六の九
――藤堂さんは秘剣はやかぜを見破っているかもしれない。
信十郎は思った。
これまでの戦いにおいて、はやかぜによって、小畑栄太の抜刀を空振りさせ、正木杣の飛翔攻撃の軌道をずらし、桐野咲之介を翻弄し、轟弥兵衛を無防備にさせた。変幻する技巧的な剣も、岩を断ち斬るほどの剛剣も、はやかぜの前では無力に堕するのだ、という自負さえも信十郎にはあった。
だが、はやかぜは無敵の技ではない。
自分がまったく予期しないような、思いもかけない行動を誘ってしまう場合がある。
それが平助との琵琶湖畔においての最初の戦いだった。
あの時、信十郎は平助の隙を作ろうとしたが、結果は攻撃を誘ってしまって、胸を斬られる結果に終わった。
斬り合いの最後に振るったあの一撃を、平助自身が不思議に感じていたとすれば、あれがはやかぜだったと気づかれていてもおかしくはない。
――だったらどうする。
信十郎は考えた。
使い慣れていない、他の秘剣を使うか――。
はやかぜは自分の剣技にあっていたし、何より実用的な技に思えた。他の秘剣は、どれも様式的というか、使いどころがむずかしい、一種の見せ技に思えた。だからあまり練習もしてこなかった。
――こんなことなら、ちゃんと修練を積んでおくのだった。
怠惰な自分を侮蔑した。
信十郎は想念を払い去るように、ふっと息を吐いた。
同時に一歩踏み出すと、平助の小手を狙って刀を振った。
平助は一歩さがりつつ切っ先を打ちつけて、攻撃をそらす。そらしつつ、あいた信十郎の右腕を狙って打ち込む。
それを信十郎は刀でからめて横へそらす。間髪いれず、平助の左腕を狙う。
平助は受け流す。信十郎の刀の軌道が外にそれ、それたと思ったら、くるりと半回転して反対の腕を狙ってくる。平助はまた受け流す。
信十郎は拍子をわずかにずらしながら、しかしどこか規則的に攻撃をくりかえした。横や後ろにずれながら、緩急をつけて斬ったり突いたりするのだった。それを平助は、いなしたり受け流したりして、さばきつづけた。
それが十回ほども続いたころ、
――あ。
平助は、いけないと思った。完全に信十郎の動きに乗せられてきている。秘剣はやかぜに、はめられているのかもしれない。
とっさに目をつぶった。
信十郎は、はっとした。はっとした瞬間、平助の鋭い突きが、まぶたを閉じたまま、おそらく信十郎の残像にむけてだろう、突きだされた。
あわてて、左へかわした。首の付け根に、冷たい感触があった。
――あぶなかった。
あと一瞬、身体を動かすのが遅ければ、完全に首の動脈を斬られていた。
右の襟が裂け、首の付け根から血が流れでているのが、感覚でわかった。
――やはり、はやかぜは使えないのか。
平助は、予想どおり、はやかぜを見抜いていた。
どうする、考えろ、どうする、どうする――。
信十郎は次の一手を思案しはじめた。
だが、結論を出す間をあたえまいとするように、平助が刀を振り上げ、飛びこんできた。
上段からの打ち込みを、信十郎は右に飛んでかわした。それを平助は刀を構えなおし身体をまわして追ってくる。ふたたび上段から襲ってくる刀を信十郎は鍔元で受けとめた。そして、思い切りよく前方に押すように重心をかけた。平助も押し返してくる。重なり合った刃と刃がきりきりと音をたてる。信十郎は身体をずらし肩で体当たりするように、平助を突き飛ばした。たまらず平助が後ろへよろめく。その左手がはずれて、右手だけで柄をつかんでいる。
信十郎は今しかないと思った。
大上段に刀を振り上げると、飛びこんで、平助の額を狙って、振りおろす。
平助はよけようと、身体を左へずらしたが、よけきれないと見て、刀で受けた。
だが、右腕だけで受けたため、勢いを殺しきれず、右肩に刃が触れた。平助は無理に身体を横にすべるように移動させ、刀を回して、信十郎の打ち込みをいなした。
――骨には届いていないらしい。
と平助は思った。体勢を整えて正眼に構えつつ、右肩をちょっと動かして、確かめてみたのだった。
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