恋は成就後1 ~この恋、咲き続けますように~

藤代実里

第1話 終わりと始まりの春

自室の窓から見える桜につぼみがつき始めた3月中半。私、広瀬(ひろせ)翔(か)菜(な)は、模試の結果用紙を見ながらため息をこぼした。

判定はA。我ながら良くやったと思う。希望の大学を目指せるだけの結果、むしろそれ以上のものを得ることができた。

ではなぜため息をつくのかといえば、原因は模試の結果用紙を挟んで、今私の目の前に座っている人物にある。

「…」

「広瀬、どうした? 無言で顔をガン見されるとかなり怖いんだが…」

私の視線に気がついたその人は、私が提出した宿題の丸付けをしていた手を止めて顔を上げた。

西日が彼の茶髪を照らし、彼は髪と同じく色素の薄い瞳で私を見つめ、その目元を細めて、

「あー、わかったわかった。今日で家庭教師が最後だから寂しいんだろ?」

となんだか楽しそうに言う。

私は、そんな彼の余裕そうな態度に少し腹が立ったのと、ずぼしをつかれたことへの恥ずかしさで彼から視線をそらす。

そう、今私の目の前に座っているこの人は、私が高校に入学してから今日までの2年間お世話になった家庭教師。名前は、露木(つゆき)章人(あきと)。

いつも余裕綽々としていてつかみ所のない不思議な人だけど、勉強を教えるのは上手い。そんな、家庭教師としては申し分ない人。難があるとするならば、笑顔で大量の宿題を出しては人の困った顔を見ることを面白がる癖があるところかな。

まぁ、そんな露木先生が私の勉強を見てくれるのも今日で最後。先生は、4月で大学3年生になり自分の勉強が忙しくなるために、家庭教師のアルバイトを辞めるのだそうだ。

私としては、スパルタではあるけど先生に勉強を見て貰うようになって驚くほどに成績が伸びたので、来年の受験まで先生に勉強を見て貰いたかったのだけれど、こればかりは仕方がない。

だけど、露木先生流の勉強法をしっかりたたき込まれているから、おそらく受験まで今の成績を保つことはできると思う。私の努力次第だけど。

でも、私はやっぱり先生が家庭教師を辞めてしまうことが、もう会えなくなってしまうことがとても寂しい。

…だって、私はまだ先生に、ちゃんとこの思いを伝えられていない。

先生と私を唯一繋ぐ家庭教師と生徒という関係がなくなってしまったら、もう二度と先生には会えない。会えたとしても、この気持ちを伝えることはできない気がする。

「…広瀬?」

視線をそらして何も言わない私の顔を、先生は心配した様子で覗き込む。

「っ!?」

今、私は一体どんな顔をしているのだろう。先生に覗き込まれて、一気に顔が熱くなったのがわかる。

「あ、いや、その…寂しいというより、先生がいなくて受験大丈夫かなって不安になっただけです」

私は、自分の中の感情を押し殺してごまかす。まだ先生の方は見られなくて、下を向いてしまったけれど。

すると先生は、私の顔を覗き込むために乗り出していた姿勢を戻して座布団に座り直すと、小さくため息をついた。

「なんだ、俺との別れ自体はどうでもよかったのか…先生は悲しいよ…」

わざとらしく残念がる態度に、私は思わず、

「いえ! そんなことないです! 先生と会えなくなるのものすごく寂しいです!」

と勢いよく言い切ってしまった。言い終わって、また顔が熱くなってくる。

私は馬鹿だ。せっかくごまかしたのに、これでは意味がない。

また咄嗟にそらした視線を、ゆっくりと先生の方に戻す。先生は驚きの表情のまま固まっている。

私があまりに突然断言したから驚いているの? あれ? というかよく考えたら、生徒が先生との別れを寂しがることって、珍しくないんじゃないかな? つまり、私は堂々と「寂しい」といったほうが自然だったのでは? えーと、だとしたらなぜ先生はこんなに驚いているの?

「…俺、2年間広瀬のこと見てきたけど、こんな大声聞いたの初めてだ。広瀬もこんなふうに自分の気持ち、はっきり主張することがあるんだな。新しい広瀬を見られて感動だよ。そうか、寂しいか。広瀬が断言するほど寂しいと思ってくれてるなんて嬉しいよ」

しばらく固まったまま黙っていた先生が、ぱっと笑顔になってそう言った。

私も、先生が驚いたところやこんなに嬉しそうな笑顔を初めて見た。いつも落ち着いていて、意地悪な微笑みを浮かべているような人だから。

大好きな人の新しい一面や喜ぶ姿を見るのって、とても幸せな気持ちになれる。もっと知りたい。私のことももっと知って欲しい。

だけど、それは叶わない。私たちは、家庭教師と生徒。それ以上でも以下でもなく、その関係すら今日で終わる。明日からはただの知り合いの大学生と女子高生。もうこうして、二人きりになれるチャンスはない。

この恋心にどのように決着を付けるのか、私の覚悟は決まらないままだ。

そうこうしているうちに時間は過ぎて、もう先生が帰ってしまう時間になってしまった。

「露木先生、2年間本当にお世話になりました。先生のおかげで成績が良くなって、勉強も楽しくて。本当に先生に会えなくなるのが寂しいです」

帰り支度を済ませた先生と私は、最後の挨拶を交わしている。

「俺も、広瀬を受け持つことができて良かったよ。広瀬は真面目で努力家だから、俺がいなくてももう大丈夫。俺が保証するよ。

むしろ俺は、広瀬が頑張りすぎて身体壊したりしないかの方が心配だ。受験生は身体が資本だから無理だけはするなよ」

そう言って先生は、私の頭を撫でる。こんなことされたの初めてだ。どうしよう、もう気持ちが抑えられない。

私は、震える両手を胸の前で握ってうつむきがちだった顔を上げ、先生を見る。息が止まりそうだ。

「…先生…あの、私…」

私の頭を撫でていた先生の手が止まり、彼も私をまっすぐに見つめる。

「どうした? 広瀬」

その表情が、なんだかとてもせつなげで、大人びていて、私の胸は締め付けられる。

「あの…せっ、先生にお礼のお菓子を買ってあるんです。持ってくるので少し待っていて貰えますか?」

「あぁ、ありがとう」

一瞬の間があって、先生が答えてくれた。

私は自室を飛び出して居間へと向かう。

ダメだ。言えない…だって、この気持ちを打ち明けた先に待っているものがなんなのかわかっているから。私のこの思いは、先生には届かない。私たちは、ただの家庭教師と生徒で、特別に親密な何かがあったわけじゃない。私が先生を好きでも、先生が私を好きになる理由や出来事は何もなかったのだ。

「…悲しい思い出で終わるくらいなら、このまま幸せなままで終わった方がいい。先生から拒否されるなんて苦しすぎるよね」

ぼそりと呟いて、私は焼き菓子の詰め合わせを持って先生の待つ自室へと戻った。

一度深呼吸をして気持ちを整えて、いつも通りの振る舞いをしようと心に決めて私は自室のドアを開く。

先生は窓辺にいて、庭に植えられた桜の木を見ていた。

私はそんな先生の隣まで行き、同じように桜を見つめる。

「去年も思ったけど、ここの桜立派だよな」

先生が静かに口を開く。

「そうですね。曾祖父の代からあるそうで、空襲にも負けなかった強い木なんだそうです。それで我が家の守り神? みたいな木なんです」

私は苦笑しながら答えた。

「強い木か…俺も見習わないといけないな…強く太く空に向かって伸び続けて、どんな力にも屈することなく大輪の花を咲かせられる桜…俺はそんな立派な人間になれる自信がないな。守り神…それくらい安定した安心感を持って貰えるくらいの強い心が欲しいな」

「…先生?」

いつも自信ありげで、弱いところとか悩みなんてないですみたいな態度なのに、なんだか今の先生の瞳には迷いと弱さが見える気がする。

「先生、先生は私に勉強の楽しさを教えてくれました。私、高校に入った頃は将来になんの希望も持てなくて。とりあえず、なんとなく生きていければいいやって、とても投げありになっていました。だけど、先生と出会って、勉強を教えて貰って、先生の夢とか人生観とかいろんなことを教えて貰って、将来の夢を決めることができたんです。夢ができたら、それまでなんとなく流れていた日常が、明るいものになりました。私、先生のおかげで変わることができたんです。もしかしたら先生は、今何か自分のことで悩んでいらっしゃるのかもしれませんが、忘れないでください。先生には、人を変えてしまう素敵な才能があるってことを。私は先生のこと、先生が今まで私に話してくれたこと以外は何も知りません。だから、今すごく的外れなことを言っているかも知れませんが、私には、先生が今のままで充分、あの桜に負けないくらい立派な方に思えます」

気付いたら、なんだかすごい勢いで熱弁してしまっていた。先生が何かに悩んでいるかなんてわからないのに。ただなんとなく口をついて出ただけの言葉だったかもしれないのに。勝手に一人でべらべらと…恥ずかしい…。

「…」

ほら、先生また驚いて固まってるし。やっぱり随分と的外れなことを言ってしまったんだろうな。それか、余計なことを言ってお節介だとか面倒なやつだなとか思われたかな?

あぁもう! しっかりするのよ翔菜! あなたは普段、こんなにうじうじ悩むような子じゃないはずよ。もっと、他の人と接するときと同じように堂々としなさい!

自分を叱咤して、私は先生を見る。

先生も私を見ている。

先に口を開いたのは先生だった。

「ありがとう、広瀬。やっぱり広瀬は自分の気持ちをしっかり持った子なんだな。俺は今君に救われたよ。今のままの俺か…ははっ、なんかいろいろふっきれたな」

そう言って笑う先生。驚いて、それから嬉しそうに笑う先生。今日2度目のこの反応。やっぱりこの人の笑顔を見ると、無条件に幸せな気持ちになれる。

「ふふっ、最後に先生の力になれたのなら良かったです。嬉しい」

私は思わず、この幸せな気持ちを表に出してしまう。

でもいいか。素直に感情表現しよう。先生への恋心に気付いてから、先生にそれを悟られないように必死で。気付けば、いろんな感情を抑えて会話することが多くなっっていた。だけど、もう今日で終わりだから。この気持ちを伝えることは、もうないから。せめて、素直なありのままの自分で、先生と話がしたい。先生の記憶の中に、少しでも残れるように。

「なぁ、広瀬はもう、今日が終わったら。俺が家庭教師じゃなくなったら、もう俺とは会いたくない?」

「え?」

突然の先生の言葉に、私の思考は固まる。

だって、私たちは家庭教師と生徒で、きっと先生にとってはそれ以上でも以下でもなくて。この関係性がなくなったら、私と会う理由なんてないだろうから、これからも会えたらなんて、私の勝手な願望でしかないって諦めていたのに。

「もう俺とは会いたくない?」なんて、そんな悲しい表情で問われるなんて、夢にも思わなかったから、とにかく混乱してしまう。

またいつもの癖で、何かごまかそうと必死に動いてしまう思考を無理矢理止めて、私は落ち着くために胸の前で両手を握る。

素直な、ありのままの気持ちを伝えるんだ。

「会いたいです!先生が会ってくれるのなら、すっごく嬉しいです!」

私は、先生の方をまっすぐに見る。もうそらしたりしない。

「本当か?こんなこと言って、絶対に困らせてしまうってわかってはいたけど、広瀬から最後って言われて、なんだかいてもたってもいられなくなって。

なぁ、広瀬。今までの俺たちは、家庭教師と生徒だった。だけど、それは今日で終わりだ。これからの俺たちは、まぁ友人ってところか。だから、その、呼び名を変えても良いか?」

なんだか照れくさそうに笑う先生。これも初めて見る表情だなって思いつつ、「友人」という言葉に多少ショックも受けたけど、今日で終わると思っていた先生との関係が、先生の方からこの先のことを切り出して貰えるなんて、今はもう、それだけで信じられないほど幸せだから、少しの落ち込みなんて、すぐに消えてしまう。

「呼び名ですか?」

「あぁ、俺はこれまで家庭教師として、君のことを名字で呼んでいたけど、もう家庭教師じゃないからな。例えば、下の名前とかで呼びたいな」

私の鼓動がはねた。それはつまり、先生が私のことを「翔菜」って呼んでくれるということ?これは、やっぱり夢なのではないだろうか?

大声で「翔菜って呼んでください!」と言いたいところをぐっと我慢して、

「はい、是非呼んでください。その、下の名前で…」

と、ただ高まる感情を抑えただけのつもりが、なんだか恥ずかしくてもじもじとしてしまった。

「翔菜」

「はっ、はい!」

あぁ、勢い余って結局大きな声になってしまった。だけど、どうしよう。ものすごく嬉しい。

好きな人に、下の名前で呼ばれたいって憧れてる女の子は、たくさんいると思うけれど、これは確かにすごい威力。だって、ただ名前を呼ばれただけなのに、家族や友達からは、毎日呼ばれているはずなのに、聞こえ方が全然違う。名前を呼ばれただけで、胸が苦しくなる。

先生は、名前を呼ばれただけでなんだか落ち着きがなくなっている私を見て、顔をそらしてクスクスと笑っている。あぁ、この笑顔は、腹が立つやつだ。いつもの、意地悪を楽しんでいる時の笑顔だから。

私がムッとすると、先生はわざとらしく咳払いをして、「笑ってませんけど?」みたいなすまし顔になる。

いや、もう遅いですから。その小憎たらしい笑顔、ばっちり見ちゃいましたからね。

「えーと、じゃあ、俺はこれから広瀬じゃなくて、翔菜って呼ぶことにするな。

それで、翔菜は俺のこと、なんて呼びたい?」

先生は、強引に会話を進めた。まぁ、いいか。やっぱり翔菜って呼んで貰えるの嬉しいし、今は、それだけでなんでも許せる気がするから。

「うーん、露木さんでしょうか…」

当然、私にはいきなり「章人さん」なんて、下の名前で呼べるような度胸はない。これができるなら、もうとっくに告白だってしている…。

「えー、章人って呼んでくれないのか。ちょっとショックだな…。

あっ、そうだ!翔菜が俺のこと章人って呼べるようになるまで、俺も名字で呼ぼうかな」

「え?それだと、今までと変わらないじゃないですか」

「だって、片方が名字にさん付けで呼んでるのに、もう片方が下の名前を呼び捨てにしてるなんて、なんかおかしいだろ?

だから、俺も名字で呼ぶ。大丈夫、広瀬が俺のこと、章人って呼んでくれたら、俺もまた下の名前で呼ぶから」

「…努力しますけど、多分時間がかかります…。あと、せめて呼び捨てじゃなくて、下の名前にさん付けで許してください…呼び捨てなんてできません…」

「うーん、そうだな。さすがに年上を呼び捨てにするのは、気がひけてしまうのかもしれないからな。

いいよ。広瀬が、いつになったら俺のことを章人さんって呼べるようになるのか、楽しみにしてる」

また、意地悪に笑う露木さん。この人は本当に、人が困っている様を見るのが好きなんだな。悪趣味な人だ。

「そうだ、広瀬。来週の土曜日って予定あいてるか?」

お礼の焼き菓子を渡して、露木さんを家野門扉で見送る時になって、彼が振り向いて、尋ねてきた。

「はい、今のところ何の予定も入ってませんよ。どうしてですか?」

「よし、それなら一緒に遊園地に行かないか?」

「え?遊園地ですか?」

突然のお誘い。しかも遊園地。どうして急に?

「あぁ、実は大学の同じサークルの友達に、遊園地の1日フリーパスを2枚貰ってな。俺一人で行ってもつまらないし、結局1枚余ってしまうし。広瀬が興味があればだけど、模試も頑張ったし、時には羽目を外してもいいんじゃないかと思ってな」

それはつまり、二人きりの遊園地ということ?私の鼓動が一瞬で早くなる。

だって、それってまるで、デートみたいじゃない?緊張しちゃうけれど、行かないという選択肢は、私にはない。というわけで、

「行きたいです!遊園地。」

と。おそらく、今の私は、はしゃぐ小学生くらい満面の笑みを浮かべているのだろう。

そして、露木さんも嬉しそうに、

「よし、なら決まりだ。遊園地、思いっきり楽しもうな!」

と言って帰って行った。私に幸せをくれるあの笑顔で、手を振りながら。



土曜日。春野晴天って、心地よくて大好き。

私は、家野最寄り駅の改札前で一人、ずっとおさまらない緊張を沈めるために、両手を胸の前で握って、一つ深呼吸をする。

今日は、露木さんと二人で遊園地に行く日。現在、待ち合わせ20分前。

露木さんが、家庭教師を辞めたあの日から、一週間が経ち、私はこの一週間、緊張しっぱなしだった。

毎日、今日のことばかりを考えて、天気予報とにらめっこしたり、着ていく洋服に悩みすぎて迷走したり。もう本当に、気持ちが休まることのない、大変な一週間だった。

天気予報どおり、今朝は晴天となった。神様、ありがとうございます。

服装に関しては、自分ではもうわからなくなってしまったので、親友にお願いして、コーディネートしてもらった。

遊園地で動き回るから、パーカーにスキニーにスニーカー、リュックサックにキャップと、シンプルではあるけれど、春らしい薄ピンクのパーカーで、小さめで白いリュックだから、女の子らしくはあるかな?

それと、露木さんの前では初めてするポニーテールだから、少し恥ずかしさもある。

私は、スマートフォンを取り出して、時間と通知を確認する。

待ち合わせまであと10分。通知は特になし。露木さん、そろそろ来るかな?

「お待たせ、広瀬」

「わっ!」

スマホの画面から顔を上げた瞬間、私の右頬が誰かの指につつかれる。

ばっと振り返ると、そこには大好きな人の笑顔があった。意地悪な笑顔。

「おはようございます。露木さん…普通に声をかけてください」

「はははっ、スマホに気を取られていたようだから、こうした方が気付いて貰えるかと思って」

「もう…」

私は、露木さんからつつかれた右頬に自分の右手で触れながら、改めて彼を見る。

シンプルな白シャツにジーンズ姿。スタイルが良いから、いろいろと装飾しなくても、ばっちりきまっている。かっこいい。

「今日は、付き合ってくれてありがとうな。広瀬の家以外で会うの初めてだから、なんか緊張するな」

たしかに、私たちは家庭教師のある日に、私の家で勉強する以外で、今まで会ったことがない。だから、今日の遊園地は、とても新鮮で緊張してしまう。

そう、緊張してしまうのだ…。

私は今、露木さんを目の前にして、この一週間で最大の緊張に襲われている。

「はい、なんだか不思議な感じがします。緊張もしています…。

だけど私、今日がとても楽しみでした。誘ってくださって、ありがとうございます!」

「いやいや、広瀬が来てくれて嬉しいよ。こちらこそ、ありがとうな」

「いっ、いえ」

あぁ、ダメだ…。私、全然上手く話せていない…。こんな調子で、今日一日、大丈夫かな?

「ふふっ、本当にすごく緊張してるみたいだな。これから遊園地に行くんだから、もっと気楽に楽しんで欲しいんだが…。

でも、なんかそのガチガチになってる感じが、広瀬らしくていいんだけど」

露木さんは、クスクスと笑っている。

私らしい?私って、そんなにいつも緊張してるのバレバレだったのかな?普段は上手く隠せていると思っていたんだけれど…。

「あっ、そろそろ電車の時間だな。広瀬、行こうか」

私が、過去の自分を振り返っている間に、遊園地へ向かう電車の時間が近づいてきたようで、露木さんと私は、改札を通ってホームへ向かった。

春休みの土曜日ということもあって、ホームでは、かなりの人が電車を待っている。

「おー、覚悟はしてたけど、やっぱり人が多いな。広瀬、そこの壁際に行こう」

「はい、あっ!」

「大丈夫か、広瀬」

「大丈夫です。人にぶつかってしまって」

本当に人が多くて、私は進行方向から急いだ様子で歩いてきた男性にぶつかり、よろけてしまった。

「広瀬、手出して。いくら駅のホームでも、この人混みではぐれると大変そうだから、手を繋いでおこう」

私が答える間もなく、露木さんの右手が、私の左手を握る。

「あの、すみません。ありがとうございます」

私もその手をぎゅっと握り返す。あぁ、心臓が口から飛び出そう…。

露木さんに手を引かれ、ホームの太い柱の前まで、なんとかたどり着いた。私は、露木さんに促されるまま壁に背をつけ、露木さんが、そんな私の前に立ち、さりげなく、人混みから守ってくれる。なんかスマート。

だけどこれ、露木さんとの距離、かなり近い…。しかも露木さん、私のことすごく見てるような気がする…。私は彼の方を見る勇気がないのだけれど、視線を感じる…。

なに?至近距離で見つめられるなんて、心臓が保たないのだけれど…。

「…広瀬」

うつむいている私の左頬に、露木さんの右手が触れる。

「はいっ」

突然のことで、私は驚いてしまって、露木さんを見上げる。

なんだか、とても真面目な表情。どうしたんだろう?

私の鼓動が跳ねる。

「…広瀬って、思ってたより身長低かったんだな」

「はい?なんですかいきなり。確かに露木さんからすれば小さいですけど、私、同い年の女の子の中では、高身長な方ですよ」

露木さんの表情は、いつもの意地悪な笑顔になっていて、頬に添えられていた右手を、私の頭に乗せてポンポンしてくる。

なんだか振り回されたようで、思わずムキになってしまったけれど、同時にホッとしている自分もいる。

なんだか、私の反応を見ながら楽しんでいる、悪そうな顔をしている露木さんを、私はじとっとした目で見上げる。

「まぁ、そうだな。俺からすれば、広瀬に限らず、大体の人間は身長低いな。でも、広瀬の身長くらいが、俺は好きだな」

「背の高さを好きだと言われたのは初めてです。どうしてですか?」

きっとテキトーに言っただけだとわかっているけれど、私は、仕返しのつもりで尋ねる。

軽い冗談のつもりだったのに、露木さんは、一層悪い顔になって、私に一歩近づいて、私の顔を覗き込む。

「それはな…」

露木さんが、私の顔を見つめたまま、私のかぶっていたキャップを取った。キャップにしまっていたポニーテールが、勢いよく飛び出して垂れる。

「こうやって、ちょっかい出しやすいからだよ。

広瀬のポニーテール姿、初めてだな。すごく似合ってる」

ニコッとする露木さんは、そのまま私のキャップを左手に持った。

褒められちゃった。嬉しい。

「どうも…」

思わずにやけそうになる顔を横にそらし、私はポニーテールの毛先を指でいじる。

「ふふっ」

そんな私の反応を見て、露木さんが、また声を出して笑っている。

「広瀬って、本当に」

露木さんが何か言いかけた時、ホームに、電車の到着を知らせるアナウンスが流れた。

「あっ、もう来るな。人多いし、最後の方に乗ろうか」

「はい」

露木さんが、何を言いかけたのか気になるけれど、私たちは、電車を待つ人たちの列の最後尾に移動した。

乗り込んだ電車の車内は、予想通り満員状態で、最後に乗り込んだ私たちは、ドアに身体を預けながら、電車に揺られていた。

その間も、露木さんは右手で私の左手を握ってくれていた。ついでに、ホームで私から取ったキャップを左手に握って、返してくれなかった。


「ふー、さすがに人多過ぎだったな…。ごめんな、広瀬。車にすれば良かったな」

遊園地に隣接する駅のホームで、改札へ向かう人の列から外れたベンチに座り、露木さんは苦笑いする。首筋に汗がにじんでいる。

私は、そんな露木さんの隣に座って、自分のリュックから、まだあいていないペットボトルの水を取り出し、露木さんに差し出す。

「いいえ、大丈夫ですよ。私は、露木さんが守ってくれたおかげで、満員電車もへっちゃらでしたから。ありがとうございました。

でも、露木さんはお疲れですよね。これ、よければどうぞ」

「え、いいのか?それ広瀬が買ってたやつだろ?」

「はい。でも大丈夫です。もう一本買いますから。

露木さん、すごく暑そうですし、汗もかいてるみたいなので、水分取った方がいいですよ。このホーム、自販機内ので、これ飲んでください」

「ありがとう。でも、広瀬も喉渇いてるんじゃないか?一緒に飲む?間接キスになるけど」

露木さんが、汗を拭いながら、また意地悪な顔をする。

「ふざけていないで、早く飲んでください。置いていきますよ?」

私は、ペットボトルを露木さんに押しつけて起ち上がった。

まったく、かっこいいことをしてきたと思ったら、すぐにこれなんだから。

満員電車の中、露木さんは、私をドアに寄せ、私の前に立ち、人混みから守ってくれていた。おかげで私は、満員電車の中でも、壁にもたれることができて、楽をすることができた。

まぁ、電車に乗っている間中、手を握られ、ほぼ密着状態で、心臓がバクバクしっぱなしで、大変ではあったのだけれど。

そんなことがあったので、お疲れの露木さんに、お礼の気持ちでお水を渡したのに、すぐに人をからかうんだから…。

私は、呆れ顔のまま、勢いよく水を飲んでいる露木さんを見下ろした。飲料水のCMかってくらい絵になる、白シャツイケメンの一気飲みを。


「うわぁ、私、遊園地なんて久しぶりです!露木さん、何から乗りますか?」

目的地である遊園地に到着し、賑わう園内を見渡しながら、私は、隣で園内マップを広げている露木さんに話しかけた。

「まぁ、落ち着け広瀬。まだ午前10時だろ?時間はたくさんあるんだし、遊園地は逃げたりしないから」

はしゃいでいる私を笑いながら、露木さんが私を宥める。

「わっ、わかってますけど、せっかく来たんですから、たくさん遊びたいじゃないですか」

私は、少しはしゃぎすぎて恥ずかしくなりながら、それでも笑顔で、露木さんを見た。

「確かにそうだな。広瀬は、まず何に乗りたい?」

露木さんも笑顔で、だけど、いつもの意地悪な笑顔ではなくて、本当に楽しそうな笑顔で、私はますます嬉しくなる。

「ジェットコースターに乗りたいです!」

私が答えると、露木さんは、驚いたような顔をした。

「へー、広瀬って、絶叫系好きなのか?なんか意外だな」

「そうですか?大好きですよ、絶叫系。縦に何回転もするやつとか、楽しいです」

私は、そう言いつつ、園内の奥の方に見えるジェットコースターを見る。そのジェットコースターは、縦に回転するわっかが二つある。

「ほう、なかなかの強心臓だな」

露木さんも、私の目線の先にあるジェットコースターを見つめた。

「もしかして、露木さんは苦手ですか?」

私は、普段からかわれているお返しとばかりに、露木さんに挑発的な目線をおくった。

すると、露木さんも私の方を横目で見て、フッと鼻で笑う。

「そんなわけないだろう?よし、それじゃ最初はあのジェットコースターで決まりだな」

ということで、露木さんと私は、先ほど眺めたジェットコースターへと向かった。

「きゃーーーー!!!」

そのジェットコースターは、実際に乗ってみると、想像以上にスリル満点なものだった。正直言って、ものすごく怖かった。

そういえば私、最後にジェットコースターに乗ったのって、中学1年生の時だった。4年経つと、人って変わるのかしら?縦回転、怖すぎた。

ジェットコースターを降りて、私はフラフラ。一方の露木さんは、平気そうに爽やかな笑顔を崩していない。なぜだろう?ものすごく悔しい…。

「大丈夫か?広瀬。そこにベンチがあるから、少し休もうな」

私は、強がる余裕もないので、露木さんの提案に素直にうなずく。

そんな私の様子を見て、露木さんは、ふらつく私の身体を支えるように、肩に手を回して、ゆっくりとベンチまで歩いてくれた。

私は、ベンチに座り込み、フーッと息をつく。

「ちょっと待ってて」

そう言って露木さんが、側にあった自販機で水を買ってきてくれた。

その水を受け取り、私は一気に飲む。

「はー、ありがとうございます。前は平気だったから、油断していました。怖かった…」

「ははっ、人の感覚は変化するからな。今の自分は、ジェットコースターが苦手なんだってわかったんだから、いいじゃないか」

「そうですね…。あっ、私、ジェットコースターじゃなくて、あの縦回転が苦手になっただけだと思います」

そう言って私は、先ほど乗ったジェットコースターを見上げた。

「そうなのか?なら、広瀬の主張が本当かどうか、後から縦回転がないジェットコースターにも乗ってみるか?」

露木さんは、ジェットコースターに乗る前に私がしたような、挑発的な目で、私を見下ろした。

「はい、絶対に乗りましょう」

そして私は、その挑発に簡単に乗っかり、また一気に水を飲んだ。

その後、少し休んでから、ゴーカートや空中ブランコ、シューティングゲームなどのアトラクションを回り、遅めの昼食を取ることになった。

並んでホッドドックを食べながら、露木さんが話す。

「にしても、絶叫系とか勝負物とか、広瀬は活発だな。

勝手なイメージだけど、メリーゴーラウンドとかコーヒーカップとかの方が好きなのかなって思ってた」

「もちろん、そういうのも好きですよ。でも、スリルがあったり、勝ち負けがあるようなアトラクションの方が、遊んでるなーって実感できるというか、勉強でストレス貯まっていたので、いい発散になりますね」

私も、ホッドドックを食べながら笑う。

「スリルね…。なら次は、お化け屋敷にでも行ってみるか?」

露木さんのその言葉で、私の笑顔が固まった。

「いいえ、ジェットコースターや空中ブランコで、スリルは充分味わえたので、お化け屋敷は遠慮したいかなーっと…」

私はそう言うと、空を見ながらホッドドックを頬張る。

怖いのは苦手だ。お化け屋敷なんて行ったら、怖すぎて動けなくなる自分が、容易に想像できる。

「へぇ、お化け屋敷は苦手か?」

露木さんが、楽しそうに尋ねてくる。

「苦手とか、そういうことではないです。怖くなんてありません…」

だけど、露木さんに弱みを見せたら、きっと面白がって、「まぁ、いいじゃないか。きっと大丈夫だよ。行ってみよう」とか言われて、結局行く羽目になりそうだから、私は露木さんを見ることなく、恐怖を否定した。

「そうか。怖くないなら、行っても平気だよな?俺、お化け屋敷行きたいなー」

あれ、予想外。私が平気なフリをすれば、露木さんのいたずら心を刺激することなく、お化け屋敷から興味をそらすことができると思ったのだけれど。まさか、普通に行きたがるなんて…。

だけど、遊園地に来てから、私が行きたいアトラクションに付き合って貰ったから、露木さんの要望にも応えなくちゃダメよね。

よし、覚悟を決めるのよ!

「いっ、いいですよ…。お化け屋敷、行きましょう」

私は、手が震えないように胸の前で両手を握り、表情を引き締め、露木さんを見る。足も震えている気がするけれど、気にしない。平気よ。

「ふっ、そんなに身構えなくても大丈夫だよ。冗談だから。広瀬が強がるから、からかってみただけだよ」

「え、行かないんですか?お化け屋敷。

あー、怖かったー。というか、私が強がっているって、どうしてわかったんですか?」

私は安堵して、思わず自分から、強がっていたことを認めてしまう。

「広瀬はわかりやすいからな。表情とか振る舞いで、すぐわかるよ」

露木さんは、おかしそうにクスクスと笑う。

わかりやすい?私って、そんなにわかりやすいの?

私が首をかしげると、露木さんは、また笑う。

「自分では気付いてないんだろうけど、広瀬は、緊張したり、気合いを入れて何かをしようとするときに、よくやる癖があるんだよ」

「どんな癖なんですか?」

私が、露木さんの顔を覗き込んで尋ねると、一瞬視界が暗くなる。

今朝、駅のホームで露木さんに取られてから、今まで返されなかったキャップを、目深にかぶらされたのだ。そして、すぐにつばが上げられ、露木さんと目が合う。

「それを教えたら、広瀬が意識して、その癖を直してしまうかもしれないだろ?そんなのもったいないから、教えない」

露木さんは、そう言って自分の口元に人差し指を立てて笑う。

これ以上聞いても、おそらく上手く交わされてしまうだろうと思って、私は追求を諦めた。

癖か…。強がりを見透かされたのは悔しいけれど、露木さんが、私をよく見ていてくれることが嬉しかったりする。

「さて、次は何に乗ろうか?」

食べ終わったホッドドックの包みをゴミ箱に捨てながら、露木さんが問う。

「うーん、次は露木さんの乗りたい物に乗りましょう。お化け屋敷以外で…」

私が、うつむきながらそう言うと、

「ははっ、了解。どれだけ怖がるのか興味があるけど、結構本気で無理そうだから、お化け屋敷はやめておこうな。

そうだな…。食べたばかりだし、あっ、お土産選んでも良いか?帰り際にはお店も混むだろうし、荷物を置いておけるコインロッカーがあるみたいだから、腹ごなしついでにさ」

「いいですね。行きましょう!」

そうして私たちは、お土産屋さんが並ぶエリアへと向かった。

露木さんの予想通り、まだ帰宅時間には早いため、どのお店も空いていて、ゆっくりお土産を選ぶことができそうだ。

「広瀬は、誰にお土産をあげるんだ?」

「私は、家族と親友に。親友にはいつもいろんなアドバイスを貰っていて、今回もお世話になったので、そのお礼をしたくて…」

私は、言ってしまった後ではっとした。

親友に貰っているアドバイスは、露木さんに対する恋心についてだし、今回お世話になったのだって、露木さんとでかけることへの緊張が高まりすぎて、私が迷走したために、今日の服装を選んで貰ったわけだし。そんなこと、露木さんには口が裂けても言えない。

「今回?」

「わー!露木さんは、誰へのお土産なんですか?」

案の定、露木さんが首をかしげたので、私は慌てて話をそらす。

「え?あー、俺は、今日の遊園地のフリーパスをくれた友達にな。自分から貰ってくれって頼んできたくせに、しっかり土産を要求してきたから、仕方なくな」

露木さんは、まだ不思議そうにしていたが、答えながら苦笑いを浮かべた。

「あっ、その事なんですが、その方のおかげで、私も遊園地に来ることができましたし、何かお礼をしたいんです」

「そんなに気を使わなくていいけどな。だけど、広瀬がそう言ってくれたら、あいつも喜ぶだろうし、それじゃあ、安い物でいいから、何か買ってやってくれるか?」

「はい!」

露木さんは、申し訳なさそうにしていたけれど、私としては、その方のおかげで、今日一日を、露木さんと過ごせているので、お礼としてお土産を渡すことができて、とても嬉しい。

「あの、その方って、どんな物が好みかわかりますか?」

「そうだな。メルヘンチックで可愛い物好きのほわほわ系女子だな。

俺が頼まれたのもあんなのだし」

露木さんが示す先には、この遊園地のマスコットである、熊の可愛らしいぬいぐるみがあった。

「なるほど…。て、あれ?女性なんですか?」

「あぁ、そうだよ。大学の同じ学科の同級生で、サークルも同じやつなんだ」

露木さんが、「友達」と言っていたから、てっきり男性だと思っていたけれど、女性だったのね。

それって、もしかして彼女なんじゃ…。今日の遊園地も、本当は恋人同士で来る予定だったけど、お相手が来られなくなって、チケットがもったいないから、私を誘ってくれたんじゃない?

だとしたら、私一人で舞い上がって、すごく恥ずかしい…。それに、彼女さんも、自軍の恋人と遊園地にいった女からのお土産なんて、全く嬉しくないよね…。

どうしよう、私。そうだとしたら、もうこの後の時間、素直に楽しめないよ…。

露木さんへの片思いが、こんな形で終わってしまうなんて…。

だけど、何も知らずに好きでい続けるよりも、今日知ることができて良かったのかも…。

そう思わないと、悲しさから立ち直れそうにない。

「あの、それって、その女性って、露木さんの…」

答えを聞くのが怖い。夢から覚めてしまうのが怖い。

私は、無意識のうちに、胸の前で両手を強く握りしめていた。

「広瀬…?」

突然様子が変わった私を、露木さんが心配そうに見つめる。

「その女性は、露木さんの彼女さんなんですか?それなら、私なんかがお土産を買っても良いんでしょうか?」

勇気を振り絞って尋ねた。私の表情は、真剣だ。

「あっ、違う違う!言っただろ?友達だって。

それに、今日広瀬と遊園地に行くことになったって、そいつにも伝えてあるから、広瀬からお土産貰ったら、まじで喜ぶと思うよ」

露木さんは、一瞬とても驚いた顔をした後、少し困ったように笑いながら、そう言った。

彼女じゃないんだ。ものすごく安心した。体中の力が抜けてしまいそう。

私、本当に露木さんのことが好きなんだな。片思いを始めてから、何度も露木さんには彼女がいるかもしれないと考えては、その時は、潔く身を引かなくてはと思っていたけれど、さっきの調子だと、簡単に諦めることはできなさそうだ。

だとしたら、私は一人でいろいろと勘違いをして、露木さんにおかしなことを言ってしまったんじゃない…?

安心したのもつかの間、私は、また焦ってしまう。

「そうなんですね。なんだかすみません。おかしなことを言ってしまって…」

とりあえず誤るしかない。さっき、私が尋ねたことは、綺麗に忘れて欲しい…。

「いやいや、俺ももっとちゃんと気を利かせるべきだったな。

それにしても広瀬は、俺が彼女がいるのに、他の女性と二人で出かけるようなやつだと思っているのか?なんだか悲しいな…」

そう言って下を向く露木さん。落ち込んでいるような表情には見えないんだけれど。

「別にそういうわけではありませんよ?」

自分がした、とんでもない勘違いをいじられて、私は恥ずかしくなる。まさに、穴があったら入りたい気分だ。

「いいか、広瀬。俺鼻、すごく一途なんだよ?彼女ができたら、めちゃくちゃ大事にするからな。しっかり覚えておくように」

またふざけているのかと思って、そう言い切った露木さんを見上げると、

「…っ!…はい」

露木さんの表情は、とても真剣なものだった。まっすぐに私を見つめている。

「あの…露木さん?」

真剣な顔のまま、しばらく何も言わない露木さんに、私の鼓動は早まり、彼が口を開く前に、限界を迎えてしまった。

「あっ、あー、そろそろお土産選ぶか」

私に名前を呼ばれて、我に返ったように、露木さんがお土産屋さんに目線を向けた。

そして、彼はいつも通りの表情に戻り、私たちは、それぞれにお土産を選んで購入した。

ちなみに私は、露木さんのお友達に、マスコットの熊のカップルがデザインされた、アクリルキーホルダーを選んで、露木さんが買った、同じ熊の男の子の方のぬいぐるみと一緒に、レジでラッピングして貰った。

その他にも、私は、家族には可愛い缶に入ったクッキーを、親友には熊のカップルと同じく、ここのマスコットである猫のカップルがデザインされたペアカップを選んで購入した。

親友には、3つ年上の彼氏さんがいて、いろいろと話を聞いているので、もし良かったら、彼氏さんとペアで使って貰えたらなと思って、ペアグッズにしてみたのだ。

3つ年上って、露木さんと同い年なんだよね。親友は、彼氏さんとは幼なじみらしいから、年齢とか関係なく、恋人同士になるのも納得できるけれど、露木さんは、年下って恋愛対象に入っているのかな?

やだ、私ったら、恥ずかしいこと考えてる。目の前に露木さんがいるのに…。

「ふー」

私は、乱れた思考を落ち着けるために、小さく息をついた。

「ん?疲れたか」

露木さんは、そんな私の様子に気がつく。本当によく見てくれているんだな。

「いいえ、大丈夫ですよ。まだまだ元気です!」

私は、先ほどまで考えていた内容を悟られないように、満面の笑顔で答えた。

「そうか?それなら、荷物もコインロッカーに預けたことだし、縦回転しないジェットコースター、挑戦してみるか?」

「望むところです!」

露木さんの提案に、私は一層笑顔になって、私たちは、朝一で乗った物とは別の、縦回転のないジェットコースターに向かった。

「ふふっ、言ったとおり、私が苦手になったのは、縦回転だけだったみたいですね!」

ジェットコースターから降りた私は、朝とは違い、ピンピンしていた。

隣の露木さんも、当然といったように涼しい顔をしているのが、少し解せないけれど。

「良かったな。にしても嬉しそうだな」

「はい!ジェットコースターは、遊園地の花形ですから。これに乗れなくなったら、かなり悲しいですからね」

私が答えると、露木さんは微笑んで、

「そうだな。それじゃあ、次はジェットコースターに負けないくらいの遊園地の花形に乗りに行こうか」

露木さんが指さす先には、夕暮れをバックにライトアップされた、大きな観覧車がそびえ立っていた。

露木さんと私を乗せたゴンドラが、夕焼け空に向かって、ゆっくりと上昇していく。上昇していくにつれて、ライトアップされた他のアトラクションや、遊園地の先に広がる海が眼下に広がり、息をのむほど美しい。

「すごい…。ものすごく綺麗…。

あっ、今朝乗ったジェットコースターも見えますよ、露木さん」

キラキラと、とても美しい景色を、露木さんと二人きりで眺めているという現実が、一週間前までの自分では、想像できなかったことで、嬉しさと緊張と感動で、胸が押しつぶされそう。

「本当だ。広瀬の因縁の縦回転のわっかが、よく見えるな」

露木さんも、この景色を眺めながら、楽しそうに笑っている。

あぁ、なんて幸せなんだろう…。このまま時が止まれば良いのに…。

自分が、こんなおとぎ話の一文のような感情を抱く日が来るなんて、あの頃の、後ろ向きな自分からは、想像できないけれど。私が前向きな自分になれたのも、恋心を知ることができたのも、今この瞬間、こんなに幸せな気持ちを味わえているのも、全ては露木さんの、今私の目の前で、キラキラした横顔で夜景を眺めているこの人のおかげなんだ。

「ありがとうございます。露木さん」

「え?」

この空間にあてられてしまったのかな?気付いたら、私は、露木さんの顔をまっすぐに見つめていた。

普段なら、絶対に恥ずかしくてできないけれど、私は、無意識に露木さんの瞳をまっすぐに捉えて、そらさない。

「今日、誘ってくれて、本当にありがとうございました。私、今日一日、本当に楽しくて、幸せで…。露木さんと遊園地に来ることができて、とても嬉しいです」

今の私の素直な気持ち。感謝と幸福を、露木さんに伝えたい。そして、胸に秘め続けたこの想いも…。

もう、言ってしまおう。だって、今の私、こんなに幸せだから。今なら、ふられたらだとか、そういうマイナスなことを気にせずに、この場の勢いで、言ってしまえる気がする。

私は、一つ大きな深呼吸をして、胸の前で両手をぎゅっと握りしめる。

覚悟はできた。さぁ、思いを伝えよう。

「あの、露木さん。私、露木さんに聞いて欲しい話があるんです」

心臓が、バクバクうるさい。だけど、口を開いてしまうと、すっと気持ちが落ち着いていく。

「広瀬。俺も、君に伝えたいことがある」

露木さんの、落ち着いた声が、整ったはずの私の感情を乱していく。

「え?」

露木さんが、私に伝えたいこと?

もしかして、私の気持ちに気付いて、告白される前にふるつもりとか?

「あ、ごめんな。そんな不安そうな顔しなくていいよ。悪い話をしたいわけじゃないから。どう受け取るかは、広瀬次第だけど。

それと、なんか、広瀬の話、遮ってごめんな。勢い余って、つい口を挟んでしまった。広瀬の話、聞かせて?」

私、そんなに顔に出てたかな?露木さんが、ものすごく申し訳なさそうにしている。

「話聞かせて?」と言われたけれど、一度乱れた感情は、なかなか落ち着いてくれなくて。

告白する勇気が、どこかへ飛んでいってしまった。

でもいいか。今日一日を、楽しい思い出として残すことができるなら、それだけで充分かもしれない。

「あの、私の話は、世間話みたいなものだったので、露木さん、先にどうぞ」

私は、そう言って笑ってみせた。どうしてなのか、涙が出そうなのを、必死でこらえながら。

「本当にいいのか?」

露木さんに問われて、私は、笑顔でうなずく。声を出すことができない。声を出したら、とどめている涙が、溢れてしまいそうだから。

「わかった…。

なぁ、広瀬。俺たちは今日、男女二人きりで遊園地に来た。世間では、こういうのをデートという。俺はさっき、恋人がいる状態で、他の女性と二人で出かけたりしないと言ったよな?」

私は、そっとうなずく。露木さんのゆっくりとした語りに、泣きそうだったのが、静かに落ち着いていく。

「広瀬はどうなんだ?」

「え?」

「恋人、いるのか?」

露木さんの表情は真剣だ。

「いません」

私もつられて、ゆっくりと応える。

恋人なんているわけない。だって、私は露木さんのことが…。

「そうか…なら、俺じゃだめか?」

私の思考が、一瞬で固まる。

だって、それって…。

「好きなんだ。君のことが。家庭教師をしていたときからずっと」

露木さんが、私のことを好き?そんなの、今まで何度も願って、そのたびに、そんなわけないって否定してきたことだった…。

え?待って。今私、露木さんに告白されてるの?どうしよう?信じられない出来事過ぎて、思考がシャットダウンしそう…。

でもだめだ。しっかり頭を働かせなくちゃ。今この瞬間、私は、大好きな人に「好きだ」と言われているのだから。ちゃんと、私の気持ちを応えないと。

「露木さん…私も、貴方のことが好きです!その…私も、露木さんが私の先生だった頃からずっと…」

ついに言えた。私の気持ち。ふられてしまうかもしれないだとか、そういう先のことを不安に思わずに、この気持ちを伝えることができるなんて、夢のようだ。

私の返事を聞いた露木さんは、とても嬉しそうな、安心したような、そんな表情をしている。

露木さんはすごいな。私が、何度挑戦してもできなかった「告白」をやってのけたんだから。

露木さんも、今まで私が味わっていたような緊張を、乗り越えてくれたのかな?私のために、私に思いを伝えるために…。

どうしよう。嬉しいのと、まだこの状況を受け止め切れていないのと、安堵の気持ちがごちゃ混ぜになって、さっき引いたはずの涙が、またこみ上げてきた。今度は、こらえるのは無理かも。

「…広瀬…それじゃあ、俺を君の恋人にしてくれるか?」

露木さんが、優しい声で尋ねてくる。

そんなの、応えは一択ですよ。

「はい!もちろんです!その、これから、宜しくお願いします!」

私の瞳は、涙でいっぱいで、もう、露木さんの表情が、かすんでよく見えないけれど、とにかく、とびきりの笑顔でうなずいた。

「あぁ、こちらこそ、宜しくお願いします」

露木さんの声も嬉しそうだから、余計に涙がこみ上げてくる…。

今日から私は、露木さんの恋人になったんだ。まだ、夢の中のような感覚はとれないけれど。願わくは、この先もずっと、この愛おしい恋人と、共にいられますように。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る