第3章 -  2 千尋と翔太(2)

2 千尋と翔太(2)

 



 ――あれ? なんで?

 左足を床に下ろした途端、いきなり身体がグランと揺れた。

 ――え? 嘘! 

と思った時には左っ側に大きく傾き、ついでに脚までカクンとなった。

 ――あ、ダメ!

 このまま床に激突しちゃう! と思った瞬間、何かが千尋の身体を抱き止めたのだ。

 慌てて顔を上げれば、息を感じる距離ってところに天野翔太の顔がある。彼は笑顔を見せたまま、千尋の足元をしっかり床に着け、優しい声で告げたのだった。

「ね、思った以上に酔っ払いでしょ?」

「あ、本当に、ごめんなさい、あ、あの、ありがとう、ございます」

 我ながら、ドギマギし過ぎって感じだったが、酔っていたから仕方ない。

 ただとにかく、酔っ払ってる自分がよく解ったし、

「もう、帰った方が、いいと思うよ」

 そう言って微笑む彼の笑顔に、なぜだかとっても〝ジン〟と来た。

 ところがそのすぐ後に、いきなり怒号が響き渡る。

「おまえ! なに言ってんだよ!?」

 綾野剛志。

 医大に通う三年生で、なかなかの二枚目で店では結構人気があった。

 だから誘われた時には正直ちょっと嬉しかったし、デートみたいな気分だったのも本当だ。

 だからちょっと飲み過ぎた?

 たった二、三杯、飲んだだけなのに……?

 なんて気分が吹っ飛ぶような大声で、振り返れば綾野剛志が仁王立ちを見せている。

「なに勝手なこと言ってんだっての!」

「ご存知でしょ? あのカクテル、二十度くらいあるってこと……」

 ――ちょっと待って? 二十度ってなに?

「だからなんだ! こっちは客なんだ! なにを頼もうと、こっちの勝手だろうが!」

 ――え? もしかしてアルコール度数? じゃあ、日本酒より強いってこと?

 なんて思っているうちに、綾野剛志は一気に天野翔太に近付いた。そのまま拳を振り上げて、今にも殴り掛かろうかって雰囲気そのもの。

 ――やめて!

 だからそう叫ぼうとした。

 ところがそうしようとした瞬間、マスターの背中が一気に視界を塞いでしまう。

 え? と思っているうちに、綾野剛志は羽交い締めにされて、それからほんの数秒間、時が止まったように身動きひとつしなかった。

「二度と来るか! こんな店よ! 」

 マスターの腕が離れた途端にそう叫び、彼は店から出ていってしまうのだ。

 後から聞いた話だが、綾野剛志は何度もこの店に訪れていて、その都度違う女を連れていたらしい。

 ――おまえな、この店は、女を酔わすためにあるんじゃねえぞ。

 マスターは彼の耳元でそう呟いた後、

 ――今度、女連れで来たら、てめえ、殺すぞ……。

 さらにそう続け、綾野剛志への羽交い締めを解いた。

 そうしてこれ以降、彼は居酒屋のバイトも辞めてしまって、今のところは道で偶然出会ってもいない。

 ただそんなことがあってから、逆に天野翔太とは偶然よく会うようになる。

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