ソロ卒業式
@owlet4242
ソロ卒業式
「ここに来るのも久しぶりだなぁ」
目の前で陽光を浴びるグラウンドを眺め俺は呟く。
「グラウンド」とはいっても、この学校は廃校になって久しい。手入れのされないそこは既に草原といっても差し支えない場所だ。
「予算のない田舎の悲しさってやつか……」
故郷の衰退を嘆きながら、俺は錆び付いた鉄扉によって閉ざされた校門に向かう。
「よっと……」
昔、ここに通っていた時とは比べ物にならない身軽さで俺は校門を越える。中学生だった頃は高く感じていた校門が、今ではとても低く感じる。
「それじゃ、お邪魔しますよー」
返事は期待せずに、草むらを抜けて校舎に近づく。正面玄関に立ち、そこを閉じる南京錠に目を落とすと、俺は思わず「あれま」と声を上げた。
長年風雨に曝された南京錠は、その役目を放棄してだらりと鎖から垂れ下がっていた。
「あちゃー、全然鍵がかかってないじゃん。不良なんかの溜まり場になってなければいいけど」
絶賛不法侵入している自分は棚にあげて、鍵の開いた扉を潜る。下足場に立つと、つんとカビたような臭いが鼻を突いた。
役目を終えた靴箱に靴を納めることもなく、俺は二階への階段を登る。
階段を踊場まで進むと、そこの壁にはこの学校の設立以来、大きな鏡が付けられている。
この鏡には、いわゆる学校の七不思議がある。曰く、この鏡には昔学校で亡くなった生徒の姿が時折映って見えるのだという。
でも、俺が在学中にそんな生徒の姿は見たこともないし、今だって少しくすんではいるものの俺の姿が映るだけのただの鏡だ。
結局、噂なんてものはそんなもので、代わり映えのない学校生活を盛り上げるためのささやかなエッセンスに過ぎない。
そんな階段を越えて、向かう先は階段脇の3-1教室。俺が三年のときのクラスだ。
もう誰も迎えることのない開け放たれた扉を潜って中へ入る。
「ああ、懐かしいなぁ……」
思わず口からそんな声が漏れる。一部が劣化してはいるものの、それ以外は俺が昔通っていた頃のままの教室だ。
黒板にはおそらく最後の代の卒業生が書いたのだろう、「祝 卒業」「この絆を忘れない」「3-1生徒一同」などの文字が残されたままだ。
俺は最後の代の卒業生ではないため、この文字とは無関係だ。それでも、こういった文字とはそれ自体が一種の共通化されたノスタルジーを持つものだ。
黒板に近寄ってチョークの卒業の文字をなぞる。粉は手につかなかった。しかし、それでもそこからは確かに卒業生たちの息づかいを感じた。
「……よし」
俺は、覚悟を決めると次の目的地へと向かう。
行き先は体育館。
そこで俺は今日、たった一人の卒業式を行うのだ。
階段を下りた一階廊下西の突き当たり、その先が目当ての体育館だ。
「中々踏ん切りがつかなかったけど……いよいよだな……」
一階の廊下を歩きながらそう呟く。
俺がたった一人の卒業式をするのには訳がある。
実は、俺は中学校三年生の夏に大病を患ってしまい、卒業式に参加できなかったのだ。
人生の節目となるはずだった卒業式に参加できなかったことが、俺の人生で未だに大きな後悔として残っているのだ。
「さぶちゃんや、イチロー、ゆかちんは私立に進学して、ハッチとたっくんはスポーツ推薦で越境進学したんだよなぁ。くみちゃんは地元に残ったみたいだけど……」
俺は懐かしい友達の名前を口にする。
ちゃんとお別れをすることができなかった大切な仲間たち。彼らとは連絡を取れていないが、みんな上手くやっていたのだろうか。
「ま、あいつらのことだから上手くやったんだろうさ」
そんなことを考えながら、一つ深呼吸すると、俺は表の板が朽ちて、中の防音素材がこぼれてしまった扉を潜って体育館へと入る。
体育館はバルコニーの窓に全て遮光カーテンが引かれているものの、劣化して破れたカーテンの隙間から差し込む光で仄かに明るい。
「うわ~、一人だとだだっ広く感じるなぁ……お、なんだ、丁度いいものがあるじゃん」
広々とした体育館を眺めていた俺は、その中央にステージに向かって置かれた一脚のパイプ椅子を見つけていた。
誘蛾灯に惹かれる羽虫のように、パイプ椅子に吸い寄せられる。前に立ち、壇上を一瞥してから、俺はパイプ椅子にゆっくりと腰を下ろした。
その瞬間。
パチパチパチパチ……!
「なっ!?」
割れんばかりの拍手と共に、体育館の照明が全て点る。
慌てた俺が周囲を見回すと、俺が座るパイプ椅子がポツンと置かれていただけだった体育館は、いつの間にか整然と椅子が敷き詰められ、そこに座る生徒と観客で溢れんばかりの人入りとなっていた。
その全ての人が鳴らす拍手の音の中で、俺だけが一人、手も叩かずに呆然と椅子に座っていた。
「どういうことなんだ……」
思わずそう漏らした俺の肩に、横からポンと手が乗せられる。ゆっくりとそちらを向くと、そこには俺のよく見知った顔があった。
「何ボーッとしてんだよ、○○?」
「……さぶちゃん?」
幼なじみのさぶちゃんがニヤニヤした表情で俺に話しかける。日に焼けた顔に短く剃った毬栗頭は、野球部だったさぶちゃんのトレードマークだった。
でも、それはあり得ない話だ。
だって、さぶちゃんがその姿だったのは、もう途方もない昔の話なのだから。
そんなさぶちゃんは、その姿が当然といった様子で、昔と同じように振る舞ってみせる。
「そうだよ、よく覚えてるじゃん○○」
「いや、あり得ない。たとえ君がさぶちゃんだとしてもその姿は……」
「そんなことないぞ、○○」
「そーだよ、むしろ私たちがこの姿なのは必然なんだよねー」
「イチロー、ゆかちん……」
今度は慌てて後ろを振り返ると、そこにはのっぽで勉強がよくできたイチローと、ムードメーカーでいつも明るかったゆかちんが笑顔でこちらを見つめていた。
「だって俺たち、今日は○○のために集まったんだからな」
「そうそう、だから○○に合わせないのは不自然でしょ!」
二人は口々にそう言うと顔を見合わせて笑った。
でも、そう言われても俺は納得できない。いや、この状況を納得できる人間がいるのだろうか。
「いや、服装はどうにかできたとしても、外見まで中学生に戻っているのはありえない!」
「いーや、あり得るね!」
俺のもっともな指摘に対しての反論の声は、再び俺の後ろ、つまりは前列の席から聞こえた。
釣られて今度は前を向くと、そこには女子バレー部のハッチとサッカー部のたっくんが後ろ向きにパイプ椅子に座ってこちらに顔を向けている。
「いや、なんで……」
ハッチにあまりに自信満々に言い切られた俺が言葉につまると、今度はたっくんが口を開いた。
「だってさ、俺たちみーんな死んじまってるんだぜ」
「そうそう! だから見た目なんてなんとでもなるのよ!」
「えっ」
俺が目を凝らしてよく見ると、確かに二人の体は透き通っていた。
それから順にさぶちゃん、イチロー、ゆかちんに目をやると、やはりみんな体が透き通っていた。
みんなが、死んだ。
その事実に、俺はガンと頭を鈍器で殴られたような気分だった。
「そ、そんな……何でみんな死んじゃったんだよ!? おかしいだろ、そんなの!?」
慌てた俺が思わず叫ぶと、五人はキョトンとした顔で顔を見合わせて、それから大声を上げて笑った。
「な、何がおかしいんだよ!」
笑われたことで流石に憮然とした俺が抗議の声をあげると、さぶちゃんが目尻の涙をぬぐって口を開いた。
「ははっ、だってさ、俺たちがここを卒業したのはもう80年以上前だぞ?」
「えっ?」
ーー俺たちが卒業したのは80年以上前。
衝撃的な言葉に唖然とする俺の前で、さぶちゃんはやれやれといった表情で首をすくめた。
「寿命だよ、寿命! 俺たちはちゃーんと、自分の人生を生きてから死んだんだよ! なぁ、くみちゃん?」
「え、くみちゃん?」
さぶちゃんが俺の向こうに呼び掛けたので、俺はさぶちゃんと逆隣のパイプ椅子を見る。そこには、ちょこんとお下げ髪の少女が腰かけていた。
透き通るような肌を持つ文学少女だった、俺が大好きだったくみちゃんは、今や本当にその肌を透かして、確かに俺の横に座っていた。
「そうだよ。今日はみんな○○君のために集まったの。だって、○○君、中学生で死んでからずっと天国に来ないんだもの」
「……」
そうだ。その通りだ。
俺は中学生の頃大病を患って、そのまま治ることなく死んだのだ。
しかし、その未練が未だに染み付いて俺は成仏できなかったのだ。
今日俺が学校に来たのも、ここなら俺の未練を絶ち切れるかもしれない、その一心からだった。
「だから、私たちみんな心配で迎えに来たんだよ」
「くみちゃん……」
「さっ、早く卒業証書を取りに行けよ!」
「ああ、ありがとうみんな!」
みんなに促されるままに、俺は椅子から立ち上がるとゆっくりと前に進む。
「本日、卒業証書を授与されるもの、一名。3-1 18番、○○君」
「遠藤先生……ありがとうございます」
舞台袖の前に立つマイクでは、俺の担任だった遠藤先生が優しげな表情で俺の名前を呼んでくれる。
俺はお礼をいうと「はい」と元気よく声を上げて壇上に登る。
壇の上では、俺が病院に入ってからよく見舞いに来てくれた校長先生と教頭先生が満足そうな笑顔で待ってくれていた。
「○○君、ようやく君を卒業させられるよ」
「よく頑張ったね、○○君」
「……はい!」
溢れる涙をこらえることなく、俺は二人の労いの言葉と卒業証書が読み上げられるのを聞いた。
「卒業証書 3-1 18番 ○○。貴殿は中学校における全ての単位を修めたため、本校を卒業することをここに認める。昭和○○年3月○日 学校長 鈴木勲。 おめでとう」
「ありがとう……ございます」
差し出された卒業証書を掴むと俺はそれを客席に向かって高々と掲げた。
万雷の拍手の中、俺は暖かい光に包まれていく。その光の中に、俺は今の感謝を最も伝えたかった人の顔を見つけていた。
「ありがとう……父さん、母さん……」
感謝の呟きを一つ遺し、俺はこの日ついに卒業を迎えたのだった。
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