第2章 - 2  変化(2)

 2  変化(2)

 



 そんな時だ。

「おーい、藤木〜」

 いきなり彼を呼ぶ声がして、声のする方に慌てて目を向けた。

 すると女子大生――だろうと思う――がこっちを向いて、右手を高々上げて大きく左右に振っている。

 ――どうする? 俺も、振った方がいいのか?

 なんてことを一瞬思うが、どう考えたって恥ずかしかった。だから困った顔を向けたまま、この先の展開をドキドキしながら見守ったのだ。

 すると向こうの方から近付いてきて、彼を見つめて不機嫌そうに言ってくる。

「どうしたのよ、珍しいじゃない? あなたが授業出ないなんてさ」

「ああ、ちょっと、野暮用で……」

 ここまでは、ちゃんと自然に言えたと思う。

「へえ〜……藤木くんでも、そんなことあるんだね、ふ〜ん、そうなんだ……」

 そう言った後、彼女はいきなり顔を達哉の顔に思いっきり近付ける。それから二十センチくらいしか離れていない眼(まなこ)を見つめて、

「ま、いいか……で、ノートは?」

 そう言いながら、ほんのちょっとだけ口角を上げた……と、思ったら、

「嘘! ちょっとお! 嘘でしょ?」

 いきなり二、三歩飛び退いて、

「持ってきてないの? それじゃあ、わたしのレポートどうなるの?」

 天を仰いでそう言ってから、達哉を「ギッ!」と睨み付けた。

「ちょっと待ってよ! 落第したら、天野くんのせいだからね!」

 当然、達哉の方はなんのことだかさっぱりだから、ただただ目を丸くするだけで精一杯だ。

「ねえ! 黙ってないで、なんと言ってよ!」

 この間、達哉はひと言だって発していない。

 ――ノートって?

 そう思っただけだった。

 それからちょっとだけ視線を外した途端、

「もうさあ、真面目だけが取り柄なんだから、ちゃんと約束くらい守りなさいよ!」

 彼女は吐き捨てるようにそう言って、さっさととこかへ行ってしまった。

 きっと黙って立っていれば、〝JJ〟モデルとウソ吹いたって通るだろう。

 栗色の髪にワンレンロン毛のチョー美人。以前の彼なら近付くことさえ叶わぬような大人っぽい女性が、ついさっきまで吐息を感じる距離にいて、

 ――どうして、俺があんなこと言われなきゃいけないんだよ!

 真面目だけが取り柄なんだと言い捨て、去った。

 それでもやっぱり、

 ――おっぱい、結構デカかったよな……。

 なんてことを思ったりしながら、彼が再び歩き出そうとした時だった。

 広瀬由依美、十七歳の高校三年生。

 もちろん今の達哉にとっては初対面だったし、さらにさっきのワンレンよりもたいそう始末が悪過ぎた。

 最初は笑顔だったから、ぶっちゃけドキドキワクワクだ。

「こんにちは」って声に振り向けば、そこにいたのは制服姿の女の子。

「わたし、あそこでいつも、待ってたんですよ」

 そこまでは、可愛い顔が微笑んでいた。ところが困ったって顔をしていると、いきなり顔を曇らせる。

「あそこって、どこだったっけ?」

 そう返した途端、その目に涙がウルウルときた。

「あ、あ、ごめん、俺、今ちょっと、急いでて……」

 だから必死にそう声にして、そのまま立ち去ろうとしたのが悪かったのだ。

「約束は!? ちゃんと約束したじゃないですか!?」

 ――おいおい、約束ってなんだよ?

「だから、ちゃんと待ってたんです! 藤木さんが、合格するのを、わたし、待ってたんですよ!」 

 そこで「ワッ」と泣き出したりすれば、きっと達哉は逃げ出していただろう。

 ところがなんとも微妙な感じで、そうしたくても、視線を逸らすことさえできなくなった。

 きっと、後ひと言でも発すれば、我慢できなくなるのだろう。

 口を真一文字に食いしばり、ジッと達哉のことを見つめている。そして、その唇がピクピクする度に、見開いた眼(まなこ)で溜まった涙が揺らめいた。

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