第37話 ラノベのレッテル貼り
現在の出版の状況や価値観とやらで、過去の大衆娯楽文芸小説に『ラノベ』レッテルを貼って行く事自体が、『ナンセンス』だと、何度書けばいいのだろう。
『ライトノベル:ラノベ』というレッテルを正式に貼ったのはKADOKAWAだ。
しかし、その小説はKADOKAWAからではなく、富士見書房が出した雑誌、ドラゴンマガジンで連載された『ロードス島戦記』。
それ以前の小説には、そもそもそういう概念やレッテルがない時代。
(なぜ富士見書房がそういう雑誌を創刊したのかについては、色々な所で書かれているが、新しいファンタジー世界の作品にも賞を与えたりして、新人の登竜門にしたい。という話が出版界隈であって、出版社同士の話し合いと合意から、それを冨士見が引き受けたという。富士見ファンタジア文庫が出来るのはその後の事である。角川は角川スニーカー文庫だった)
以前にも、ここで知り合った人が、ラノベの源泉とか言って『ウルフガイ』を出した際には、私は大反論した。(その方はいないので、私が書いた文章も全て失われている。)
平井和正氏が若りしころ、狭い下宿の二階の西部屋で、西日にカンカンと照らされ大汗かきながら『ミカン箱』を机に小説を書いていた、その時代。
彼は権力にかみついていく小説、そして一般大衆が喝采を上げるようなものを書いていた。
彼は権力や権威を否定していたため、文壇も目指していない。
そういう大衆娯楽文芸小説を『ラノベ』というあやふやなものに入れてしまう事に、私は辟易したのだ。
そして、70年代から80年代半ばに書かれた小説までも『ラノベ』に入れてしまおうとするその無神経さにただただ呆れる。
今、評論ぽくレッテルを貼る人たちが『ラノベ』と呼ぶものは、1985年当時にさかのぼる。
むつかしい小説ではなく、大人が読む大人向け大衆娯楽小説でもない、そして少年向けSFとか伝奇物とかでもない、極めてあやふやながら、若い世代に向けた小説(だった。過去形である。今は若い人に売れていないので、あの当時とは違う)。
そういう小説を出そうとした出版社は、新しいジャンルを作る必要があった。
それは本屋の本棚を占有するために、絶対的に必要だったのだ。
いくら、あれやこれやいった所で、この視点がすっぽり抜け落ちている事に気が付くだろう。
80年代末期から90年代の初頭、街角の本屋には何処でも『ライトノベル』のジャンル棚があり、出版社ごとに並べられ、一部の出版社ではセル画風の表紙がついた、やたらと薄い文庫本が大量に平置きされて、積み上げられ売られた時代である。
(今だと、『異世界小説』というジャンルの棚が出来ている。)
ここで、昔のことなど知らぬ。という人のために書いておくとすれば、栗本薫氏の長編小説『グインサーガ』が最初はどういう宣伝で売られたか。
1979年に第一巻が出ているのだが、SFマガジン5月号で連載が始まった。この時の新刊が早川書房から出た時の新聞広告は、こうだ。
『栗本薫の、”ジュブナイル小説”、堂々刊行!』である。
新聞の下、新刊本の宣伝欄にかなり大きく豹頭の戦士のイラストが書かれ、『豹頭の仮面』が宣伝された。
そして、おそらく、先々の展開は、編集者は詳しくは知らなかったのだろう。
それで早川書房は『ジュブナイル小説』と呼んだのだ。
(栗本薫氏も、あれほど長く、ライフワーク小説となる等と言う事は想像すらしていなかったに違いない。)
あの時代、ヒロイック・ファンタジー(SF要素も含む)小説という物を世の中に知らしめる方法はなかなかなく、そもそもそんなジャンル分けすらなかった。(そして、グインサーガは、読めば判ることだがジュブナイルではない。)
この時代、79年なら、ダンジョン物の元祖と言われるWizardryすら、日本には来てない。
そもそもD&Dすら、殆ど知られていない時代だ。ファミコンのドラゴンクエストが登場するずっと前の話である。(ドラクエは1986年)
一般人にはファンタジー小説という物は、何だかわからない、自分が読みたいジャンルじゃないね。という反応が一般的だった。
そこで、ジュブナイルとすることで、若者向けを謳ったのだ。
そしてこれは早川書房の文庫本の棚に並べられた。
マイケル・ムアコックのファンタジー小説『エルリック・サーガ』を早川書房が翻訳して出版したのは1984年。
この頃は急速にファンタジーブームが巻き起こっていた時でもあり、これはファンタジー作品として分けられているが、80年代初頭から中期の小説には、『ラノベ』なんていう分類は無かったのだ。
明らかなのは、朝日ソノラマ文庫から出て、今ならラノベの範疇かもしれぬ作品群は『ソノラマ』と呼ばれていた。
こういうレーベルで分類されていた時代である。
そういう事も一切抜きにして、1985年以前に出版されていた小説に『ラノベ』を貼る人々は、もっと過去の歴史も含め、勉強した方がいいだろうと思う。
さて、今のラノベが大きく変わったのは2010年以降の事だ。
KADOKAWAが多くのレーベルや文庫を買収した結果、殆どがKADOKAWA傘下になった。
それと前後して、だが、ラノベ原作でメディアミックスするのが当たり前になっていく。
それ以前も勿論あった。そもそも『ロードス島戦記』がメディアミックス前提だったことは特筆に値する。
(ここでのメディアミックスとは、小説を原作として、コミック化やアニメ化、その他のグッズ販売などが行われた作品を指す。漫画原作からアニメ化はごく普通にある事で、これをメディアミックスとは、今は呼ばない。昔はこれもメディアミックスと呼んでいた時代がある。)
だが、それ以降、メディアミックスで成功した作品はそれほど多くはない。
『スレイヤーズ』や『フルメタルパニック』、『灼眼のシャナ』(これは息が長く10年も続いた)、『無責任艦長タイラー』、『魔術士オーフェン』などの一部のラノベ作品に限られる。
2010年台にはいるとラノベが大きく変わったのは、対象年齢はあくまでも若者としながらも、作品そのものの内容は、お金を出すコア層に絞っていった事だろう。
小説の単行本は無論の事、漫画の単行本やブルーレイディスクや、フィギュア等を買う層はもう中学生、高校生ではない。
いや、20代の若者ですらない。
ヴォリュームゾーンは30代後半から50代と見ているのだ。
特に40代、50代前半の男性に受ける内容にシフトしないとそもそも、メディアミックスが成り立たない事に気が付き、ラノベの内容もシフトしている。
ここが90年代初頭のころと大きく違う点だろう。
80年代末期から90年代初頭のラノベは、まだ若者向けだった。高校生あるいは大学生くらいに向けたのがスニーカー文庫だったのだ。その後、20代くらいまでをメインターゲットとしたのだろう。
冨士見ファンタジアは、高校生くらいから20代の若者向けだったのだと思う。
まあ良くて30代くらいまでがメインターゲットだったはずである。
では、現状の長ったらしい題名のライトノベルを高校生が読んで、小説の単行本を買ったり、コミック化で漫画単行本を買うかと言えば、否であろう。
そもそも、現在のラノベ小説の単行本は1500円とかする。
彼らの小遣いでそういう物を買う高校生を見たことがない。
ターゲットは、あくまでも金を出す30代から50代なのである。
かくして、ラノベは売れる世代が高年齢にシフトしつつある。
2000年就職氷河期時代に社会に出た人々の中、マニアックな物に手を出す層に特に売れると見て、ラノベは量産された。
その結果、現在の異世界小説とそのコミックがある。
この流れを変えるのは容易ではない。
せっかく商業デビューしても売れなければ、すぐにうち切られる。
その為、売れる作品とすると、それは今の若者、中学生高校生、大学生向けではなくならざるを得ないという商売の世界が待ち受けている。
結局、電子本だろうと何だろうと、お金を出して買ってくれる人が相手だ。買ってくれない、無料で提供されることに慣れ切った若い世代相手に商売は出来ない。
というのが現実だったりする。
そういう時代であるので、それと、80年代の大衆娯楽小説を同じラノベの中に入れてしまうなど、極めて乱暴な行為に他ならない。
(何か見た)
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