第9話 掲示板は諸刃の刃
掲示板は諸刃の刃
そう、私は古い人間なので私にとっての掲示板は、BBSだ。古過ぎて若手には、判らないと思う。今の人にとっての掲示板と言うのは、某巨大掲示板だろう。
口の極めて悪い我が親友は、あれを「悪辣な言葉の落書きが多い公衆便所」と呼んだ。
インターネットがまだ世界的に普及する前。インターネットは日本では大学と大企業の研究所にしか無かった時代。アナログの回線にモデムを付けて行う、パソコン通信と呼ばれた時代がある。
掲示板は、それこそものすごい沢山あって日本各地の掲示板情報を1つに集めた電話帳のような本迄あった。正しく電話帳の厚さで紹介されていたのだ。
私もパソコン通信の掲示板は、はまった。そこに色んな人がいて色んな意見を読み、そして自分の意見を書き込み、熱い討論を交わす。
兄は、自分でホスト局まで開設してしまった。
自分の個人部屋に1本しかない電話にモデムを付けてしまって、パソコンもそれ専用にするのだから、普段は電話が使えない。
そうまでしてもやりたい魅力があったのだ。
会員は、兄の知っている人が殆どという、内々の、アットホームな掲示板だった。携帯電話がない時代である。
電話と言えば、家庭に1台ある黒電話と街角やタバコ屋に置かれた公衆電話しかなかった。
会員登録は掲示板の電話番号さえ知っていれば、ゲストで入って会員登録し、自己紹介を書けばよく、事実上パソコンと通信ソフトさえあれば、誰でも入れた。
そこに闖入者が現れる。
文句だけつけて、言葉のナイフを振るう。
一見すると正論に見えるが相手が証明のしようもない文句を、舌鋒鋭く書き込んでいく。
いまなら「荒らし」ですむのだろう。
その当時は、「荒らし」等という言葉すら存在していない。
牧歌的な時代だったのだ。
しかし、ディベートのふりをしてただひたすら、相手を傷つける言葉のナイフを繰り出す人間は、程なくして除名処分になった。
その当時のBBSは個人運営だから、運営者はシスオペ(SYSOP)と呼ばれた。本当はシステムオペレーターである。
シソッペ等という下らん呼び方をする連中も多かったが。
除名された人物は、他のBBSでもやらかし始める。
そして除名処分を下して来たあそこの掲示板のシスオペは、人格がおかしいとかの人格攻撃まで、よそでやらかす。
歪んだ人間が言葉のナイフを振るい始めると、始末に負えない。
入会してきた人たちは多くのBBSで匿名である。
一部のBBSは登録には郵便はがきで出す必要があって、そういうBBSでは少なくともシスオペだけは全員の本名を知っているものもあった。
今なら個人情報が云々かんぬん。とんでもない! という話だろうが牧歌的な時代である。有料にしているBBSでは封書で実名で自分の住所電話番号まで書くのが当たり前の時代だったのだ。
しかし、兄の掲示板は、荒れてしまった。
土足で踏み込んで、そこに集まっていた素朴な人々を踏みにじる、「言葉の乱暴者」が現れたからだ。
兄の元に集まった人々も、何人かはそれで去った。
あの時の悲しそうな顔の兄を、私は忘れることは出来ない。
それにもめげずに、兄は個人掲示板の運営は続けていた。
しかし、ある時に特定の「都会にある掲示板」で、極めて不穏な事が起きているという。
各所で弾き飛ばされた者同士が集まった、いわば吹き溜まりの様なホスト局が立ち上がっていた。
そこでは色んな無法もまかり通っていたようだ。
そこではBBS報告という、内部に設けられた掲示板があり、その内容は各地の特定のBBSを批判する書き込みしかなかったと言う。
今でいう「晒し板」の原型といってよい。
〇△BBSは、こういう奴がシスオペで、こいつの正体はコレで、普段はこんなことをしてる不適格者だとか言う様な、全く根も葉もない話が「さも事実である」かのように書き込まれていたという。
そして、そこには賛同する人物たちの書き込みが溢れていたという。
これは兄のBBSにいた人が、その人の弟さんに頼んでそこのBBSに入り、中の様子を見てきてもらい、ログがもたらされて、分った事だった。
そこにあったのは恐ろしい程の「エコーチェンバー現象」である。
(当時、そんな言葉は知られてすらいなかった。)
兄は、それから程なくして自分のホスト局を畳んだ。
オフラインで会える人限定で週末の集会に切り替えて、会える人だけで座談会やお茶にするだけでいいではないか。と切り替えたのだった。
田舎であるから、学生でもなければみんな免許があり車があった。
尤も、本人の物とは限らない、親の車の場合もあるが。
車があれば、止める場所さえあれば集まれる。
そういう方向に兄は切り替えていった。
その行動の裏にあったのは、顔の見えない「言葉の暴力者」はもう沢山だという気持ちだろう。
顔を突き合わせて、趣味の座談会や茶飲み話をしているときに、「言葉の暴力」を振るえば、その「サロン」から締め出しをくらうだけだ。
だからといって、顔色を窺ってばかりで、おべっかやお世辞、何も言わない人は分るものだ。
そう言う人は、だんだんと「サロン」に誘われなくなる。
熱い弁論、討論はあってもいい。
しかしそれが揚げ足取りや、言葉のナイフだと気が付かない人は、ずっと気が付かない。
そう、向いていない人が一定数いるのだ。
では残った人達はどうなのか。
人が集まれば当然派閥が出来ていくし、力関係が生じていきやすい。
その派閥全体を通して「エコーチェンバー現象」が起こる。
そうして、それは問題行動にもなる。
その結果、兄の元に集まった、いわば「いい人」は数人しか残らなかった。
1時、会員数は500人を超えていた個人ホスト局の仲間は、100分の1になったのであった。
匿名掲示板やSNSには、「エコーチェンバー現象」が必ず起こる。
私は企業がやっているBBS掲示板も通っていたが、インターネット時代になってからは、大きな匿名掲示板には行かなかった。
掲示板は自分のホームページにCGIで作りこんだ無料のコードを埋め込んで、1行メッセージを運用した程度である。
自分のホームページがその当時の古いネットゲーム専用の話題で埋まっていた為、ネットゲームの中で知り合った人との、ちょっとした連絡用だ。
今のようなSNSやLINEなどない時代ゆえに、1行でいいから連絡できる用にしただけである。
「エコーチェンバー現象」の怖さを身をもって知っているからこそ、掲示板には一歩身を引いている。
※「エコーチェンバー現象」について書かれたコラムは、
”気づきを失わせる「エコーチェンバー現象」のリスク”
を検索して読むといいだろうと思われる。良コラムである。
どれほど気を付けても、気をつけすぎという事は無い。
それがSNSでのエコーチェンバー現象の怖さである。
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