第17話 結果が分かっても空回りー2(現実世界シリアス編、傷痕)

 次に僕が目を覚ました時、そこは馴染みのある現実世界リアルの学校だった。

 高校の冬仕様の制服を着て、勉学をしているということは僕が亡くなる前の過去の時代か。


 みんな答案用紙を手元で確認しながら様々な表情を浮かべている。

 喜怒哀楽、その感情は人それぞれだ。


(あれ、この景色には見覚えがある……。もしかして、あの時の抜き打ちテストの結果発表の再来か?)


 そう感じた僕も手元に、そのプリントを持っていた。

 教科は数学で、あの時と同じテスト内容で採点も48点。

 黒板に書かれてある赤点の40点は、何とかかわすことができた。


 しかし、問題はそこではない。

 僕は前回の記憶を掘り起こし、数学担当の蔭谷かげたに教師が発そうとする言葉を……いや、彼女の名前をじっと待った。

 気のせいか、興味ないクラスメイトの名前が馬の耳に念仏のようで、聞き取った記憶から、すっぽりと抜け落ちていく。


 今の僕には彼女の存在しか耳に留まらない。

 はなっから他の人の名前など眼中にはないんだ。


「……和賀岬代わが みよ

「あっ、はい」


「和賀、これはどういうことだ……」


 蔭谷教師が岬代の点数の書かれたプリントを突きつけて、彼女の耳にささやく。

 僕は、その二人の会話を聞き漏らさないように全神経を耳に集中させた。


「……これじゃあ、君のお母さんにはもっと働いていてもらわないとの」

「……何でですか、母の借金はすべて返したはずです」

「……分かってないな、追加の延滞料金じゃよ。滞納していたぶんの金の振り込みがまだじゃが?」

「……くっ」

「……まあ、その件は次の休み時間にでも語るとしようかの。

……さて、これ以上の接触は他の生徒に勘づかれるからな……」


 蔭谷教師がにこやかに笑い、岬代に普通のトーンで返す。


「……これは酷すぎて点数公開にはならんな。春休みはタップリ補習じゃな」


 教師の脅迫じみた耳打ちで青ざめた顔色になる岬代。


 僕も初めは彼女が悪い点をとって落ち込んでいると思っていたが、二人の小声の話からではそれだけではないらしい。


 やはり僕の考え通り、何か裏があったのだ。


 その接点は教師と生徒。

 話の流れからして、もうすでに岬代はヤバいことに足を突っ込んでいるのか?


 借金とは何だ。

 彼女に何があったのだろうか。


 僕は放課後に岬代と、一緒に帰りながら、さりげなく話をしてみようとスマホのメールを送る。

 向こうからの返事はあっさりとOKだった。


 ここが夢の世界か、過去の世界かは確信は不明だが、後に自殺する彼女の行動を、ここで食い止められるかも知れない。


 僕は少なからず岬代が好きで、彼女に、これからも生きて欲しかった。

 心の芯から、そう感じていた。


****


 放課後の15時過ぎ、冬の割りには幾分か日差しが照りついた下校の帰り道を二人で肩を並べて歩く。

 その際、少し帰り道を外れ、寄り道を重ねた。


「わざわざありがとうございます」

「何の。この時間帯だから小腹が空いてるだろうし、少し長話になりそうだからな」


 近所でいつも世話になっている精肉店の牛肉コロッケ。


 外はサクサク、中はしっとり。


 中の牛肉は骨から近く、商品としては値打ちのない部位をカットしてミンチにしたらしいが、結構有名な高級肉からの部分なので、お金のない学生でも、ちょっとしたセレブ気分を味わえる。


 僕は岬代に、もう1つの紙包みのコロッケを手渡し、二人揃って近所の公園の白いベンチに腰かけ、揚げたての食感を楽しむ。


「まさに、これこそ生きているって感じだな」

「ええ、そうですね……」


 岬代のコロッケを食べる手がふいに止まる。

 彼女は俯き、日焼けのない白い手は微かに震えていた。


「何を言われたか知らないけど命は大切にしなよ」

「えっ……」


「間違っても列車に飛び込み自殺なんて駄目だよ」

「どうして自分が死のうとしたのを知っているのですか?」

「そうだな。僕は未来から来たからな。あっ……」


 だから平然と『そうだな』じゃない。

 調子に乗って思わずカミングアウトしてしまった。

 己の口の軽さが災いする。


 それでも岬代は何も追求せずに僕の瞳を真剣に見つめていた。


「それはそうと、岬代。そろそろ、あの蔭谷と何があったか、話をしてくれないか」

「……はい」


****


 ──あれはまだ、古ぼけたマンションではなく、自分が大きなお屋敷に住んでいた頃の話。

 和賀家の財力で欲しい物なら何でも手に入った時代。


 何個もの部屋があり、色々とサポートしてくれる召し使いもいて、何不自由しない優雅な生活。


 自分があの高級和菓子が食べたいとねだると、翌日には食べきれないほどのそれの全種類の和菓子が家に届き、

友達のようなあんな可愛い自転車が欲しいと呟くと、次の日には多種多様の自転車が庭にずらりと並べてあったりと、

自分が口走ると色々な物が手に入った。


 でも、お金だけじゃ買えない物がある。

 人間関係と心からの愛情。


 そのことを知らされたのは高校に入学してからだった。

 元々女好きで母親に愛想を尽かした父親による突然の蒸発。


 それにも関わらず、自分たち親子はこれまで以上に仲良くし、お金の節約のために築の古いマンションに引っ越し、母子家庭になっても、その財力のお陰か、父親がいなくても平穏に過ごしていた。


 だけど、母親は時折ときおり、酷くやつれた表情を浮かべることもあった。


 そう、激しい労働生活で体を壊し、車イス生活で収入源は内職になった母親。

 勉強で忙しい自分に代わって、母親には少なからず影で支えてくれるパートナーが必要だった。


 そんなある日、母親が車イスを軽快に滑らせ、にこやかな顔で私に紹介してくれた人。


 母親に久しぶりに恋人ができたのだ。


 もう、母親の苦しみを包んでくれる優しい相手の存在に、まるで恋をした自分さながらに胸がドキドキしていた。


「こんにちは。 岬代ちゃん」


 玄関先で出会った年配の白髪頭のおじいちゃんらしい人を見て、自分自身も信じられない気分に襲われた。


 その相手は、あの蔭谷教師だったからだ。


 彼がニコニコと紳士のように振る舞う姿を見て、その頃の自分は少しも疑問を浮かべなかった。


 しかし、後に判明するのだけど、この教師はギャンブル、酒、麻雀好きで金目当てで近付いたろくでなしであり、私たちの財力は半年も立たずにあっという間に無くなり、多額の借金を背負うようになった。

 

 同じく同居していた姉の鋼音はがねお姉ちゃんも、その家計を救うためにバイトを始めたけど、雲の先を掴むような多額な借金相手に長く勤まるわけでもなく、理由はそうとも言いがたいけど、ある日、突然、音沙汰もなく家出をして帰って来なくなった。


 自分は母親と二人ぼっちになった。


 それにも懲りず、何も遠慮もせずに自分たちからお金を巻き上げる教師。

 そうなれば、自分も母にバレないようにバイトをするしかなかった。


 その結果、勉強についていけなくもなり、今回の数学でのテストの16点の点数。

 テストの結果はさておき、母親は自分のことは気にせずに、夢に向かって勉強して好きな大学に進学しなさいと後押ししてくれた。


 でも、お金にうるさい蔭谷教師はそうは許さなかった。


 そのうち、自分の心は追い詰められて、死へのカウントダウンを踏み出していた。


 いつものように勉強をして、手作りの弁当を食べて、今日もやり遂げたと満足した学校の帰り道、自分は堅く決意する。


 母親がかけてくれた自分の生命保険で、何とか生活が、まかなえるのではないかと……。


****


「……まさか、お嬢様でも名ばかりの貧乏女子だったとはな。それで死のうと思っていたのか」

「はい、すみません」

「随分と安着な考えだな」

「なっ、じんに何が分かりますか!」


 岬代の一部始終の話を聞いた僕は頭の中で話を整理する。

 そこから考えた結論、彼女は親のために、一人命を捧げようとしていることがよくよく分かってきた。


「あのなあ、お前が死んだら生活は楽になるかも知れない。だけどお金じゃ埋まらないものもあるだろ……お前が死んだら残された姉や母が悲しむぞ」

「でも、そうでもしない限り……」

「だからって、一人でなにもかも抱え込むなよ。それに命はお金では買えないし、一個しかないんだ。そんな下らない教師のワガママで、そうやすやすと散らすまでもないさ」


「だから、もう岬代は家に帰っていなよ。僕が蔭谷と直接、話をつけてくる」

「ですが……」

「心配しないでよ。すぐにけりをつけるからさ」


 僕は、ベンチから腰を上げ、食べ終わった包み紙を丸め、傍にあったごみ捨てカゴにシュート(包み紙)を外さないよう、上手くポイッと投げ捨てる。

 そして、心配そうな岬代の肩を軽く叩き、彼女に見送られて歩き出した。


 すべての現況のみなもとへと……。


****


「何じゃ、帰ったのじゃなかったのか?」


 僕が急な話があると教室へと呼び出した蔭谷教師が不思議そうな面持ちでこちらを眺めている。

 まだ、自宅には帰っていない制服姿だったからか。

 それとも……。


 淡い夕暮れに染まる二人っきりの教室にかけている壁時計は既に17時を指していた。


「それでこんな時間になんの話じゃ? お主は赤点補習じゃなかろう?」

「僕の話じゃありませんよ」

「はて、そんな怖い顔をして、何のつもりじゃ?」


 どうやらこの教師には良いことと、悪いことの区別がついていないらしい。


「ぐはっ!?」


 僕は教師の頬を怒りの感情任せに思いっきり殴っていた。

 その勢いで教壇から吹っ飛び、生徒の机の方へとなだれ込む蔭谷教師。


「……何じゃ、痛いのお。暴力はいかんぞ」

「あんたのしてきた罪がこの程度で済むから安いもんさ」


「だから、何のつもりじゃ?」

「いい加減、分かるだろ。もう岬代たち一家から離れろ。このいい歳したじいさんが!!」


 ──その瞬間、蔭谷教師を包む雰囲気が変化した。


「あはははは。何だ、そのことか。その程度で我輩を追い詰めたとでも?」

「ふざけるなよ。何がおかしいんだよ?」


 蔭谷教師の顔からは余裕の笑みが浮かび、老体の口調さえも若々しくなる。


「ふふふ。どうやら君には転生の能力があるみたいだね。しかも過去にも戻れると来たものだ。ならば!」


 教師が僕の手前に片手を出し、そこから放たれた真空波で、僕の視界が床へとズルッと転がり下がる。


「だから、話を聞け……がはっ!?」


 首先が凄く熱い。

 どうやら首をはねられたようだ。


「次はこの程度じゃ済まないよ。

「そう……か……、やっぱり、お前の……正体は……」


 答えを出そうにも、ひゅうひゅうと風切り音のような声になり、次の言葉が口から出てこない。


 もはや、今回はこれまでか。

 僕は抵抗もなすすべもなく、意識が徐々に遠のいていった……。

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