五の二
「いなくなった。長浜に入ってすぐに、か」
「はい、そうなんで」
平助の問いに、轟との連絡担当だった
長浜の川崎屋という旅籠で、
探索方は、他の討ち手との連絡の必要がなくなったので、藤次以下の八人全員が顔をそろえていた。
「まったく、なにを考えているのやら」平助はため息まじりにつぶやき、「で、土井を討ったときの様子を詳しく聞いていなかったな」
先をうながすと、文六が、なにか不快なことを思い出したように渋い顔をし、ちょっと間をあけてから、当時の状況を思い出すようにして話しだした。
「へえ、轟様が土井に追いついたのは、桑名の、渡船場でして、旅人がごちゃごちゃと大勢、船を待っているなかに、奴はおりました」
そこはもう、町人も武家もなく、とにかく種々雑多の人々がひしめき合っていって、人々の会話やら、肩がぶつかったのなんのと喧嘩をはじめる怒声やらで、がやがやと騒々しく、人があふれかえっているという様相だった。
その喧騒の中から、轟は土井を目ざとくみつけだしたという。
轟は人ごみのなかをかきわけて、目的まで進んでいった。
「それはもう、新選組の浅葱の羽織が、すうっと大地を割って行ったようで」
と文六は余計な、うまくもない修辞をまじえながら語った。
すると、轟はいきなり斬りかかった。
当然、周囲は大混乱となるが、そんなことは知らぬ存ぜぬとばかりに、轟はさらにひと太刀ふた太刀、土井に浴びせかけたのだった。
だが、それらの攻撃は、まったく致命傷にはいたっておらず、ただ、土井を倒れさせただけだった。いや、厳密に云えば、手足の筋をわずかに斬って、土井を動けなくさせのである。
そうして轟はその、動けなくなった土井のうえにまたがると、静かに話しかけた。
「お前、なんで隊を抜けた」
云いつつ、轟は土井の人差し指を、刀の切っ先で切り落とした。
「なんで、ひとりで逃げなかった。人数を集めた」
そして、もう一本指を切り落としたのだった。
「首謀者はお前だろう。云え。吐け」
轟がひとこと発するたびに、土井の指が地に落ちた。右手左手と、交互に指が減っていった。
その指の残りが、落ちた指よりも少なくなったころ、土井は語りはじめたのだった。
「俺は長州の間者だった。つなぎの者から、新選組で混乱を起こせと命じられて、集団で脱走するのを思いついた」
とそんなことをとぎれとぎれに話したのだった。
「土井が間者。お前たち、気がついていたか」
平助が首をかしげながら、皆に問うのに、一様に首をふるのだった。
「それが、なかなか巧妙でして」
と文六が話を続けた。
土井は、長州とはまったく縁もゆかりもない、先祖代々の江戸の浪人者だったのを、金でやとわれて間者になった。長州とのつながりがまったく存在しない以上、間者と見抜くのは、非常に困難なことだった。
「なぜ、土井は混乱を起こせと命じられたのか。その理由は喋らなかったのか」
平助が訊くと、文六は手を顔の前でふりながら、
「そこまでは、当人も知らなかったようで、裏の目的は隠されて、ただ、命令されただけみたいです」
と、予想した答えしか、文六からは返ってこなかった。
「なんの意味もなく、長州が、ただ混乱させろと命じるわけもないしな。裏があるに決まっている」
平助は、ひとしきり推理してみたのだが、考えたところで、とっかかりとなるような情報がまるでなく、たんなる時間の浪費でしかなかった。
土井は、すべてを吐き出したあと、轟に首をはねられたというが、そんな報告も、もう平助の耳を通りすぎただけであった。
ちなみに、この時、京では薩長のあいだに同盟がむすばれていたのだが、それとこの脱走騒動にどんな因果があるのか、平助は後にいたるまで関係をみいだすことはなかった。
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