応援コメント

自喪の朝」への応援コメント

  • メタ認知のような「すでにしんだぼく」が「これからしぬぼく」を、ながめている。止めることも無く何かを変えることもなく。死は絶対的であがきようの無いものであると同時に強いあきらめを感じるのです。さようなら、と見送ったあと2人はどうなるのでしょう

    作者からの返信

    読んでくださってありがとうございます。自分の人生なのに他人事みたいだな、という感覚に陥ることがよくあるので、その感覚を死まで延長させてみました。死ぬときは自分として死にたい気もしますが、死ぬときも他人事みたいだったらどうしよう、などと考えています。自分と完全に別れて死んで、その後どうなるかは、神のみぞ知るのか、神も知らないのか。死ぬって本当に不思議です。

  • この作品の感想は、言葉にできないです……。最後の二文に、私自身も包み込まれるようです。
    これから死ぬぼく。そんな風に優しく自分を見守ることができたなら、と思います。でも本当はいつだって、「これから死ぬかもしれない私」ですものね……。

    作者からの返信

    読んでくださってありがとうございます。死ぬ直前の自分を回想できたとしたら、どんな気分だろうと不思議になります。いつだって死ぬ可能性はあるのに、なかなかそうは実感できませんね。どうすれば実感できるのか、受け入れられるのか、それも不思議です。

  • 自主企画に参加いただきありがとうございました。
    自分というものを説明するように淡々と述べていく様子、フランツ・カフカの作品が頭によぎりました。

    自分を俯瞰的に眺めて生きてきたから、こうしてこれから死ぬ自分を他人のように眺めていられるのでしょうね。

    自分が死ぬ日はどんな天気なんだろう。

    作者からの返信

    読んでくださってありがとうございます。
    カフカの作品も、奇妙な離人感がありますね。それには及ばないですけど、自分なりに、他人のように感じる自分を描いてみました。
    晴れでも、雨でも、曇りでも、それはそれでいいな、なんて死ぬときに思えたら、いいのですが。
    コメント、ありがとうございました。

  • 何も明確な死が迫っていなくても、今も死ぬ間際なのではないか?そんなことを時々考えます。
    色々なことを感じさせられる作品でした。ありがとうございます。

    作者からの返信

    読んでくださってありがとうございます。メメント・モリ、という言葉もありますけど、死をどうやったら意識できるんだろう、死をどういうふうに想えばいいのだろう、といつも悩んでしまいます。なにかがこころに引っかかったなら嬉しいです。

  • これは……究極のソロですね……まさか、こんな形で死が歩いていくとは。

    生きている時は日当たりを心地よく感じますが、死んだ時のことを考えると、雨の方がしっとりしていて心地よさそうな気がしました。色々と洗い流してくれそうだし。

    作者からの返信

    読んでくださってありがとうございます。自分が死ぬ日の朝って、どんな朝なのかなあ、なんて思いながら書きました。死者には雨が似合う気がしますね。快晴よりは、死に親しいように思えます。コメント、ありがとうございました。