三の四

 不承不承という形で、八畳の部屋に、三人で泊ることにした。ただ、屏風を用意してもらって部屋の真ん中に立てて仕切った。

 そうして、部屋に入った直後、清彦が、ちょっと屏風の隅からのぞいて、

「お返ししそびれていましたが」

 などと云って、紙入れをそっと差しだすのであった。以前、信十郎が彼にむけて叩きつけたものだった。

 清彦はすぐに顔をひっこめ、信十郎はその中身を確かめてみたが、まったくそのまま手つかずで全額が入っていた。

 夜になって、信十郎は、お結とひとつの布団で、彼女を抱いて眠った。

 当然ちゃんとは眠れず、うとうとしたと思ったら、階下の泊り客のくしゃみとか、家鳴りのようなちょっとした物音ですぐに目をさますし、寝返りもうてないし、まるで、起きているのか眠っているのかさえもわからない状態で朝をむかえたのだった。

 清彦は、屏風のこちら側に寄ってくることも、声をかけることもせず、ただ静かにしていた。それは、そこに人がいるかどうかもわからないほど、存在感を抹消しているくらいであった。

 翌朝、信十郎とお結は早々に宿をでた。当然のように清彦もついてくる。

 信十郎は意識しないように、なるだけ後ろも振り返らないようにしていたのだけれど、息がつまる圧迫感のような嫌な空気がまとわりついているような感じがしていらいらしてきたし、なにかの拍子に清彦が目に入ると、衝動的に怒鳴りつけてやりたい気持ちになったのだが、どうにかこらえながら、旅をつづけた。

 昼にさしかかったころ、道が琵琶湖岸からちょっとそれて、山の麓を通っているところがあり、そこにはちょうど茶屋があって、ふたりはひと休みすることにした。

 その茶屋は、山と雑木林にはさまれた街道のちょっとした隙間に建てられたほったて小屋のような粗末な建物で、その前に長椅子を三つだけおいているだけの、ささやかな店だった。

 信十郎は椅子に腰かけ、茶をたのむ。老婆がすぐに湯飲みに入れてもってきてくれたが、ふと横をみると、おゆいが、他の客が食べている三色団子を、物欲しそうにじっと見つめていることに気がついた。

 なので、注文をすると、皿に三本の団子がのせられて出されたのだった。

 信十郎は、いぶかしんで、

「たのんだのは、ひとつだけだが」

 と云うと、老婆は、

「あちらのお客さんからだよ」

 とぞんざいに言葉をかえしてきた。

 ふりむくと、うしろの椅子に、清彦が座っている。

「よけいなことはしないでもらおう」

 感情をおさえながら、信十郎は清彦に云った。

「いえ、よけいだとは重々承知していますが、今後も旅費は必要でしょう。少しでもとっておくにこしたことはないのでは」

 信十郎は、ふところ事情を見抜かれているような、不快な気持ちになったが、たしかに、団子いっぽんでも金を使うのが惜しいのは事実だった。

 しばらくすると、信十郎は、便意をもよおしてきた。

 昨日は、清彦を警戒して、旅籠で風呂はお結といっしょに入ったが、厠だけはならんでするわけにもいかないので、店のものに彼女をあずけて用をたしたりしていたのだが、今度も、老婆にお結をみていてもらうことにした。

 厠は、店の奥を抜けた裏側にあった。板切れで囲んであるだけの肥だめのような厠で、風通しが悪く臭いがこもっていて閉口したが、手早くすませて、店にもどると、出入り口脇の椅子に座っていたはずのお結の姿がなかった。

「婆さん、うちの娘はどうした」

 気色ばんで訊くと、老婆は、

「あれ、さっきまでいたんですけどね」

 などと、まったく緊迫感もなく答えるのだった。

 出入口から飛び出すと、お結は、道の向こう側の草地で、周りを飛ぶ二羽の黄色い蝶を指で追うようにして遊んでいた。普段なら微笑ましい光景なのだが、今はそんな悠長な気分ではない。

 信十郎は、ほっと吐息をつき、

「お結、勝手に動くんじゃない」

 いささかとがった云いかたで、お結をたしなめた。

 お結は、突然怒られて、驚いたようすで振りむいたのだったが、悪びれるようすもなく、すぐに、信十郎のもとへ走ってきた。

 一連のできごとを、清彦は、茶をすすりながら、黙って見ていただけだった。

 お結を連れ去ろうと思えば、いまが絶好の機会だったのに。

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