人生ゲーム

メンタル弱男

一人きり


 僕はたった一人きり、人生ゲームを広げてルーレットを回す。学生の頃に友人と作ったオリジナルの人生ゲーム。


 細部にまでこだわり、たくさんの色を使って仕上げたボードには、若さ故の夢と希望に満ちたマス目がぎっしりと並んでいる。

 所属していたサークルではその出来を自慢して、よくみんなで一緒にやったものだ。


 今になってふと、人生ゲームをやりたいと思い立った。わざわざ実家に帰ってまで手に入れたいほどに。


 ガタついた物置から持ち出した時にはうっすらと埃をかぶってはいたが、何年も前の輝き、自分達が一から作り上げた達成感から湧き出る輝きはしっかりと息づいていた。


          ○


『仕事辞めるよ。本当にごめんな。』

『ううん。まだまだこれからじゃない。』

『ありがとう。絶対に、、、』


 僕が俯き加減で呟くと、その細々とした声は由紀の前で、塩を振ったナメクジのように萎んでしまった。


 由紀と付き合ってからもう三年だが、彼女は僕を信頼して一生懸命応援してくれる。僕はというと、、、。


 仕事を辞めるのだって急だった。どこを目指しているのか?二十代も後半に差し掛かり、すでにまわりでは将来を見据えたキャリアを着実に進んでいる人ばかりだ。当たり前のことか、、、。


『あのさ、、、。いや、何でもない。』

『え、何?なんか変なの。』


 由紀は笑いながら、僕の顔を見つめる。この笑顔に何度励まされたことか。この笑顔に何度涙を流したことか。僕は今何を言いかけたのだろう。


 この笑顔を絶やさないように僕は強くなれるだろうか?


          ○


 僕はルーレットの引きが悪い。小さい数ばかり出るし、絶妙に悪いマス目ばかりに止まってしまう。


 ルーレットを回すのは一日一回と決めているから、なかなか進まず不遇の自分にやきもきする。


 これはたった一人きりの、所謂ソロ人生ゲームだが、やはりまわりに先を越されていくかのような遅れが心に冷たい空気を流し込む。息が詰まる。僕の手には何もないのに、気位は高い。この態度は改めなければいけないな、、、。


 止まったマス目には、『初めて自分で企画したプロジェクトが大誤算!大きな損失とともに様々な人の信頼を失い、自暴自棄になり退職』とあった。


 おいおい、やめてくれよ。こんな怖いマス目用意するなよ、と若かりし自分に文句を言いながら、少しずつ稼いでいたお金は謎の出費により半分無くなり、元から微々たる給料だったがそれも無くなってしまった。ゲームだとは言っても、やっぱり悲しい。

 ただ、失敗したのかもしれないが、自分自身で責任を持ってプロジェクトを企画したのは評価すべきところだ。失敗を糧に次へのステップを、、、、、、。と、ゲームだからこそ、無責任に自分をフォローしてみた。


 寂しい色をした夕焼け空が窓の向こうに広がる。暗くなった部屋の中、マス目の上を進む『棒状の僕』を乗せた車には、僕以外に誰もいない。。。


          ○


 由紀は僕の引越しを手伝ってくれた。何でも捨てずに置いておこうとする僕とは正反対で、『これはいらないでしょ?』『これも捨てていい?』と、あらゆる物を捨てていく。そのおかげで荷物はかなり減った。


 神戸に帰って新しい生活が始まる。気持ちとしては振り出しに戻る、といったところかもしれない。相変わらずスローペースで、みんなの背中を追うばかり。


『そんな事気にしなくていい。大丈夫、なんとかなる。』

『でも、どんどん離されてく。もう追いつけないんじゃ、、、。』


由紀が明るく照らしてくれた世界を一瞬で覆い隠すような僕の言葉。『でも』という単語は成長を阻むという事をよく知っているのに、何度も口滑ってしまう。

 由紀はそんな僕をじっと見つめる。そして泉のように透き通った柔らかい笑顔を向けてこう言った。


『追いつけなくても、別の方向へ進めばいいんじゃない?もっともっと自由に考えていいと思う。そっちの方がカッコいいよ。』


 僕の冷え切った心が抱きしめられるようにして温まっていく。血が通っていく感覚。今まで表面張力のように、ぎりぎりで持ち堪えていた様々な思いが馬鹿らしく感じた。


『だからさ、もっと前向きに物事を考えようよ。そうすればチャンスもきっと見逃さないから。』


 僕は涙を滲ませて頷いた。

 僕は強くならなければならない。


          ○


 人生ゲームを眺めていると、自分で作ったにも関わらず、一マス毎の起伏が激しいと感じた。“プロジェクト失敗”の次のマスは、“新たな能力を伸ばして成果を上げる”、とある。次ここに止まったとしたら、僕はどこで仕事を手に入れたのだろう?無計画に作られたボードをぼんやり眺める。


 でもその一方、これはこれで妙に的を得ているような気がする。成功と失敗は本当に僅かな差で生まれるものだと思う。成功したからといって驕らず、失敗したからといってグズグズしているようじゃ駄目だ。。。

 頭では分かっているのになぁ、、、。


 一人きりの人生ゲーム。僕の分身である棒も六人乗りの青い車に一人きり、寂しげな影を落とす。


 ちょっとカッコつけて左ハンドルにしてみたが、退職してしまった事を考えると、より一層寂しく見える。いや、むしろその為に頑張れば、、、。と頭の中ではどっちつかずのまま、不安定な心を揺らす。


 さぁ今日のルーレットは、どこへ連れて行ってくれるのか、、、。

 誰もいない部屋の中、カタカタと回るルーレット。


 お、10が出た!これは凄い!左ハンドルを乗り回し、豪快にマス目を飛ばしていく。


 さて、10マス目はっと、、、。


          ○


 僕は何を考えていたのだろう?なぜあんなにも、視界を狭くして塞ぎ込んでいたのだろう?不安や悩みは成長への手掛かりじゃないか。


 由紀の言葉が僕の背中を守ってくれている。そっと温かい。今の僕は前だけを見ればいい。自分を信じてくれる人の為にも僕は立ち止まるわけにはいかない。


 そして僕は心から由紀を信頼している。


『街が綺麗だね。まるで絵本みたい。』

『高い場所に来れば、少しでも空想の世界に近づける気がするんだ。この景色を自分の手で作ったような気分になれる。』

『あなたって、やっぱりとっても変わってるね。でもこの景色は本当に綺麗。。。』


 僕達は街の真ん中にあるビルのレストランで食事をしている。この景色は新たな一歩を踏み出そうとする自分への、少しばかりのご褒美のように感じられる。


 由紀の横顔が寒々とした夜空に光るオーロラのように艶やかに色を放つ。その揺れている色を余す事なく僕は浴びている。そのじっと見つめる視線の先に目をやると、窓ガラスに映る彼女と目が合った。僕は少し照れたように目を逸らした。由紀はそれを指摘して笑っている。


 僕は何を喋っていいのか分からなくなる。それもそのはず、いつもと違って違和感のある右ポケットで頭がいっぱいだからだ。


 何度この日を夢見ただろう?僕はこんな日にはもっと出世しているものだと決め込んでいた。それなのに、僕は今が出発点と言っても過言ではない。誰もが反対するかもしれない。それは正しい助言なのかもしれない。大変な苦労が待っているのかもしれない。


 でも、、、。それでも僕は当たり前の形なんて存在しない事を知った。この道を選んだからには引き下がる事はない。後悔こそ何をも生まない一番の罪だと、そう思っている。


『僕はいばらの道を行く。手にしたはずの安定は捨ててしまった。だからこそ生まれ変わるんだ。』

『急に何?何かの物語みたい。』


 由紀は無邪気に笑ってくれる。でも瞳の奥は真剣な心が映っている。


『僕は由紀を尊敬してる。僕はそんな由紀には到底及ばないかもしれない。でも、これだけは強く言える!』

『うん、、、。』


『僕は、、、。由紀を愛しています!、、、世界で一番!、、、だから、、、』


 僕はおぼつかない手つきで右ポケットから箱を取り出した。そしてそれを開けて、、、


『これからもずっと一緒に、歩んでいきたいです。僕と結婚して下さい!』


 彼女はゆっくりと目を閉じた。

 そして、、、。


『はい。お願いします。』


 由紀はダイヤのように輝く涙を、僕は土臭い涙を流して、新しい人生の幕開けと共に、夜空では一つ歓喜の星が清らかに流れていった。



          ○



        あとがき


この物語は、一人寂しくも懸命に人生ゲームを行う男の、その煮えたぎる妄想力の結晶である。


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