第一章:夢と現

第1話:雨降る先で

 空を覆う鉛色の雲から冷たい雫がぽつり、ぽつりと地上へと落ちてくる。


(雨やな……)


 そう祓御雷志ふつみらいしが認識したと同時に、ざぁざぁと本格的に降り始めた。

 視界を遮るほどの激しさに、雷志は成す術がない。

 今日は一日中晴れである、とニュースで報道されていたら、まず傘を用意しようとは至らない。

 結果は、これである。

 外出してわずか一時間足らずで快晴だった青空に雨雲が立ち込めてきて、現在に至る。


(さて、と……どないしよっかなぁ)


 降りしきる雨を前に雷志はうんうんと唸った。

 雨を凌ぐ術がない雷志は近くの建物に身を寄せている。屋根が彼を雨から守ってくれた。

 しかし、このままジッと同じ場所に留まっておくこともできなかった。


(人様の家に身を寄せとるわけやし……こりゃ早いとこなんとかせなな)


 とは言え、と。雷志は辺りを見回す。

 スーパーやコンビニの類がないかを雷志は探していた。店さえあれば傘を購入できる。そこまで行くために濡れることも辞さなかった。

 だが、住宅街に身を置いている雷志の視界に映る限りでは、それらの類はない。

 彼の記憶にある最新の情報だと、コンビニは駅前にある。そこまで移動するのにかかる時間は、およそニ十分弱といったところ。全身がずぶ濡れになるのはもはや避けられない。


(どうする? このまま待ってみるか……それとも濡れるのを覚悟して家までダッシュするか……)


 答えが出ない自問を幾度と繰り返してきた彼を――「あの、どちら様でしょうか?」、と。若い女の声が中断させた。突然背後より掛けられた声に、雷志はびくりと大きく身体を打ち震わせる。おまけにカエルを潰したような声をもらしてしまった。


「あ、え……?」


 狼狽しながら雷志は振り返る。

 とても若い女が立っていた。二十代前半だろうか。腰まで届く塗羽色の髪は、彼女が纏っている黒いドレス越しからでも視認できるほど鮮やかで美しい。


(えらい綺麗な人やなぁ。こんな人と結婚できたら最高やん)


 狼狽していたはずが、すっかり若い女に雷志は見惚れていた。

 性に興味がある年頃はもちろんのこと、年上の女性との交際を望んでいる雷志としては、目の前にいる女性は正に彼の理想像と断言してもよい。

 こほん、と。咳払いをして姿勢を正す。

 雷志はこの女性への第一印象を良くしようとした。

 これも何かの縁であるに違いない、と。根拠なき自信に後押しされた彼を見やる若い女は、きょとんと小首をかしげている。


「あ、その、ども。いやぁすいません。いきなり雨が降ってきたもんやから、雨宿りさせてもろてたんです」

「まぁ、そうだったんですね。もしよろしかったら、雨が止むまで中へどうぞ。天気予報だとすぐに止むそうですよ」

「いや、そんな悪いですよ。俺……あぁいや、僕のことならどうぞお構いなく」


 本音を言えば、若い女からの誘いに即断したかった。あえてしなかったのは、礼節をわきまえている男であるとアピールするため。

 下心があると判断されてしまうのは、雷志も望んでいない。


「そんな場所にずっといてたら風邪を引いてしまいますよ。ちょうどお客さんもこなくて退屈してたところなんです」

「お客さん? ってことは、ここは何かの店なんですか?」

「えぇ、ようこそお客様――【夢幻の如き遊戯場】へ」


 若い女の言葉を聞いて、雷志は改めて自身がいる建物をまじまじと見やった。

 程なくして――「なるほど」、と。納得の声をもらす。雨から逃れるばかりに気がいって、まったく気付かなかった。


(ってことは、俺は完全に冷やかしの客っちゅうことやんけ……)


 既に第一印象からして最悪だと理解した雷志は、がっくりと項垂れる。

 その様子をまた、見やっていた若い女はきょとんと小首をかしげていた。

 気を取り直して、雷志は若い女に促されるがまま、店の中へと足を踏み入れた。


(こうなったらせめてなんか買って、ちょっとでも名誉挽回しとこ……)


 何を取り扱っているかはわからない。最悪、祓御雷志におよそ似つかない商品かもしれない。

 それでも、一つだけでも買っていく。ただの冷やかしと、若い女に思われたくなかった。

 中に入ってすぐに、雷志は理解してしまう。


(あ、あかん……こりゃ無理や)


 名誉挽回は叶いそうにもない。視界に広がる光景を見やる雷志の顔は実に気まずそうだった。


「どうかされましたか?」

「あぁ、いや。なんでもないですよ? あはは……」

(いやいやいや、いくらなんでもこらあかんで)


 雷志の購入意欲を一瞬で取り消しにした商品――人形である。

 生憎と祓御雷志に人形で遊ぶ趣味嗜好は持ち合わさっていない。

 彼の中では、そういった類の遊びはとうに卒業している。

 もっとも、【夢幻の如き遊戯場】は子供向けにあらず。どちらかと言えば大人向けの人形遊びを目的とされている。子供が安易に手を出してはいけない。雷志はまだ未成年者であるから尚のことだった。


(確かこれ……スーパードルフィーちゅうやつやったな。値段とか子供も小遣いでどうにかできるもんちゃうぞ……!)


 つい、若い女に自分がカモにされているのではないか、と。雷志は勘ぐってしまった。

 この女とて、店に招いた相手が子供であるとわからないはずがない。

 スーパードルフィー……簡単に言えば、高級な球体関節人形の総称である。

 その完成度から芸術品と称しても過言ではない、とさえ雷志は思っている。

 初めて目にしたのが大阪にあるブーグスで、雷志はすっかりこのスーパードルフィーに惚れてしまった――「俺もこんな人形がほしい!」、と。

 意気込んで値札を目にして、絶望に打ちひしがれたのは、今となっても彼の記憶の中にあり続けている。


(組み立ててもらったり化粧してもらったり、その他諸々で十万以上もする……大人かてこないなもん簡単に手ぇ出せへんっちゅうねん!)


 けど、と。


「やっぱり、綺麗やなぁ……」

「あら、もしかして……?」

「あぁいや違うんです。ずっと前に見たことがあって……それでえぇなぁ、俺も欲しいなぁ思てたんですけど、いやぁ……現実は厳しいっちゅうかですわ」


 雷志は笑って誤魔化した。

 遠回しに学生である自分では何一つ買えないということも伝える。

 しかし、若い女の反応は彼が望むものとはまるで程遠い。両手を合わせて目を輝かせている。


(いや明らかに商売モードに入らはったでこの人⁉)


 内心で、まずい、と。雷志は次なる一手を投了しなくてはならない。

 目線だけをきょろきょろ、と。忙しなく動かしていた雷志だったが、彼よりも真っ先に湧かい女が口を開く。


「これも何かの縁です。よろしければ私の愛娘達を是非見ていってください。きっとお気に召すと思いますよ」

「いやいや、そんなん悪いですって」

「お気になさらないでください。今はお客さんも来ていませんし、それに私としても是非見ていってほしいんです」

「あ、いや、その……」

「さぁどうぞこちらへ」

「あ、ちょちょちょ、ちょっと……‼」


 ここにきて、若い女が積極性を表してきた。

 雷志の手を取るとぐいぐいと引っ張っていく。レジカウンターの後ろにある扉、恐らくはスタッフしか立ち入ることができないであろうエリアに一般人を連れ込んで果たしてよいものなのか、などと。

 雷志に考える暇も与えることなく、若い女は彼の手を引いて進んでいく。

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