第6章 - 1  1980年 1月13日 

 1  1980年 1月13日 

 



 最高気温が3、9度しかないっていう寒い雪の日、突然、千尋から家に電話があって、達哉は慌てて大山に向かった。

 すでに翔太と千尋は呑んでいて、達哉の顔を見るなり千尋が笑顔で言ってくる。

「もう元気そうね、よかった!」

 それから右手で何かを差し出し、

 ――お、み、や、げ。

 と、口の動きだけでそう言った。

 差し出された包みを手にしてみれば、〝信州戸隠そば〟 とある。

 これはもちろん長野のお土産で、元々達哉も一緒に行く筈だったのだ。  

 ところがその前日に、いきなり39度の高熱だ。水曜、木曜と「うんうん」唸って、金曜日になってやっと熱も治まった。

 そうして日曜日の今日、夜の八時って時間に集合が掛かった。

「それ、すごく人気らしいよ。でも、うちの実家の方のお蕎麦もさ、けっこう美味しいんだよ、今度、みんなで遊びに来てよ」

「え? 本間さんの実家ってどこだっけ?」

 蕎麦を両手で頭上に揚げて、達哉はすぐさまそう返す。

 すると翔太が千尋の顔を覗き込み、ニコニコしながら聞いたのだった。

「出雲大社だよな? 確か、松江だっけ?」

「違うわよ、松江は県庁所在地で、一応ね、一番栄えてるところです」

「え? それってどこよ、なに県の話?」

「あ! ひっど〜い、知らないの? 出雲だよ! 松江だよ! あなたねえ、そんなことも知らないでさ、大学生やってていいわけ?」

 千尋がけっこう本気で憤慨し、達哉に向かってそう毒付いた。

「わかってますって! だからさ、俺だってさ、これでもなんとか付いて行こうと頑張ってるんだぜ!」

 ここのところ寝る間を惜しんで机に向かい、そんな睡眠不足が影響してか、最近しょっちゅう熱が出る。そんなわけで長野行きも運悪く、ひとりで留守番ということになっていた。

「いい? わたしの実家はね、松江でも出雲大社でもありません。直江っていうところなの! 覚えておいてくださいね!」

 そう言ってから、千尋はやっと達哉の方へ笑顔を見せた。それから長野で聞き込んだ話なんかを聞かされて、達哉はポツリと声にする。

「ああ〜 俺も行きたかったな〜」

「なんたって今回は、ぜんぶ店長持ちだったからね」

 すぐさま千尋が満面の笑みでそう返し、

「料理もさ、最高だったしなあ〜」

 続いて翔太も声を揃えて笑顔を見せた。

「よし! 来週の平日、一日店を休みにするぞ!」

 いきなり店長がそう声を上げ、長野に行くなら自分も連れて行け! その代わりに費用は持つと言い出した。

「でね、翔太さんも来週から、この大山で、働くことになりました!」

 ――あれ? 翔太さんだったっけ?

「ま、ちゃんとした仕事が見つかるまでだけど、しばらくは千尋ちゃんと一緒に働くことにしたんだ」

 ――ん? 千尋、ちゃん?

 長野から帰っていきなり天野さんが翔太さんになり、本間さんが千尋ちゃんとなっている。もちろん未来で経験した達哉の記憶に、千尋の存在は皆無だったが……、

 ――ま、そういうことも、あるんだろうな……。

 いろいろ動いたことで、確実に翔太の人生は新たなものになりつつあった。

 とにかく目指していた目標は達成したし、はっきり言って、この二人がうまく行ってくれれば嬉しい限りだ。

 なんてことを思っていると、千尋がいきなり達哉に向かって聞いたのだった。

「そう言えばさ、藤木くん、高城店長の名前って知っている?」

「いや、知らないよ……なんで?」

「面白いのよ、とっても……」

「こら! 余計なことまで言わんでいい!」

 いきなりそんな声が響き渡って、いつもの厨房から高城が顔を覗かせている。

「ほら、見て見て! あの人の名前、権八って言うのよ、権八、凄くない? 高城権八なんてさ、江戸時代しかあり得ないって〜」

 千尋がそう言い放ち、なんとも嬉しそうにケラケラと笑った。

 ――ああ、楽しいな……。

 そんな気持ちをふと感じ、達哉は二人に感謝したいと素直に思った。そしてこのような平穏な日々が、ずっと続いて欲しいと願うのだった。

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