第5話 疑い?

 凍えるような暗い瞳と言葉に体が固まる。


「なんもないけど……」


 かろうじて絞り出した言葉はそんなものだった。


「何も無い……ですか。いえ、いいです。恍けるつもりなら聞きません。ですが、これ以上ローズ様にかかわらないでください。命じられた用意は致します。なので三日たったら出ていってください」


 冷たい表情のまま淡々と告げられた。


 声も氷のように冷たくて、怖がることなんて一つもないというのに、手が震える。疑惑という色に染められた目を向けられたのは初めてだった。


「そ、その事ってそのお嬢様が俺に提案したんだけど……? 俺は別になんかしてやろうなんて考えていないぞ」


「……そう言うのでしたらこれから貴方を三日間ずっと監視致します。それで貴方がお嬢様に害があるか確かめさせていただきます。よろしいですね?」


 俺の誠心誠意の言葉が彼女に届いたのか、ほんの少しだけ声音が和らいだ気がした。


「よろしいです。それで疑いが晴れるなら。……何で疑われてるかよく分からないんだけど」


「では、失礼しました」


「はい、おやすみなさい」


 一貫して冷たい態度でよそよそしく言っていたが、丁寧に礼をして静かに扉を閉める様子からは、しっかりとしたメイドの風格を感じる。


 また一段と疲れた。体をベットに投げ出す。どうやらこのベットは庶民が使うようなものではない。度を越したフカフカさだ。巨大な生物に飲み込まれたみたいに体が染み込んでいく。それと同時に一気に眠気が襲ってくる。


 その眠気を振り切り、考えを巡らせる。


 今のは何だったんだ? この世界の人達は情緒不安定な奴ばっかりなのか? とりあえず理由は分からないが疑われてるということは考えて置かなければならなくなった。


 しかし、常識的に考えて王女の前に身元不明の男がやってきていろいろ援助を受けようとしたら、使用人が不審に思うのは当然なのかもしれない。


 面倒事が増えてしまった。もういいか寝よう。明日のことは明日考えよう。


 体と共に意識を深く落とすために瞼を閉じる。


 …………。……。


 ……眠れない。今日はいろいろあって疲れていることに加え、つい先ほどまで強烈な眠気があったのだが、一度振り払ってしまったせいかそれはどこかに行ってしまったようだ。


 変に目がさえてしまっている。どうするべきか。勝手にこの屋敷を探検したらあのメイドにより怪しまれてしまいそうだし。とりあえず、トイレに行くふりをして少しだけ見て回るとしよう。


 あまり音を立てないよう慎重にドアを開ける。


「何用ですか?」


「イヤーーーーーー」


 あのメイドがいたのだ。扉の横に毛布をかぶって座り込んでいたのだ。こんなこと叫ばずにはいられなかった。


「夜遅くなので静かにしてください。近所迷惑です」


 凄い目でにらまれた。この年になって本気の注意を受けたのは久しぶりだ。


「すいません。――なんで居るんですか?」


 謝罪をしつつ恐る恐る聞いてみる。


「? 先ほど申し上げたと通り。ずっと監視しているのですが何か? あなたは確かに『よろしいです』って変な言い方で許可をしたように思いましたが?」


 首を傾げブツブツ「あれはダメって意味だったのかな」とかつぶやいてる。


 このメイドの少女らしい態度は初めて見たが、こちらの方がかなり好感が持てる。


「いや、ちょっと部屋に張り付いているとは思わなかっただけだよ。どうぞ思う存分監視してください」


「なんですそのニマニマした薄ら笑いは? 馬鹿にしてるのですか? 許しませんよ」


 擬音で表現するならばプンプンだろう。そうした感じで怒っていらっしゃる。どこか妹の一人に似た怒り方で、自然と笑みがこぼれてしまう。しかし、これ以上やっていると本気で怒りそうなのでやめておく。


「本当に申し訳ない。トイレに行こうと思って。どこだっけ?」


「もう! トイレはあそこを真っすぐ進んで左に曲がった所の三番目の扉です。もっと早く来てくださいよ」


 なぜこれほどまでに怒っているか分からない。これまでの対応でどこか間違えた所があったとも思えないのだが。


「その……なんでついてくるんですか?」


「監視です。後怖いでしょうし、付いて行ってあげるんです」


 メイド少女はエッヘンとその薄い胸を張って答える。


 中までははいってこないよな……。そんな心配をよそに静かな廊下を進んでいると前から人影が見えた。


「こんな時間にどこに行くの? 屋敷の探索? 今からしたら朝になっちゃうわよ?」


 何を隠そうこの屋敷の主ローズお嬢様であった。ネグリジェなのか、薄着でいてノースリーブの服から伸びる白い腕が眩しい。


「違う違う、トイレだよトイレ」


「なんだつまんない」


「俺はお前の面白さ基準で生きてるわけじゃないんだよ」


 肩をすくめてそう言う。


「な、なんてことを言うんですか? 失礼極まりない……。ローズ様だだちに処刑します。お下がりください」


「そこまですんの? やり過ぎじゃない?」


 どうしてこんな可愛いメイドからこんな物騒な言葉が飛び出してくるのだろうか。


「あはは、いつの間にそんなに仲良くなったの?」


「「なってない!!」」

「「なってません!!」」


「息ぴったり、ふ、ふふふ、おなか痛い」


 腹抱えて笑う姫様。見当違いを訂正しようとした両者の言葉が重なったことが余程お気に召した様子。


 ……この様子だとあの時みたいなやけは起こさなそうだ。


「おなか痛い!? 大丈夫ですか! 直ちに人を読んでまいります」


 笑いすぎて苦しそうなローズの周りを慌てて駆け回る小さなメイド。


 こんなことでもここまで心配するのってメイドの仕事うまくやれているのだろうか。


「待て、そうじゃない。可笑しくて笑い過ぎておなかが痛いんじゃないか? 病気でも怪我でもないと思うぞ」


「うんうん、そうよ」


 一応真面目に心配しているようなので、真剣にそれを解こうとした言葉を、落ち着いた当の本人も重ねて答える。


「そうでしたか、よかった。では頑張ってくださいね。私はこの男がどうしてもトイレについてきてほしいというので仕方なくついていきいます」


 胸をなでおろし、思い出したかのようにそう言った。


「うん、ありがと。カナはもうトイレ私がついていかなくていいの?」


「もう、意地悪しないでください。もうちゃんと一人で行けます」


 主従を超えたようなやり取りを繰り広げるこの光景を見ていると少し落ち着く。もしかすると父性に目覚めてしまったのかもしれない。


 そしてちっこいメイド……カナと呼ばれていた彼女に連れていかれトイレにつく。


 そこでトイレに入ってこようとしたカナを食い止めるのに一苦労したんだが、それはまた別のお話。

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