人を幸せにできるようになるんだ。

 俺たちは居酒屋に向かっていた。俺はお酒に頼るのが嫌で、どこでも良いと言ったが、綾は居酒屋が良いと言った。家を出てから一言も話せていない。空気が重い。やはりお酒の力を頼ってしまうかもしれない。足に鉛が付いたかのように重い足取りでゆっくりとお店に向かった。チラチラと心配そうにこちらをみてくるあやちゃんを見ることができなかった。


「そろそろ話そっか?」

「うん。ごめん」

 ハイボールのグラスは氷が溶けて、グラスの下はびしょびしょになっていた。注文をして30分ほど何も話せずずっと黙ってしまっていた。彼女もオレンジ色の甘そうなお酒に一切手をつけず待ってくれていた。

「あのさ、ずっと隠していたことがあるんだ。綾ちゃんを傷つけないために黙っていたんだけど、自分を守るために嘘ついていただけだって気づいて、今日ちゃんと伝えようと思った。ずっと騙してた、本当にごめん」

 それから俺は全て話した。東京に来る前に彩にこのゲームを提案されて、そのゲームで勝って彩と結婚したいから綾ちゃんを利用していたこと。でも綾ちゃんのことが好きになってしまって、綾ちゃんの好意もしっかりと伝わっていたこと。彩と連絡が取れなくなってゲームが続いていないこと。美里さんが大変だっったこと、光さんに言われたこと。そしてやっと自分のやっていることの愚かさに気づいたこと。全てを伝えて謝った。

 彼女は泣いていた。俺の話をちゃんと聞けていたのかすらもわからない。俺も泣きそうだったがここで泣くのは逃げだ。俺が全て悪いのだから泣いて逃げることはできない。彼女は涙を拭いて数回頷いていった。

「よかった、そんなことか、よかった」

 なんと言われるか心配だったが、こんな反応が返って来るとは思わなかった。怒って帰ってしまっても仕方がないと思っていた。彼女は笑っていた。

「なんで?こんなに最低なことしたのに」

「最低だよ、みつきくんも、さやさんも、意味不明だよそんなゲーム。でもよかった。全部繋がった。みつきくんが抱えていたこと全て知ることができた。もう何も教えてくれずにお別れして、二度と会えなくなると思ったよ」

「本当にごめん。俺なんかのために時間を無駄にさせてしまって。もちろんお詫びならなんでもするつもりだよ」

「いいよもう。安心した。みつきくんも大変だったんだね、もうどっかで死んじゃうのかと思ったよ、あんな姿見せられたら心配するじゃん」

 綾ちゃんは全てを知った上で、それでも俺を受け入れてくれた。俺はこんな子を傷つけてしまっていたのか。途端に泣いてしまった。

「私たち泣いてばっかりだね」

「うん、泣かせてばっかでごめん」

「じゃあさ、私からも良い?」

「うん」

 何を言われるんだろう。そう思っていると綾はバッグから何か取り出してこっちに見せてきた。それは彩の描いたイラストだった。

「ごめんね、昨日勝手に部屋を探っちゃって、だってみつきくん怪しいんだもん、何を隠しているのか知りたくて」

「いいよそれくらい、謝らないで」

「うん、それでね、これ」

 今度は彼女はスマホを見せてきた。画面に写っていたのは彩が描いたイラスト、全く同じものだった。

「え、これは?」

「私、このアーティストのファンで、特に毎年6月20日に決まって投稿される謎の男のイラストが大好きだったの。昨日これ見つけてさ、感動しちゃって、私前から彩さんのこともみつきくんのことみ知っていたんだなって」

 知らなかった彩がそんなことをしていたなんて。6月20日俺の誕生日だ。彩は毎年俺の誕生日に、プレゼントと共にこのイラストをくれた。

「映画館でさ、このイラストと全く同じ体勢で壁に寄りかかる人を見つけてさ、この人がみつきくんならいいなと思ったの。だから私みつきくんに惹かれたのかもしれない。このアカウント4年くらいずっとチェックしてたからさ。このイラストの中の人にずっと片想いしてたのかも」

「知らなかったよ、彩にこんなアカウントがあったなんて」

「みつき君てさ、あまり他人に興味ないんでしょ?どれだけ距離が近くなったって、相手の全部を見ようとはしないでしょ」

「そうかな」

「うん、私の仕事知ってる?」

 確かに、知らなかった。一緒に住んでいたのに、そんなことも知らなかった。

「私、みつき君と一緒だよ?」

 彼女は名刺を見せてくれた。大上綾の文字の下には「株式会社 ヴィンチアルゴ」の文字があった。

「私は本社だからさ、自分から言ったらみつき君に嫌われるかと思って言わなかったけど、一生聞かれないのかなと思った。このアカウントもさ、有名なんだよ。お仕事用のアカウントみたいなんだけど、Gottes Halbmond みんなGHって呼んでる」

「何この名前、どういう意味?」

「ドイツ語、はい自分で調べてみて」

 俺は辞書アプリで綾ちゃんのいう通りアルファベットを入力した。

「神の三日月」

「そう、これさ、神谷みつき、みつき君のことじゃない?」

「確かに」

「みつき君のイラスト以外はお仕事関係みたいだけどさ、これはみつき君に見てもらいたかったんじゃないかな?」

 俺は彩がどんな仕事をしているのか知らなかった。話したこともほとんどなかった。自分の就職の話はするくせに、彩の仕事内容すら知らなかった。綾ちゃんにもだ、同じ仕事をしていたなんてしらなかった。俺は本当に自分のことしか考えられずに、他人を自分の都合で利用していたのかもしれない。最低だ、彩も綾ちゃんもそんな俺の被害者なのだ。

「それでさ、仕事が忙しくなるって言ってたんだよね?」

「うん」

「それやっぱり嘘かもよ?最近は可愛い動物の絵を数枚投稿してから、更新が止まっている」

「あ、動物を描く仕事があるって言ってた」

「やっぱり何か他の理由があるんだよ」

「だからさ、他の男ができたんじゃない?」

「それがちょっとわからないの。私だったらね、他の男ができたら、こんな有名なアカウント消すと思うの。名前も変えてさ、元彼を描いたイラストなんて全部消すと思うの。でも、残しているってことは、まだ大丈夫なんじゃない?」

「でも、他に男がいる影はあったよ」

「だからさ、確かめに行こうよ!2人で沖縄に行こう!」

「え?」

「なんでもするって言ったじゃん!だからお願い、私もう彩ちゃんにまで興味湧いちゃってるからさ。会ってみたいの!」

「今更会いにいったってどこにいるかもわからないよ」

「会いにきてって言ってたんでしょ?ゲームクリアの条件は彼女と2人で会いに来てって!行こうよ、まだゲームは終わってないよ。こっからはマルチプレー、反撃開始だよ!」

 ゲームを終わらせるために全てを綾ちゃんに伝えたのに、彼女が再開させた。ただ、前よりは前向きにこのゲームを楽しめそうだ。思えばずっと1人でこの人生をプレーしていたのかもしれない。周りの人たちを味方にすることができていなかった。今はちゃんと味方がいることがわかる。素直になれば周りが理解してくれる。ちゃんとクリアして終わらせようこのゲームを。2人で勝つんだ、勝ってからどうするか決めれば良い。

 きっとこれは英断だ。びしょびしょになったグラスを持ち上げ一気にハイボールを飲み干し、グラスを下ろすと目の前で彼女が笑っていた。

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