第11話

『……ああ、お願いだから泣き止んでサラ……見つかってしまうわ!』

 わんわん泣く子どものサラを、母が必死で抱きしめています。あやすというには母の表情は強張っていて、腕にこめられた力も強すぎて、子どもを窒息させてしまいそうでした。父が慌てて母を宥めると、ようやく母は正気に戻ったようで、必死にごめんねごめんねと謝りました。

 母は、機嫌が良い時には優しい人でしたが、いつも何かに怯えていました。髪は結わずにボサボサで、表情にも活気がなく、化粧をする余裕も無いようでした。父は朝から晩まで働きに出ていて殆ど家におらず、母がずっと一人でサラの世話をしていました。仕事から帰ってくる父も、いつもくたびれていて、父と母は疲労から些細なことで言い合いになっては、最後にはぼろぼろ泣いて、明日の生活への不安を口にするのでした。

 周りの人に頼ることも、母はできないようでした。サラは、ほとんど家から出たことがありません。近所の子どもたちと遊んだことはなく、夜に誰も歩いていない町を、ひっそりと母と二人きりで歩くのが好きでした。母も、その時は優しい表情をしていました。それがおかしいことだとは、サラはまったく思っておりませんでした。

 そんなある日。突然、知らない男たちがサラの家に上がり込んできました。男たちは、ボコボコに殴られた父を連れていました。

「この冒涜者が……神の大切な御方を拐かすなど断じて赦しがたい。我等神官の恥さらしだ」

 男のうちの一人が悪態をついて、父の腹を蹴りました。サラがやめてと泣き叫ぶと、無表情の男たちは、この者は赦されない罪を犯したのです、と淡々と言うばかりです。父は、ただ申し訳なさそうに、サラと母を見つめています。父のもとに駆け寄ろうとする母を、男たちの代表らしき人物が止めました。

「ずっとお探し致しておりましたよ。さあ、我等と共にお帰りください」

「嫌です……私はもう、あの塔に帰りたくありません!」

「あなたの意思は関係ありません。神に求められたのなら、あなたは応えなくてはならない。その子はきっと、神の子でしょう。素晴らしいことです。ありがたいことです。その子は神殿で育てましょう。さあ、こちらへ……」

 手を伸ばす男からサラを守るように、母はサラを痛いほどに抱きしめました。

「この子は、夫との子どもです。あなたたちには渡しません」

「……ああ、なんと嘆かわしい! 神からの授かりものを、冒涜者の子と偽るなど、何という不敬か! きっと、この男に良からぬことを吹き込まれたのですね。さあ、神殿で心と身体を清めましょう。冒涜者の命を捧げれば、きっと神もお許しくださるでしょう」

「それでも赦されなければ、あなたの命で償うしかありません。神より授かった命を、そのままお返しすることに、なんの迷いがありましょうか。ましてや、神嫁であるならば!」

 ……そうです、サラの母は神嫁でした。それを、父がさらって、二人は逃げ延びて、ひっそり隠れて暮らして、サラを産んで、誰にも見つからないように育ててきたのです。

 幼いサラには、そこまでの事情は理解できませんでした。それでも、このままでは父と母の身が危ないということはわかりました。

 男たちが、母の手を無理やり引っ張ろうとするのを見て、「お母さんにさわるなあああああ!」とサラは叫びました。心臓はバクバクと早鐘を打ち、身体中がカッと燃えるように熱くなりました。

 その瞬間、突然炎が男たちを包み込みました。能面のようだった男たちが、苦しそうに悲鳴をあげ、躍起になって火を消そうと、踊るように跳ね回っています。

「……サラ! 止めて、止めなさい!」 

 しかし、サラには炎の止め方がわかりません。火はどんどん燃え広がって、あっという間に家は火の海になりました。そして、その炎は、動けない父の体にも、母の長い髪にも燃え移り……。

「あなただけでも逃げなさい、サラ!」

 ドン、と強い力で母に背中を突き飛ばされて、サラの小さな体は、家の外に転がり飛び出ました。幼いサラが見ている目の前で、神官の男たちと、両親は家ごと燃えていきました。その光景は、幼いサラには耐え難かったのでしょう。サラはその場で気を喪ってしまいました……。

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