二の六
「まちがいありません。川井は経国という研師の家に隠れています」
仙念の藤次が、藤堂平助と、そして三番隊の中田を討ち、つい今しがたこちらに到着した御堂銀四郎、坂井五郎左衛門、正木仙の三人組を前にして報告している。
薄田の旅籠、鱒川屋の一室であった。
「近所の百姓たちに聞きこんでみましたが、その研師の娘はとうに死んでいるという話でした。それに、子供を連れた侍に道を尋ねられたという者もいました」
「わかった」平助はうなずいていった。「お前は、しばらく休んだら、また探索にもどってくれ」
「はい、ですが、これ以上さぐりをいれると川井に勘づかれて、潜伏されるおそれもあります。下手に動かず、研師の家を見張るだけにしようと思います」
「うん、そうだな。まかせる」
「はい」
探索にかけては、平助などよりも藤次のほうがずっと手馴れている。素人は口をはさまずに、藤次に一任したほうが無難であろう。
藤次が立ち去り、
「さて、問題は、どうやって川井をいぶりだすか」
平助は誰に云うともなく、ひとりつぶやいたのだったが、御堂がそれに返答をした。
「まあ、私たちにお任せください、藤堂隊長」
「しかし、あんたたちは中田を倒したばかりだ。ちょっと休んではどうかな」
「ご懸念は無用ですよ」御堂は、にやりと口のはしをゆがめた。「今夜ひと晩だけ休ませてもらえれば、充分です。明日の朝には出立しますよ」
彼は実際の年齢は三十歳のはずだが、小柄だし、色白で、童顔で、ともすると二十三歳の平助よりも、若くみえるほどだった。
「ああ、ゆっくり休んでくれ」
「酒と、それと女も、いいですか」
「好きにすればいい」
「隊の費用で落ちますかね」
「酒だけだな」
酷薄に笑いながら御堂が立ちあがり、部屋を出ていった。続いて、巨体の坂井、痩身の正木が座を後にする。
平助は腕を組んで深刻そうに顔を曇らせた。
あの三人を川井にぶつければ、まず間違いなく討ちとることができるだろう。
だが、それがくやしかった。
あの卑劣な三人組が川井を討ちとる瞬間を想像すると、平助の良心がとがめるような、複雑な心境におちいるのだった。
いっそのこと、彼らを出し抜いて、平助自身が、川井の隠れ家に乗りこんでやろうか、とすら考える。
彼ら不良隊士の始末もつけろ、という土方の内意もあるし、平助は頭をかかえこみたいような気分だった。
研師経国の家に逗留して、三日目の朝。
朝食もすんで、信十郎が井戸端で髭をあたっていると、経国が刀を持って作業場から出てきた。
「終わったよ」と刀を井戸に立てかける。
「ああ、造作をかけました」
「ほんとうは今日一日かかる予定だったが、夜っぴて研いで、終わらせた」経国は恩着せがましく云った。「急いでいるんだろう」
「うん、すぐにでも立ちたい」
「そうか」経国は、空を仰ぎ見て云った。「あの娘は本当はあんたの娘じゃないんだろう」
「うん」
「道中、なにかと物騒だろうなあ」
「うん」
経国はさらになにか云いたそうだったが、どうも思いきれないというようすだった。
信十郎には彼の気持ちがわかっていた。
妻のみちが、おゆいといると心の病にかかっていることも忘れたようにはつらつとしていたし、経国自身もおゆいに亡くなった我が子の面影を見るのか、無愛想な男なりのやさしさのこもった目で少女をみているときがあった。
昨日のことであったが、おゆいが、作業小屋の入口で、刀を研いでいる経国の姿を、なにか魅入られたようすでみていた。研師が働く姿など、生まれて今までみたことがなかったのだから、珍しいものをみるような顔をして見物していたのだった。それに気づくと彼は、
――そんなとこで見られていたんじゃ、気が散っていけない。
不愉快そうに云って、そのすぐあとに、
――見たいんなら、もっとこっちに来て、座って見てろ。
ぶっきらぼうではあったが、怒るふうでもなく云って、おゆいをかたわらに座らせたまま、研ぎ仕事をつづけたのだった。
信十郎はそんな話をおゆい自身から聞いていたし、彼ら夫婦が信用のおける人物だとわかってもいたし、それで、こちらから経国の気持ちにそった話を持ちかけることにした。
「経国さん、おゆいをしばらくあずかってもらえませんか」
経国はこちらをみて、ぱっと明るい顔をした。
「お気づきの通り、私は追われる身だ。本心ではおゆいを連れて行きたいのだが、どうしても危険がつきまとう」
昨日、藤次がやってきたのを見て、気持ちに変化が生じたのだった。
信十郎は、ふところから、一朱銀を数枚とりだして、経国にさしだした。
「少ないけど、受けとって欲しい」
「いや、それは、無用だ。どうせ後ろ暗い人間だろうと足もとをみて、宿代をふっかけたからな。もう充分もらってるんだ」
信十郎は声にだして、ほがらかに笑った。憎めない男だと思った。
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