第8章 - 3  1980年 五月三日 土曜日(2)

 3  1980年 五月三日 土曜日(2)

 



 それからあっという間に、三人は病室前に並び立つ。

「えっと、わたし、とりあえず黙ってるから、困ったらすぐ、こっちに振ってね」

 扉を見つめたままそう声にして、千尋は達哉の背中をポンと叩いた。

 そして三人の登場に、まさみは予想以上の反応をした。

 ――旅行の時はありがとう。

 ――わざわざ来てくれてありがとう。

 ――色々忙しいでしょうに、本当にありがとう。

「ありがとう」を連発し、終いには……「ごめんなさい」と涙まで見せる。

「でも、ごめんなさい。せっかく来て頂いたのに、この人ずっと、目を覚まさなくて……」

 本当に申し訳ないと、彼女は深々首を垂れた。

 そうしてぎこちない挨拶も終わり、達哉がいよいよ口火を切った。

「母さんさ、実はね、ちょっと聞いて欲しいことが、あるんだけど……」

 ――いいかな?

 まさみの顔色を伺うように、彼はひと呼吸だけ押し黙る。混乱しているように思える母親に、当初の勢いに加えて、ほんの少しだけ躊躇が混ざった。

 それでも止めるわけにはいかないし、達哉はまさみを見つめて告げるのだった。

「天野翔太さん、なんだけど、実は彼の誕生日って、昭和の、三十二年、五月六日なんだよね……」

 そこで一気にまさみの顔に動揺が走った。

 しかし普通に考えれば、偶然以外の何ものでもないだろうし、彼女もまさしくそう思ったのだろう。すぐにこわばった顔を弛緩させ、

「そうなの……一日、違いなのね……」

 まるで独り言のようにそう声にする。

 それから、翔太と千尋を交互に見つめ、チョコンと小さく頭を下げた。

 きっと、達哉から聞いているだろう二人に向けて、それは「真実」なんだという意思表示なのだ。そしてテーブルを挟むように置かれたソファーを二人に勧め、隅に置かれていた丸椅子を指差し、声にした。

「あなたはあれでいい? もっとちゃんとした椅子も、借りてこれるけど……」

「いや、大丈夫。あれで充分だよ」

 達哉がそう答えると、まさみはホッとしたように、ベッド脇にあった折り畳みの椅子に腰掛けた。

 それから達郎の方へ視線を移し、変化のないことを確認する。そうして未だに立ったままでいる達哉らを見つめ、ほんの少しだけ口角を上げて声にした。

「先日の旅行、天野さんと本間さんのお陰で本当に楽しかったわ。きっと主人も、心から喜んでいたと思うの……」

 そこからはっきり天野翔太に目を向けて、

「これからも、達哉と仲良くして下さいね……」

 そう言ってから、今度は千尋を見つめてニコッと笑った。

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