5章 合縁奇縁
慌ただしい転送所
翌朝宿屋を出発するとき、店主に首都に向かうことを告げ滞在の礼を述べる。
魔力操作の件で“お盛んだった”とからかわれ、メルルーシェは必死に弁解する。
ラミスカが苦笑しつつも、メルルーシェの名誉のために誤解を訂正してくれたことは嬉しかった。
ベルへザード兵士として敵軍を退けたことへの激励を受けて送り出されたふたりは、西の転送の要所ハプシェンへと向かった。
メルルーシェは自分の人生について考える時間が増えた。
神殿で癒し魔法の使い手として勤め、赤子のラミスカを拾い、育てるために見知らぬ土地に移って薬屋で働いた。不可抗力ではあったが、事件を起こしてラミスカが徴兵されることになり、行方不明になった彼を探すために軍に入り、自分で身を守るために死に物狂いで体術の特訓も重ねた。
人には恵まれたものの友人と呼べる人間は少なかったし、考えてみればいつもラミスカがメルルーシェの中心にいた。
何より、今までのそんな自分の人生が神の導きによって運命付けられていたと知って、それは当たり前のことであるのに悲しいと感じてしまった。
自分自身とラミスカのためにやってきたと思っていたことは、神を救うために導かれていたに過ぎない。自分の意思ではなく、父である慈愛の神ルフェナンレーヴェの意思。
優しかった母はどんな思いで自分を育てていたのだろう。大きくなって必要な素養を身につけたら宵の国に向かいなさいと、その口で私に告げたのだろうか。
今となっては顔は朧げで、神の話をしてくれた記憶しかない。
安穏の神さえ連れて宵の国から脱出してしまえば、慈愛の神ルフェナンレーヴェ様も人生を全うすることに、とやかく口を出したりはしないだろう。
だが気にかかるのはルフェナンレーヴェの言葉だった。
ーーー君が人だった頃の記憶を留めておくことができるのであれば。
そのときのメルルーシェは慈愛の神の言葉を深く受け止めず、もしそうなればラミスカのことを思い出させて欲しいと頼んだ。
「どうかしたか?」
転送所に向かう馬車の中、窓をぼーっと眺めていたメルルーシェにかけられる低い声。最初は違和感があったラミスカの低い声にもすっかり慣れてしまった。
「少し考え事をしていたの」
「そうか」
表情は変わらないものの、ラミスカはいつもメルルーシェを気にかけてくれている。あんなことがあって正直今も戸惑っている。
(柔らかい唇が触れて、吸い取られるように絡んだ熱い…)
思い出すだけで顔が熱い。考えないようにしていたのに失敗だった。
ラミスカの顔をまともに見られないし、まだ心の整理がつかないというのが本心だった。
けれどラミスカが真っ直ぐに伝えてきたことには、いずれ答えを返さなければ。
どれだけ物を知らなかったとしても、彼が子どもだったことは一度もなく、メルルーシェと出会うずっと前から暗い過去を生きてきたということは受け入れなければならない。
咳払いをして頭から雑念を振り払い、心配させないように話題を変える。
「ラミスカ、なぜ馬車が魔具の開発が進む今も使われているのか不思議に思わない?」
10年前のダテナン戦争の終戦後、馬車に代わる移動補助の魔具の開発が行われた。地域によってはすでに軍部で利用されているのに、未だに馬車に取って代わることはない。
ラミスカは少し考えるように窓の外を見つめてから答える。
「外交の情勢も悪い。魔具に使われる良質な魔鉱石は軍がほぼ独占しているからじゃないのか?」
「そうね……」
微妙に間が空いたことでラミスカが首をかしげる。
「直接的な理由ではないと考えているんだな」
「そのとおりだと思うけれど、何となく良質な魔鉱石が安定して町に普及するようになっても馬を使うことは変わらない気がして」
馬は旅の神リューンデールの使いの象徴。馬を食すことは大体の国で禁じられているし、神の使いを無下にする事は出来ない。神の加護を賜るために自分たちが守っている暗黙の了解は思っている以上に多いんじゃないか、とぼんやりと考えるのだった。
「どうだろうな。遠くに離れている相手の様子を見る魔具だって開発されたし、戦が起こらなくなればその内国民にも普及していくんじゃないか?」
「そんなものがあるの?」
ラミスカとそんな他愛のない話をしている内にハプシェンの町並みが見えてきた。
「腹ごしらえをしてから転送所へ行くか?」
馬車を降りて町に入ると良い香草の香りが鼻をくすぐったせいか、荷物を持ったラミスカがこちらを見下ろして尋ねる。ラミスカは壊れた古い義脚も荷物として背負っているため、メルルーシェよりも荷物が多い。
「以前転送酔いが結構酷かったの。
吐き戻したくはないし、食べずに向かいたいわ。ラミスカは食べたければ食べてちょうだい」
「分かった。俺も食べなくていい」
ハプシェンの転送所はエッダリーからラミスカを探しに旅立ったとき以来だった。
(あのときは薬草好きの転送魔具技師の子に親切にしてもらったんだった。)
あの淡い緑の髪の青年は元気にしているだろうか。彼は転送魔具技師であるし、先の戦でも身の危険はなかっただろう。度重なる師団ごとの転送で過労で倒れている可能性はあるかもしれないが。
転送所で取り出したプレートを見せて身元の確認を済ませると、転送魔具の使用目的と希望する日時を記入する。少し待つように指示され、そわそわとした転送所内から逃げるように二階のテラスに出る。
ふたり並んで東に広がるビェールの山々を望む。ほのかに森の香りを運ぶ風が清々しい気分にさせてくれる。
「首都に向かうのは初めて。貴方は?」
心地の良い沈黙を破ったのはメルルーシェだった。
「……昔は首都にいた」
「首都では馬糞なんて落ちてないって聞いたの。本当?」
「……どうだろうな。街に住んでいたわけではないし、義脚魔具の調整にたまに出たくらいだ。何十年も前だから今は様子も変わっているだろう」
「そうなのね……」
ラミスカの話ぶりから、いい思い出ではないのだろう。住んでいたわけではない、と濁したのは自分には聞かせたくない類の話なのかもしれない。彼は昔の話はあまりメルルーシェには聞かせないのだ。
「宵の国のこと、まずは本の館で調べようと思っていたのだけど、首都神殿に話を伺いにいくのも手ね」
自力で調べることしか考えていなかったが、首都神殿に向かえば協力してくれる神官がいるかもしれない。
首都であるフォンテベルフには、首都神殿と魔力研究所がある。
首都神殿は、探究の神ジェレティエが奉られたベルへザードで一番大きな神殿で、各地の神官が集まって神の研究を行なっている場所だ。魔力研究所はその名の通り魔力についての研究を行なっている場所で、軍用魔具の開発も行われているらしい。
「ではあっちに着いたらまず首都神殿に向かうか」
「そうね」
大きく空気を吸い込んで胸に溜めて吐き出す。
「そもそも首都行きって手続きをしたらすぐに転送してもらえるのかしら?時間かかりそうなら先にご飯を食べた方が良かったのかも」
「契約の手続きだと比較的早くまわしてくれるらしい。と言っても当日中、くらいの話だからどれくらいの待ち人がいるか尋ねた方が良い。俺が聞いてこよう」
「いいわ、私が聞いてくるから待っていて。知り合いがいるの」
動き出そうとしたラミスカを制して荷物を渡す。折角会える機会があるのだから彼を探してみよう。探し人が見つかるように、と祈ってくれた彼に報告も兼ねて。
そんな気持ちで人の列を捌いている受付を見渡す。転送所に入ったときも確認はしたのだが、ぱっと見た感じ受付にはいない。やはり以前と同じように転送部屋にいるのだろうか。
紙を持ち運んでいた転送魔具技師らしき兵士を引き留める。彼らは列を作っている兵士たちとは違って仮面魔具を装着していない。
「すみません、転送までの待ち時間を知りたいのですがどちらに伺えばいいですか?」
「担当した者がお伝えしませんでしたか?」
「えぇ」
「それは申し訳ありません。調べますのでプレートをいただけますか?」
慌ただしいせいだろう、普通は伝えてもらえるようだ。慌ただしくて余裕がないはずなのに、丁重な対応を取ってくれることに感謝する。
受付奥から戻った兵士が、少し困った顔で言いづらそうに口を開く。
「目的が契約手続きなので本日中に随時転送という形です。橙の時に振り分けられていますので、黄の時にはこちらに戻ってもらえればご自由に行動していただいて問題ありません。お伝えしていなかったようで大変申し訳ありません」
橙の時までは半日以上ある。聞いておいて良かった、と胸を撫で下ろして微笑む。
「いえ、ご親切にどうも。助かりました」
メルルーシェの言葉に、兵士は安堵したように表情を和らげる。周りの受付の兵士の態度からも、この丁重な男性が比較的高い地位にいることが窺える。
(彼の姓は…確かユールトよね。)
「あの、別件なのですがこちらにユールトさんはいらっしゃいますか?」
「ユールトですか。えぇ、今も転送部屋にいるはずですが」
不思議そうにメルルーシェから奥の扉に目を向けた。
「そうですか。少し手が空くことがあればぜひお会いしたいのです」
思い切って以前世話になったので話をしたい旨を伝えると、兵士は微笑んで頷いた。
「ご迷惑をおかけしましたから手配致しましょう。こちらに来られてどの列に並ばれました?」
メルルーシェが答えると、その男性は受付の兵士に耳打ちをして奥の部屋へと向かった。時間をくれるつもりなのだろう。メルルーシェたちに時間を伝え忘れていた眠たげな顔の兵士が代わりに転送部屋に入るようだった。
しばらく待っていると、入れ替わるように淡い緑の髪が現れてぴょこぴょこと周りを見渡している。メルルーシェを見つけると顔を綻ばせて近寄ってきた。
「メルルーシェさん!無事で良かった……」
人の良さそうな笑顔は相変わらずだった。
「お久しぶりです。リメイ、君?」
以前去り際に、名前で呼んで欲しいと言われたものの、久しいこともありなんとなく気恥ずかしくて疑問系になってしまった。
「リメイでいいですよ、メルルーシェさん」
リメイを呼んでくれた丁重な兵士にお礼と会釈をすると、リメイが彼に小声で尋ねる。
「技師長、僕ちょっと出てきてもいいですか?」
地位が高そうだとは判断していたが、役職名から察するにここの責任者のようだった。
「癒し手のご指名だからな。鐘2の内には戻ってくれ」
メルルーシェのプレートから情報を見たのだろう。技師長と呼ばれた丁重な男性は、少し茶目っ気を含ませてそう言った。
リメイとテラスに向かって歩き始める。そばかすのせいか、空色の瞳の輝きのせいか、少年のような印象を受ける所は変わっていない。
「本当に久しぶりな気がするわ。節も変わっていないのに。リメイは元気にしていましたか?」
「はい。メルルーシェさんは、あの後例の戦争で大変だったんじゃないですか?」
リメイの明るかった表情が翳った。彼の知り合いもまた被害を受けたのかもしれない。
「探していた人に会えたから、今日はそれを報告したくて。大切な家族なの。あなたにも紹介するわ」
メルルーシェが微笑むと、リメイも安心した様子で頷いた。
「会えたんですね。それは良かった、本当に」
瞳を揺らして呟くリメイは本当に優しい青年なのだろう。
殆ど見ず知らずのメルルーシェのことを気にかけていてくれたのだと、胸が温かくなった。
テラスへの扉を開くと、身体を預けて空を見入っていたラミスカがこちらを振り返った。
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