退廃夕暮れに心髄を

青夜 明

Drop 少女の物語

第1話 Prologue

 なまずって変な顔をしていると思う。丸い目に笑った口、愉快な髭が独特だ。

 何を考えているのだろう。実物を見たときそう思ったし、今もそう思っている。


「おいチビ、口もきけねえの?」


 目の前にいる、なまずのお面を被った男の考えはさっぱり理解できない。

 私の名前は七実ななみむつとで、確かに中学生としても小柄な方だが、知らない男にチビだとなじられる筋合いはなかった。

 不機嫌に睨んでやると、男はけらけらと笑う。

 彼の着ている制服は、黒河高校のものだ。進学を視野に入れていたが、こんなふざけた男がいるのならやめた方がいいのかもしれない。

 背後から夕暮れが私達を照らしている。もうそろそろ帰らなければ、お父さんも心配するだろう。

 そう思うけど、足が動かない。震えているのは、怖いからだけだとは思いたくない。

 負けたくなかった、彼の言葉に。

 今背中を見せれば、彼の言葉を認めてしまう気がして、それだけは絶対にやりたくないと思った。


「言いたいことがあるなら言えよ、黙ってたら分かんねえだろ」


 彼の言い分はごもっともだ。分かっているけど、言葉は嫌いだから使いたくない。

 だから、私は彼に近づき──頭突きをくらわせた。


「ぐあっ!」


 彼は大げさに呻き頭を押さえている。ざまあみろ。

 気が済んだので帰ろうと思う。


「待てよ」


 通り過ぎようとして、彼に腕を掴まれた。


「言い返すこともできねえのかよ。弱虫かなんか?」


 そう言って彼は顔を覗きこんでくる。なんというか、ムカつく男だ。ことごとく私の神経を逆なでしてくる。


「あ、口がつかえねえのか」


 あざ笑う所も、人を追いつめるその言葉も、大っ嫌いだ。


「弱い奴だな、アンタ」


 聞こえてくる全ての言葉に腹が立って、限界だった。


「──そっちこそ。いい加減にした方がいい」


 はっきりした声色で物申すと、彼はなまずのお面の下でぽかんと口を開けた。

 私は不機嫌に吐き捨てる。


「言葉は人を傷つける。君みたいな人がいるから使いたくなくなるし、使わなきゃいけなくなる。やめて。後放して」


 手を勢いよく振りかぶって、彼を引き剥がす。一睨みしてから歩き出した。


「……ははっ」


 不穏な笑い声すら聞きたくないと思うのに、私の願いは聞き届けられない。

 もう一度、より強く、掴まれてしまう。


「だから何だよ。死ぬわけじゃないんだから、 一々キレんな」


 馬鹿にしたように口角をつりあげる彼に、拒絶反応が働く。

 感情に任せて、腹に蹴りを入れた。


「うぐっ!」


 彼の手が緩んだので、私は両手を使って彼の体躯を突き離し、咄嗟に距離を取る。

 心の底から睨みつけ、腹の底から言葉を出す。


「言葉だって人を殺せる! 分かりなよ、それぐらい!」


 途端に彼は爆笑した。

 なまず面の髭が馬鹿にしているかのように揺れている。


(嫌いだ。この人)


 もうなまずも見たくない。

 放置して、私は帰宅路を進み出す。


「まったなー! 非現実的なものは夢の中だけにしとけよー!」


 投げかけられた言葉は聞こえないフリをした。

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