黒き勇者の転生英雄譚(リスタート)
おぐら
プロローグ「幸福」
目覚まし時計がけたたましく鳴り響くとともに、どこからか香ばしい食欲をそそる香りが漂ってくる。
ーー兄ちゃん、今日も早起きだなぁ。
彼女ーー久野愛美くの・あみがそんなことを考えながら時計を見ると、朝の7時。愛美の家から小学校まではおよそ30分。それに加え、朝礼が8時半から始まることを考慮しても時間は余裕だった。
愛美が今日も兄ほどでは無いにしろ早起きできたことを誇らしく思っていると、グゥと間抜けな音が腹から鳴った。
「……腹へった」
愛美は目覚まし時計を止め、リビングへ向かう為ベッドから降りようとしてーーいつの間にか床に落ちていたお気に入りのぬいぐるみを踏みつけ、そのまま顔から転んでしまった。
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「それで転んじゃったんだ。全く……まぁ怪我がなくて良かった」
額が少々赤くなった愛美が拗ねた顔をしながら兄ーー優愛ゆうあの手作りハンバーグの最後の一切れに舌鼓を打っている中、彼はその洗い物をしつつ先程の事故について小言を言っていた。
「でも気をつけてね。頭って繊細だから、ちょっとの衝撃でダメになっちゃうこともあるんだってさ」
優愛のいうことは最もだ、と愛美も実感していた。実際、先程から若干頭がふらつくのを我慢して朝食を摂っている。もしあの時の衝撃がより強いものだったら……と愛美は考えそうになったが、そんな思考と一緒に口の中のハンバーグを飲み込み、口を開いた。
「……だって仕方ないじゃん。早く……兄ちゃんのご飯、食べたかったから」
「……そっか」
手を拭きながら愛美の弁明を聞いた優愛は微笑みながら、彼女の自慢のブロンズ色のロングヘアーが乱れないように気をつけつつ、優しく頭を撫でた。
「ちょっ撫で、撫でないでよもう!」
「ふふ、ごめんごめん」
そう言いつつも優愛は愛美を撫で続けていた。愛美が赤くなって抗議しているが、優愛はそれが本気の否定では無いことをわかっていた。ふと、優愛は手を止めて壁のデジタル時計を見上げる。7時20分だった。優愛は愛美の頭から手を離し、立ち上がった。
「あ……」
「父さんと母さんに挨拶してくる。歯磨いて、家出る準備しといてね」
そう言ってさっさと奥の部屋へ向かう優愛の背を、愛美は黙って見つめていた。
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朝日が照らし、桜が舞い散る道を優愛に手を引かれ歩きながら、愛美はずっと彼を見上げながら考えていた。
両親が愛美が0歳だった時に交通事故で亡くなり、良く言って放任主義・悪く言ってネグレクト気味な親戚に引き取られて以来、優愛は愛美の親代わりでもあった。今日も、バイトの出勤ついでに愛美を学校まで付き添ってくれる。
優愛はいつも優しい。勿論怒る時は怒るが、それは愛美が本当に悪いことをした時や危険なことをした時だけだ。
そんな兄のことが、愛美は物心ついた時からずっと好きだった。
ーーけど、兄ちゃんは? 本当にアミのこと好き?
優愛は、両親の遺産があるにも関わらず身を削ってバイトに精を出して愛美の学費を稼いでいる。
それだけじゃなく、愛美の欲しいゲームや漫画も買うこともあるし、果ては家事も全て優愛が行っているのだ。
故に愛美は不安に駆られる時がある。そしてそんな時、愛美は決まって優愛に問いかけるのだ。
「……兄ちゃん」
「ん?」
「……あのさ、兄ちゃんはアミのことーー」
愛美が言い終わらない内に、優愛は愛美のことを優しく、それでいて力強く抱き締めた。
そして、優しく微笑みながら、愛美の目を真っ直ぐ見た。
「好きだよ、誰よりも。だから、大丈夫」
そう言って、優愛は愛美の頭を優しく撫でる。まるで触れたらすぐに壊れてしまうような儚いものに触れるように。
愛美はそんな言葉を聞いて優愛の腹に顔を埋め、涙が混じった声で小さく返事をした。
ーーこんな毎日が、ずっと続けばいいな。
優愛に抱き締められながら、愛美はそう考えていた。
相変わらず桜は舞い散っている。ひらひらと、命が終わる様を美しく演出していた。
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瞬間、茫然と座り込んでいた愛美は意識を取り戻した。
ーーいま、何があったんだっけ。
愛美は一生懸命思い出していた。優愛が作った朝食を食べて、優愛に手を引かれて歩いて、優愛に抱き締められて……それ以降の記憶がなかった。
全く思い出せず苦悩している愛美だったが、ふとある違和感を覚えた。
ーーなんでアミ、道路にいるの?
愛美がいるのは、交差点の真ん中であった。
ーーなんで、人がたくさんいるの?
愛美の周りにはなぜか、野次馬が湧いていた。
ーーなんで、なんで、なんで?
なぜか横転したトラック・さっきから匂う鉄臭さ……違和感を覚え、それが形になり、パズルの欠片が組み立てられるように一つの道を指し示そうとする。愛美の本能がこれ以上理解することを拒むのとは裏腹に、やがて最後の一つがはめられた。
ーーなんで、兄ちゃんがいないの?
愛美の後ろから、呻き声が聞こえた。反射的に振り返る。
「ーーえ」
思わず、間の抜けた声が出た。そこにいたのはーー血だらけになり、愛美に向けて手を伸ばして倒れている優愛だった。
「……あ、み」
いつものように優しく、だけど、まるで永遠の別れのように泣きそうになりながら微笑んで。
「……よかっ……た……」
ーー久野優愛は、息を引き取った。その死に様は、まるで舞い散る桜のように美しかった。
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