贈り物
朝、部屋を出ると下の受付で店主に引き止められる。
「あんたたち、お熱いのは結構なんだが魔力はもう少し抑えてくれ。苦情が来たんだ」
昨晩の魔力操作の訓練のことを指しているのだろう。魔力が膨れ上がって周りに“よろしくやっている”と勘違いされたのだと気付いて苦笑いをする。ちなみに女好きのカシムから教わった言い回しである。
「はぁ…魔力を、わかりました。気をつけますね」
隣で疑問符を顔に浮かべているメルルーシェ。何も分かっていない様子に、勘違いさせておこうと知らん顔を決め込んでいたが笑いが零れる。
宿屋を出てからも、何故笑うのかと不思議そうな顔で自分を見上げるメルルーシェ。
「男女が同じ部屋に居て、魔力が漏れ出しているんだから勘違いもされるだろう」
ラミスカの言葉にしばらく考えてから理解したのか、耳まで真っ赤に染めてラミスカを睨みつけた。
「なぜあの時教えてくれなかったの。誤解は解かないといけないでしょう?」
あまり知りもしない宿屋の中年に必死になって弁解するメルルーシェの姿が浮かんで苦笑する。
「他人にとってはどうでもいいことだろうから」
「そうかもしれないけれど」
メルルーシェは半ば投げやりに同意したが、まだ頬は朱に染まったままだ。
宿屋の自分たちの部屋に荷物は置いて来た。魔力を登録してきたので置き引きに合うこともない。連絡がきた時の為に軍のプレートや腹鎧は身に付けているものの仮面魔具もつけていないので比較的身軽だ。
適当に朝食を終えたふたりは神殿のある南へ向かって歩き始めた。
「そういえば貴方が住んでいたウダルの神殿はどんな雰囲気だった?外から少しだけ見たのだけれど、中は見ていなくて。貴方は通っていたのでしょう?」
メルルーシェはケールリンに向かう途中、ウダルに補給で寄った際に外観を拝んだ程度らしい。案内してくれていたカシムが教えてくれたので、奉られている神などの情報は知っているが、奉られている神によって神官たちの服が違っていたり、礼拝堂の形も違っていたりするものなので興味があるのだという。
「ダテナン人が多く礼拝していた。神官も半々で、子どもが多くいた。
伝わっている神の名前が違っているのに、それぞれが共存しているのが居心地が良かった」
礼拝堂の雰囲気やそこにくる人々、習慣や祝詞。
メルルーシェはとても楽しそうにラミスカの話を聞いていた。時々比較するようにメルルーシェの暮らしていたモナティ神殿についても教えてくれる。
そうして歩いている内に石造りの立派な建造物が現れる。このアガテナの街は元々ダテナン国の領土で、その時代から続いていることもあり外観はベルへザードのものと大きく異なっていた。
横にずっしりと広がった神殿は円状に覆われていて、上部は材質が異なっているようだった。嬉々と神殿に足を踏み入れるメルルーシェに続いて、人が行き交う扉を潜る。
白に近い薄茶の垂れ幕がいくつも並んでいて、中央には巨大な赤い魔鉱石が花が開くように広がっている。ラミスカには魔鉱石の種類は分からなかったが、とてつもなく希少なものだとは一目見て分かった。
「わぁ…」
感嘆の声を漏らすメルルーシェ。
アガテナ神殿には2柱の神が奉られているらしい。
内の1柱は慈愛の神ルフェナンレーヴェ。癒し魔法の使い手であるメルルーシェとは縁深い神だろう。癒しの魔力はルフェナンレーヴェから与えられたとされている。アガテナに向かう道中から、メルルーシェが神殿のことでそわそわしていたことを思い出す。
礼拝する人々は皆服装こそまばらだが、慈愛の神の色である薄紫のものを身につけている。ふたりも神殿までの道中の店で薄紫に染められた布を買い、腹鎧に折り込んでいた。
中央上部の白金の大きな垂れ布に、慈愛の神を表す“閉じられた目”が描かれている。
「そういえばもう1柱はどんな神なんだ?」
隣にいるメルルーシェに小声で尋ねると、赤い魔鉱石を指した。
「もう1柱は災の神ヴェレ。あらゆる災いをもたらす恐ろしい神」
赤い魔鉱石がどう関係しているのかはわからなかったが、なるほど。神殿では相性の良い神同士が奉られる中、反する性質を持つ名を頂く神同士を奉るのは封印に近い概念なのかもしれない。とラミスカはひとり納得した。
「慈愛の神ルフェナンレーヴェと災の神ヴェレはとても仲の良い兄弟神だと言い伝えられているの。ただ生まれ持った性質には逆らえない。ルフェナンレーヴェは神の世をも脅かすヴェレをずっと封じ続けているの」
「ほう、初めて聞いた」
神についての話はエッダリーに居た頃、本の館で多くの本を読んだ。
自分の身体が赤ん坊に戻ったことを調べるために。
「幼い頃、確かお母さんから聞いたわ」
座る礼拝者を避けて中心部にゆっくりと歩みを進める内に、魔鉱石の赤色が反射してメルルーシェの輪郭が赤く縁取られる。懐かしむように目を伏せたメルルーシェから視線を魔鉱石に移した。
魔鉱石の近くに控えていた数人の神官が自分たちに目を留めて会釈をした。
「癒し魔法の使い手が足りているか聞いてくる」
慈愛の神ルフェナンレーヴェを奉っていることもあり、アガテナ神殿の癒し場の規模は国内でも有数のとても大きなものらしい。癒し手の数も多いが、他の街からも癒しを求めて多くの礼拝者が訪れるため患者の数も多い。
神官たちと端に寄って小声で言葉を交わしていたメルルーシェがラミスカに目をやった。
「やっぱり運ばれてくる兵士たちの継続的な治療を行いながら礼拝者の対応に追われて大変みたい。私今日一日だけでも手伝ってくるわ」
礼拝者を避けながらメルルーシェの元に近寄ると、眉尻を下げたメルルーシェが申し訳なさそうにそう告げた。
「分かった。俺は少し用事がある。夜帰る時間には迎えに来る。そうだな、赤の時には宿屋に戻ろう」
「えぇ、分かったわ。ありがとうラミスカ」
癒し場へ向かう暖簾を潜るメルルーシェを見送ってからラミスカは神殿を出た。
ラミスカは街の東側に向かって、貴族街と呼ばれる店々が並ぶ一角へと足を向けた。探しているのは装飾品の店だった。
メルルーシェに装飾品を贈りたいと常々考えていたため、メルルーシェの居ない今日はいい機会だと思った。ここ数年、生活する中ではほとんど使うことのなかった金を懐にずっしりと仕舞って、店の看板に目を向ける。
後の生活費を考えても余りある金は、皮肉にもハーラージスの采配によるものだ。
【サフィーリ魔鉱石加工所】
装飾品を作るためにはまず魔鉱石を加工する必要がある。店の扉を潜ると高く涼しい鈴の音が響いた。
「女性への贈り物にする魔鉱石を見繕いたい」
近寄ってきた店主が丁重に頷く。ベルへザード人の壮年の男だが、この辺りはダテナン人貴族も多く住んでいるからだろうか、ダテナン人への見下した態度など一切感じさせない接客だった。軍に身を置くラミスカにとっては新鮮だ。
「女性への贈り物として選ばれるのはこの辺りの魔鉱石です」
一つずつが区切られた箱に収まる魔鉱石を乗せた木板をラミスカの前に出す。
紅や金、朱や淡い黄といった暖色の中に、深い青と青味を帯びた紫の鉱石が並んでいる。目を引くその二つの魔鉱石を指すと、店主が箱からそれらを取り出して丁重に布の上に置いた。
「こちらはラミスカテス鉱石。ノレスノリアの節の夜空のような美しい石で、魔力の内在量も多いため他と比べても高価です。魔力の質は流動的で、身につけると体内の魔力を円滑に流すことを手伝います。注意点としては、女性への贈り物として人気はありますが、今の社交の場では流行りではありません」
布に包まれたラミスカテス鉱石を持ち上げてじっくりと光の加減を眺める。
「お客様の瞳の色はとても似ていらっしゃいますね…」
深い藍色の鉱石が自分を冠する名がついていることに驚いたが、店主の言葉でメルルーシェがラミスカが赤ん坊の頃に、瞳を見て名前をつけたと言っていたことを思い出す。
ラミスカがもう一つの青味がかった紫の鉱石に目をやる。
「そちらはベレス鉱石。イシュテンの節の朝焼けのように優雅な色を持ち、癒しの魔力を高めると言われるルフェナンレーヴェの加護を賜った鉱石です。アガテナの癒し魔法の使い手や加工師、祓い師など癒しの魔力を利用する者に重宝されます。
注意点としましては、比較的安価なので婚約の贈り物などには向きません」
あまりにもメルルーシェにぴったりな鉱石で、これ一択だとは感じるものの、自分の化身とも呼べるラミスカテス鉱石を身につけるメルルーシェというのも魅力的で捨てがたかった。
「未加工のものがこちらです」
店主が尖った石の塊を数個目の前に置いた。
「丁度この辺りの大きさの物を加工すると、今お客様がお持ちになっているものと同じくらいの大きさになります」
手で握れる程の大きさの石の塊が、加工すると指で摘む程度まで削られるのだと言う。
「加工にはどれくらいの時間がかかる?」
ラミスカの格好で急ぐ理由に検討がついたのだろう。店主は理由について尋ねることなく顎髭を撫でた。
「元となる原石の大きさにもよりますが、急いでも3日はかかるでしょう」
出来れば今日中には手に入れたいと考えていたが、やはり想像通り加工には時間がかかるようだった。
「社交の場に出すものではないから大きさには拘らない。
今ある加工済みの魔鉱石を2つとも見せてもらえるか?」
「承知いたしました」
奥から戻ってきた店主の手に乗せられた木板の上には、大小様々な大きさの鉱石が分けられていた。
「本来であればお客様の目に見せるものではありませんが、もし2つをお使いになって装飾品をお作りになられる場合、このような小さい鉱石を組み合わせると清楚で美しいものとなります」
メルルーシェはどんな物も似合うが、小ぶりな物を身につけている方が彼女の美しさを惹き立たせる気がする。ラミスカは満足そうに頷いて魔鉱石の物色をする。
ラミスカは落としたらもう見つからなさそうな種ほどの大きさのラミスカテス鉱石をふたつと、それよりは少し大きなベレス鉱石を選んだ。
「この3つで美しい形に繕ってくれ。細工もこちらに任せる」
「かしこまりました」
店主がラミスカが選んだ3つの魔鉱石を布に大切そうに包んで奥へと消えた。
会計を済ませながら店主が零した話では、この加工所は細工も行えると店の看板に掲げられていたので注文したが、店に訪れる貴族は大体はお抱えの細工師がいるため、細工まで注文されることはあまりないらしい。
「一般的なのは首飾りですね」
どの装飾品にするか悩むラミスカに店主が口添えする。
指輪は指周りの長さを測れないと作れないため、大体は女性を連れてきて注文する物らしい。首飾りは軍のプレートと被ってしまうか、と迷っていたが、長さを変えれば問題ないと助言を受けて首飾りにすることになった。
「客入りにもよりますが、早くて今晩の閉店までには仕上がります。
遅ければ明日の開店に」
「それで構わない。今晩一度ここに寄る」
「かしこまりました」
心なしか浮き足立ったラミスカは、加工所を後にして他の服飾店なども覗いて回った。メルルーシェは軽食を摂っただろうか。
市場で夜の分の食料も買い、宿屋に戻って軽食をとりながら義脚の整備と装備品の点検を行う。メルルーシェが置いていった装備品も一緒に済ませて窓を見上げると、空は橙に染まり始めていた。
街の他の兵士の様子を探りながら、軍からの連絡が来ていないことを確認して、時間を潰しながらサフィーリ魔鉱石加工所へ向かう。
「お待ちしておりました」
店主が流れるような動作で、白に近い淡い色の木箱をラミスカの前に置いた。
開かれた良い香りの木箱には、逆三角を形取って組み合わされた小ぶりな魔鉱石が鎮座していた。繋ぎ目が殆ど見えない細かい淡い金の鎖で繋がれていて美しい。手掛けたのは余程腕が良い細工師だと一目で分かる。
「品質の良い魔鉱石を選ばれたので、小さくとも効果が実感できるでしょう」
繊細で小ぶりな装飾を細工するのは楽しかったのだろう。大きな宝石が好まれるらしい近年では、あまり繊細な細工は任されないに違いない。壮年の店主の輝いた目がそう告げていた。
「あぁ、満足だ」
店主は品の良い木箱を白い布に包んでラミスカに渡すと、丁重にお辞儀をした。
メルルーシェに渡すのが楽しみだった。
赤の時になっても神殿内にメルルーシェの姿が見えない。神官にメルルーシェのことを尋ねると癒し場に案内された。近くに立つ癒し魔法の使い手に声をかけると、疲れた顔が一気に爛々とした瞳に変わる。
「メルルーシェ様は清め湯に向かわれました」
話を聞くに、どうやら国内屈指のアガテナ神殿の癒し魔法の使い手を感心させるほど癒し魔法を振るい魔力を消耗したため、元神官でしかも戦果を上げた兵士であるメルルーシェは、神官しか足を踏み入れることできない神の庭と呼ばれる場所に招待されたのだと言う。
神官時代しか使うことのできなかった場所に足を踏み入れられるのはとても懐かしいだろう。ほっと安堵の息をついて、そのまま礼拝堂でメルルーシェを待つことにした。
礼拝の時間が終了した神殿内で、神官が掃除を行う様を見つめてしばらくすると、ふらふらとメルルーシェが現れた。メルルーシェの気配は直ぐに感じ取れる。ラミスカは立ち上がってメルルーシェの元へと向かった。
「疲れた顔だな。清め湯はどうだった?」
メルルーシェは瞳を揺らしてラミスカを数秒見つめた気がした。すぐに苦笑しながら答える。
「少し張り切りすぎちゃったわ。
ラミスカ、待たせてしまってごめんなさい」
悲しげだったのは気のせいだろうか、と疲れで足取りの重いメルルーシェの肩を優しく押して神殿を出る。
「今日は渡したい物があるんだ。
宿屋まで歩けるか?抱いて連れて帰ってもいい」
「大丈夫よ」
メルルーシェが照れる冗談だったはずが、穏やかな調子で返された。
重い足取りのメルルーシェ。やはりどこか様子がおかしい。
「顔色が悪い。体調か?それともどうした、何かあったのか?」
メルルーシェの顔を覗き込むと、一瞬苦しそうに顔を伏せて口を開いた。
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