第三三話 由緒正しき系譜

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「お帰りなさいませ、辰二郎様」


 スーツ姿の家令かれいがそう言うと、廊下に正座して並ぶ着物姿の腰元ふくもとらが一拍おいて反復した。


「……今帰りました」

 索田は小間使いたちに向かって笑みを張りつけてみせた。腰元らが脇に寄って道を開ける。彼女らは皆、索田が横を通るだけでうっとりとした表情になっていた。

 いつまで頬の筋肉がだろうか。索田は腹の底でそう考えながら、書院造りの屋敷の最深部を目指す。


 索田にとって、「索田家」というのは心の底からどうでもいい存在だった。家名や別荘を使い続けている自分も自分だが、この家令も家令だ、と索田は思っている。索田に仕えるつもりもなく帰ってきてほしいとも思っていないのは、この老齢の男の顔を見るだけで毎度明らかだった。

 しかし索田家は由緒ゆいしょ正しき家柄だ。鎌倉時代末期から続く名門で、かつては華族として伯爵位を賜っていた。毎年ゴールデンウィークの直前と初日の二日間は一族が一堂に会する機会であり、家名を名乗っている以上必ず参加しなければならない。これは室町時代からの慣習である。


 家族以外の男たちとすれ違うたび相手が足を止め、道を譲り、最敬礼をする。索田が三メートルほど過ぎ去るのを確認すると、ゆっくり頭を上げて動きはじめる。そして索田から見えないことを確認すると、侮蔑の表情をしているに違いない。いつもそうだからだ。まるで新種の動物のようだと索田は思う。


 索田は本家の人間で、今日招かれているここの住人以外の者は、すべて分家である。本家の人間は足を運ぶ必要がない。格がまったく違うため、本家から分家を訪ねることは許されていないのだ。

 とはいえ主催者は兄で、主宰者でもある。たいした力を持たない索田自身は、兄を前にすれば無価値も同然だった。そもそも索田は本家から離れたところで暮らし、兄には何も協力していない。

 それなのに身分だけはきわめて高い。だから索田をねたむ分家の人間は多かった――例外なく、男だけだが。索田は自虐の笑みを浮かべた。


 やがて最深部に着くと、索田は大きく深呼吸をした。ゆっくりと息を吸って、時間をかけて吐く。

 そして、マナーもへったくれもなく目の前のふすまを勢いよく開ける。中に人がいることを索田は知っていた。


「やあ、兄さん」


「………………」


 索田が兄さんと呼んだ人間は着物を正しく着こなしており、とこの間に向かって卓に座していた。

 行書体で半紙に文字をしたためている。眉間にくっきりとしわを刻み、目の下はややくぼんでおり、頬は年相応にこけている。四十代中盤のたたずまいだ。細い目から覗く眼光は鋭く、口は真一文字に結ばれている。表情が違えばもう少しばかり若く見える可能性はある。そんな兄は一向に口を利かない。


「邪魔するよー、兄さん」


「………………」


 索田は鴨居かもいに手を引っかけて笑う。わざとらしく敷居を踏んで、兄へ近づいた。床の間にはさまざまな花が独特なバランスで生けられ、情緒あふれる掛け軸が存在感を発揮している。

 索田は兄の書を覗き込んで言った。

「兄さん、相変わらず達筆だねぇ」


「……私を兄と呼ぶな」

 しばらく間をおいて、「兄さん」と呼ばれた男が口を開いた。よく通る低い声をしている。しかし視線は半紙に留めたままで、索田を見る予定は一切ないかのようだった。

 索田はくすくす笑いながら言う。

「辛辣だなぁ、兄さん。で、何書いてんのさ」

「聞こえなかったのか?」

 

 面白可笑おかしく「兄さん」を濫用していた索田だったが、さすがにそろそろやめることにした。力でまったく敵わないのだから、本気で怒らせるつもりは毛頭ない。

「はいはい。分かったよ、にい……とーうしゅっ」

 索田がへらへらと笑って「にい」まで言いかけると、ついに兄の鋭い眼光が一瞬、索田を捕らえた。そのためか、索田は兄の背中を叩きながら呼び名を訂正した。

「お前のような弟をもったことは一度たりともない」

「はは、まあそうだよねぇ。かあさんは?」

 索田は畳にどかっと座ると、ジャケットの内ポケットから煙草を取り出した。


 索田家当主であり索田辰二郎の兄である凛太郎りんたろうは、滅多なことでは弟に顔を向けることがない。ただし今回ばかりは筆を止め、弟のことをはっきり見据えて言う。

「一に、母上は体調がすぐれないゆえお前とは会えない。二に、ここは禁煙だ。煙草を吸おうとするな。三に、邪魔だ。即刻出ていけ」

「はいはーい」

 弟の辰二郎は薄ら笑いを浮かべると、腰をもち上げて撤退の準備をした。このままでは煙草か弟のどちらかが踏みつぶされるのは間違いない。

「だがその前に、待て」


 襖を開けようとしていた弟は、いったん足を止める。

「即刻立ち去るべきなのか待つべきなのか、どちらかにしてくれないかなぁ?」

 索田が即座にからかうが、兄は応答せず、静かに目を閉じた。


「お前なら祈祷きとうかなえの居場所が分かるだろう。それなのになぜ捜査に協力しない?」

 それを聞くと、索田は軽薄な笑みを浮かべて問い返す。

「僕が一度でもあなたに協力したことがあった?」

 凛太郎は眉間のしわをより深く刻んだが、弟の戯言ざれごと自体には反応しない。

「彼女は極悪非道な犯罪者であり、指名手配犯なのだ。お前がこれからも索田を名乗りたいのであれば、警視庁には必ず協力せねばならん」

 辰二郎は思いきりため息をついた。「索田」などどうでもよいのだ。

「ご高説こうせつどうも。じゃ、またあとで――――兄さん」


 余計な一言により凛太郎からの攻撃を受けそうになるのをさらりとかわした索田は、兄に向ってウインクを飛ばして、ぴしゃりと襖を閉じた。ちょうど家令かれいが縁側の向こうからやって来るところだった。

「辰二郎様、客間の準備が整いました」

「――ありがとう。さっそく休ませてもらうよ」

 やっぱりはなから用意していなかったのだな。索田はそう思った。


 家令はあるじの弟が客間へと進んでいくのを見送った。索田の六メートル背後から舌打ちの音がしたのは、正常な聴力の者ならば誰でも聞きとることができただろう。


 索田は煙草に火をつけながら、実家であるにもかかわらず離れの客間へ歩き続ける。ゆがんだ笑みを浮かべながら。


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