ヒトリノ飯への応援コメント
なんか色々共感できました。一人で行動すると見るものの解像度が上がるので、映画にしろ、美術館にしろ、旅にしろ濃い時間になるなと感じます。
その濃い時間を感じていた者同士の感覚共有って尊いかもしれません。
あと「すごすぎる才能って、普通に生きる上では邪魔でしかないのかも」も偉人とされる方たちはこの感覚で生きづらかったって話、結構ありますよねえ。
社会に馴染む能力か自分を極める揺るぎなさか。バランスよくと言いたくなるけれど、実際はどちらかに寄らないと中途半端で、それが一番生きづらそうにも思えてきます。
作者からの返信
いつもありがとうございます(*´ω`*)
ひとりで集中して吸収した体験の濃さが、その人自身の血となり肉となることが多いかもしれませんね。
いっぽうで、そのことによる感動を人に話したくなる気持ちもあって。
特別な才能は、特別な人生を送らせてくれるかもしれないけど、特別であるイコール心が満たされることではないし、それ以外に失うものもありそうです。
そして、どっちつかずの生きづらさもご指摘の通りですね。
突き抜けいられる強い意志が、結局いちばん大事なのかもしれません。
ヒトリノ飯への応援コメント
ああ…と、沢山の箇所に共感の溜め息が。
凄すぎる才能は、普通に生きる上では確かに邪魔であろうと凡庸な私でも思うことがあり、それでもそのような才能に憧れるというのは、いかに私が凡庸で普通に生きているのだという有り難いが少し悲しい現実の証明だと常々思っていました。
そして、ひとりの時間は、再び何処かに繋がりたいと思うがための、まさに様々な充電時間だと思います。
作者からの返信
いつもご覧頂き、ありがとうございます。
凄まじい才能の持ち主は、孤高であることを常に強いられるのかもしれません。
でも、そうでない大多数の人たちは、ひとりの時間と社会の時間を行き来しながら生きていて、そのバランスが幸せすら左右するのかなと思います。
ひとりで過ごした時間が、また人と会う気力を持たせてくれる平凡な幸せ、大切にしたいですね。