第1章  -  4  山代勇(3)

 4  山代勇(3)




「なあ、翔太。たまにはよ、早く閉めちまおうか?」

「え? いいですけど、オーナーに怒られませんか?」

「このまま開けてたって、今日みたいな日に、客なんて入りゃしねえって……」

 そう言って、さっさと看板の電源を切ってしまった。

 その夜は風が強い上に大雨で、駅前の通りも閑散としている。電車が着いてしばらくは人の流れもあるのだが、あっという間にどこかへ消え去ってしまうのだ。

 だから素直に思うのだった。

 ――こんな日に、どこかへ寄ろうなんて思わないよな……。

 とは言え、閉店にはまだ三時間もある。なんとなく後ろめたい気持ちを抱きつつ、ここに座れと指差す山代の隣に腰を下ろした。

 彼はグラスにウイスキーをなみなみ注いで、翔太の前に差し出してくる。

 琥珀色の液体を見つめ、翔太は囁くように言ったのだ。

「俺、ストレート、厳しいっすよ〜」

「なんだ、やっぱりお坊ちゃんだな」

「勘弁してくださいって、俺だってそれなりに、辛い人生歩んできたんですよ……」

 そう言いながら、翔太はカウンターに置かれたアイスボックスに手を伸ばした。

「それでもお袋がね、中一で死ぬまでは、まあ、普通に生きていたんですけど」

 それからあった様々な出来事を、彼はざっくり話して聞かせた。

「ふうん、そうなんだ。俺もまあ、似たようなもんだけど、それでもなんかな、違うんだよ、お前さんはさ、なんだか拗ねてねえって、かさ……」

「山さん、バカ言わないでください。思いっきり世を拗ねてますよ、僕は……」

「ほれ、〝僕〟なんて言うのはな、やっぱ、お坊ちゃんだよ!」

 そう言って大笑いする山代を、翔太は嬉しそうな顔して見つめ返した。

 ここのオーナーと面接した時、彼は正直諦めていた。

「そう、天涯孤独なんだ……そりゃ、大変だね……」

 なんて言いながら、その顔にははっきり「NO」の二文字が浮かんで見えた。

「でもな、俺だって似たようなもんだしよ。だから言ってやったんだ。親がいて、子供がいたって馬鹿野郎はたくさんいるぜって。逆に、そんなのがいない方が、一生懸命働くもんなんだよってな!」

 そんなマスターの助言が効いて、翔太の就職はなんとか決まった。

 それから数ヶ月が過ぎた頃には、「翔太」「山さん」と呼び合う仲になっている。

 山代も若い頃に両親を亡くし、今も単身アパート暮らしで家族はいない。だから店が休みとなる月曜日には、翔太は何かと付き合わされた。

 山代はとにかく賭け事が好きで、競輪や競艇ばかりをやりたがるのだ。

「人生ってのは一度っきりだぜ! 大穴を狙わないでどうするよ!」

 なんてことを言いながら、終わってみればスッカラカンだ。

 借金だってあるのだろう。

 たまに店にも催促らしい電話がある。

 そんな時、彼は何度も頭を下げて、電話を切った後必ず何か毒吐いた。

「うるせんだよ! 馬鹿野郎!」などと声にして、すぐに戯けた顔を翔太に向ける。

 実際、ダラしないところもたくさんあって、その最たるものが酒だった。

 ちょこちょこ客の目を盗んでは、ボトルからショットグラスにササっと注ぐ。それを素知らぬ顔してグイッと喉奥に流し込み、彼はなんとも嬉しそうな顔をして見せるのだ。

 それで特に酔っ払ったふうでもないのだから、よっぽどアルコールに強いのだろう。

 これで女性問題でも絡んでくれば、三拍子揃った道楽オトコってことになるのだが、

「もうよ、オンナは懲り懲りだ……」

 結婚は、もう考えていないのか?――という問いへの答えがこうだから、きっと若い頃はそうだったのかもしれない。

 とにかくそんなマスターのいるバーは、彼にとって申し分なく、こんな生活がしばらく続くと思っていたのだ。

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