第7章 - 4 真実(3)

 4 真実(3)

 



 勤続三十年。明日が誕生日で七十歳となる。

 内池敏夫は三十代後半で、勤めていた会社が倒産し、知り合いの伝でこの病院に勤め始めた。

「で、今日が最後のお勤めなんだ。だから、なんだかね、これもきっと、何かの縁かなって思ってな……」

 早番で、ちょうど仕事が終わったから、もし良かったら付き合わないか?

 藤木という苗字を告げて、さらに達郎のことを説明した途端、彼はそう言って達哉に向かって笑顔を見せた。

 それから馴染みだって居酒屋に案内されて、二人は四人掛けテーブルに向かい合う。

 内池は達郎のこともよく知っていて、達哉の知らない話をいろいろ教えてくれるのだ。

「で、あんたは今、幾つになるの?」

 ひと通りの注文を済ませ、彼が静かにそう聞いた。

「去年高校を卒業しまして、今は、十九歳です」

「そうか、じゃあ弟さんだね……で、大学生なの?」

そんな問いに、「はい」と口だけ動きはしたが、声はまったく出てこなかった。

 弟さん……そんな言葉が胸に刺さって、達哉はしばし絶句する。

「お兄ちゃんはまだ、見つからないんだよね。まったく、ひどい話だよ……もう、思い出すだけで……」

 そこで瓶ビールが運ばれてきて、内池は出掛けた言葉を飲み込んだ。

 それから口角だけをキュッと上げ、二つのコップにビールを注ぐ。

「ま、とにかくさ、なんでも聞いてよ。知ってることは、なんでも話すさ……」

 そう言ってから、コップを顔の位置まで持ち上げて、口の動きだけで「乾杯」と唱えた。

 そこからは、内池自らほとんどを話した。

 ただ唯一、達哉は山代のことを尋ねただけだ。

 そうして彼は言葉通りに、知っていることすべてを話してくれる。

「なんたっていい加減な仕事ぶりだったからね、あいつは……遅刻はするわ、しょっちゅう休むわで、どっちにしたって首だったろうけど、まあ、あの事件があって、あんたの親父さんが辞めちまってから、すぐだったと思うよ、あいつが来なくなったのも……確か、高校ん時の同級生で、どっかで偶然会ったらしい。でだ、どうせあいつのことだから、あんたの親父さんに泣き付いたんだろうけどね、藤木さんの紹介でさ、あの病院で勤め始めたんだ。だから、ちょくちょく言ってたよ。高校時代、俺はあいつより頭がよかったって、さも自慢げに言うんだ……馬鹿だよねえ〜」

 そう言ってから、店員に向かって人差し指を立て、「おんなじの」と声にする。

 それから達哉に「もっと飲め」という仕草を見せて、フーと大きくため息を吐いた。

「で、それからさ、あんたのお兄ちゃんが誘拐されて、藤木さん、いっときは廃人のようになっちゃってね、結局、そのまま辞めることになったんだと思う。俺はさ、あんたのお袋さんも知ってるから、あの事件のことを考えるだけで、この胸がさ、どうにもギュウっと苦しくなるよ……」

 辛そうな顔でこう告げて、彼はこの後しばらく沈黙する。

 そうして再び話し出すのは、三本目のビールが運ばれてからだ。

 山代は、達郎と高校時代の同級生で、やはり同じ病院で働いていた。そして達郎の幸せに嫉妬して、〝こともあろうに〟生まれたばかりの赤ん坊に手を出したのか……?

 ――その結果、赤ん坊はどうなった!?

 そんな疑問の答えを知るために、彼は再びアパートに向かう。

 その道すがら、内池の話した言葉が何度も何度も思い出された。

 ――お兄ちゃんはまだ……。

 ――廃人のようになっちゃってね。

 ――お袋さんも知ってるから。

 ――ギュウっと苦しくなるよ……。

 そんな言葉が繰り返されて、達哉の心は深い闇へと沈んでいった。そうしてアパートに着いた頃には、疑問の答えを知るなんてことは二の次となる。

 殺意にも似た疼きが充満し、ただただ怒りの気持ちが思考すべてを支配した。

 ところがだ。

 当の山代が消えていた。

 扉に鍵もかかっておらず、さっきまで寝ていたせんべい布団もそのままだ。

 ――買い物にでも、行ったのか?

 ほんのいっときそう思ったが、薄汚れた松葉杖が放り置かれたままになっている。

 となれば、誰かの手を借りたと思うしかないし、あんな身体じゃいずれは戻ってくるだろう。そう考えて、彼は部屋の隅っこに座り込む。

 煮えたぎる疼きを抑え込み、ただただせんべい布団を睨み付けた。

 しかしいくら待っても戻らずで、達哉は次第にジッとしているのも辛くなる。そうして八時を回ったところで達哉はやっと立ち上がるのだ。

 また明日、朝一番にやって来て、

 ――今度こそ、すべてをしっかり話してもらうぞ!

 そんな決心を心に刻み、彼はアパートを後にした。

 しかし結局、山代を見たのはその日が最後。

 達哉は二度と、彼に会えないままとなる。

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