傷心独り旅

ユラカモマ

傷心独り旅

 デートやプレゼント費用として300万円、結婚資金として500万円、すべてを貢いだ男に結婚式当日逃げられた。結婚式には私の職場の関係者と親族が合わせて約100人が来てくれていたのだがその面前であろうことか祝儀を持って逃亡したのだ。

(お金にがめついことは知っていたけれどまさかここまでとは…)

 純白のドレスを着て幸せな花嫁になるはずだった秋山志帆あきやましほ(32歳)はこの日顔を真っ赤にして泣き崩れた。幸い志帆は結婚式の翌日から新婚旅行に行くために一週間有給を取っていたのでウサギのように赤い目での出勤はせずにすんだ。しかし一人で新婚旅行に行けるわけもなく、かといって一人で新居にいるのも辛すぎる。そのため志帆は初めて独り旅に出ることにした。場所は幼い頃に過ごした兵庫の姫路、白いお城の見える町である。


 姫路駅はすっきりと小綺麗で、その前のお城へ続く街道も白い光を浴びて輝いていた。志帆は早足でそのまっすぐな道を行く。道行く人にその顔を見られないよう下を向いてではあるがまっすぐに。そうして進んでいると次第に人通りが多くなり顔を下げたままでは歩けなくなった。顔を上げると赤、青、緑さまざまな色の屋台の屋根が見える。場所はもう姫路城前の大手前公園、何やらイベントをやっているようで多くの親子連れが綿菓子の袋やプカプカ浮かぶ風船を持って春を謳歌していた。小さな娘がりんご飴を食べたいとねだるとお母さんが「食べきれないでしょ」と止め、「なら余ったら食べてやろう」とお父さんが娘の手を握って買いに行く。志帆が後少しでつかみ損ねた憧れの光景、志帆はその場から逃げ出した。ホテルに飛び込んでベッドに横になる。白いシーツは嗅ぎなれないバラの香りがした。


 翌日になっても大手前公園は盛況だった。その翌日もその翌々日も連日親子連れでごった返している。志帆はその様子を遠巻きに見たりときにはまぎれ込んでみたりしながらうかがっていた。お父さんと射的にはしゃぐ男の子、キラキラした目でクレープの屋台を見つめる娘とその娘の手を引いて通り過ぎようとするお母さん、もう帰りたいと泣いてぐずる子もいればまだ帰らないとギャん泣きで暴れる子もいた。志帆にはまだ子どもはいないがいたらさぞ大変なのだろうなと思った。さらに何日も見ていると段々頭も冷めてきて自分はこの場所の異物だと強く強く思うようになった。帰りたい、そう思っても帰りたいと思える場所はなく、結局ホテルに帰って独り寝るだけ。そんなこともありながらついにイベント最終日、志帆は最後列に突っ立って大道芸の猿回しを見ていた。見物人は随時入れ替わり立ち替わりしているが小さな日本猿は気に留めることなく並べられたハードルをひょいひょい飛び越えていく。

「お母さん…」

 ふいに小さく温かい手が志帆の手を握った。ぎょっとして下を見ると見知らぬ女の子があっという顔をして固まっている。ピンクのくまさん柄のワンピースに2つぐくり、手にはキラキラ光るステッキを持っていた。

「お母さんではないよ…えっと、家の人は…」

 キョロキョロしたけれど「うちの子がすみません」と言ってくる声はなく、女の子はステッキをぎゅっと握って縮み上がってしまっていた。いっそギャん泣きなら親も気づくだろうがこの人混みで小さくなってしまっては泣きそうなことにも気づかれないだろう。

「本部まで行ってお母さん、呼んで貰おうか…家の人がいたら教えてね」

 なるべく優しい声で話しかけながら手を伸ばすと女の子は怖々手をつかんだ。顔を真っ赤にしながらも泣き声は上げずに口をぎゅっとへの字に結んでいる。

(もしかして今なら子連れの母親に見えるかも)

 すれ違う母親たちは志帆とさして歳が違わないように見える。しかし連れている女の子の表情を見るとやはり何だが違うなぁという気がして志帆はイベント本部にまっすぐ向かった。

 何日も通い詰めただけあって志帆には本部の場所もそこまでの最短ルートも分かっていた。そして女の子がお母さんと再会を果たしたとき初めてここに来て良かったと思うことができた。

「帰ろうかな」

 呟いて志帆はもと来た白い道を歩み出す。右手には赤いりんご飴、来たときよりゆっくりとした足取りで明るい光の道を行く。駅では心配と迷惑をかけた職場と家族にちゃんとしたお土産も買って、さあ。車窓からは春の日が差し込んでいた。

 

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傷心独り旅 ユラカモマ @yura8812

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