第7話 いつからSFは……。

 いつからSFは。



 いくつかの小説サイトを見ていて、思う。


 このサイトでは、私はほぼ読み専だ。

 私の書いている、こう言うエッセイは今の時点では小説の範疇に含めないで置こう。


 読むのはランキングでは選ばない。

 注目の作品とかいうのは題名だけはきちんと見る。場合によっては1話目も見る。

 なぜ注目なのか、1話目くらいは読まないと分からない。レビューも見てはみる。


 新着おすすめレビューとか言うのも、題名だけは見る。

 レビューも1つくらいは。

 あと、作者名をみる。


 全体的にどのジャンルでも題名が長いなと感じたのなら、大抵その作品は読まない。

 長い題名が作品のあらすじの場合は、大体はそうだ。

 長いタイトルでも、そのタイトルに意味がある場合はちゃんと紹介文を読み、1話目は読む。

 フォローしてる誰かが、お勧めしている物はタイトルには目を瞑る事は多々あり。お勧めしている理由が有る筈だからで、食わず嫌いはいけないなと、1話目を読む。


 1話目だけでは、当然わからないがなんとなく「まともそう」なら、フォローして読み始める。その判断は、まず文体だ。もう一つ、言葉使いだ。


 かなり、乱雑な口語体も多くて顔をしかめることも多々あるが、これがきっと今の高校生から20代の感覚なのだろうと、そこはぐっと堪えて、読み進める。


 ★は関係ない。とはいいつつも、殆どの場合★は100個以下の物だけ、注目する。

 一部例外有り。(読み始める時は★が3桁に届いてなかったのが、その後に300,400になってしまったとかは、その限りでもない。)

 特に注目するのは★30個以下だ。


 よくやるのはタグである程度、検索して紹介文を見ながら、乱読スタイルだ。

 いろんなジャンルに手を出す。(ここのサイトでは、検索は充実していない為に「SN」ほどには上手くはいかない。)


 しかし、ジャンルとしてSFを選び、タグにSFと入っていて、きちんとサイエンス・フィクションになっている作品はたぶん10%以下、たぶんもっと少ない。

 いやその要素が入っているんだよ。と言われても、その要素がなかなか見当たらない……。


 いや、まあそれを言ったらハイファンタジーのほうがより酷い、壊滅的なのだが、それはさておく。





 いつからSFは、ただの劣化ファンタジーになってしまったのだろう。


 『サイエンス・フィクション』というのは、「空想科学」の事だ。


 『スプーキィ(Spooky)・ファンタジー』(薄気味悪い幻想)の略じゃない。

 まして、

 『シリー(Silly)・ファンタジー』(愚か者の幻想)の略じゃないはずだ。

 でも何故か、このシリー・ファンタジーの意味で使ってるんじゃなかろうかと思う事がたびたびあるのだ。


 タグの「SF」は、まず地にしっかりと足がついた『科学的根拠のある設定としての科学』が根底にある筈だ。


 ハードSFが難しいのは判る。

 きちんと最先端の科学を知っていないと、まず書けないので本場とされる米国と英国でも新作を書くのはかなり難しい。


 何故か。

 ハードSFは最先端科学と魔法の「分水嶺」を切り分けないといけない。


 今はどこまで最先端科学で実現可能なのか(科学の領域)、

 それとも何か突拍子もないブレークスルーが無いと不可能なのか(SFの領域である。まさしく空想科学)、

 そもそも不可能なのか(魔法の領域。ここに入ると誰が何と言おうと純然たるファンタジーである。)、

 その見極めも難しいからだが。


 なので、ハードSFよりはもう少し柔軟な方が、書きやすい。

 今一番書きやすいのは、宇宙を舞台にしたスペースオペラ的な物だろう。

或いは、コンピューターの電脳空間(含めたくはないが、VRを含む)か。或いはAIか。

 この2点でも十分SFになるはずなのに、手垢がつきすぎていて駄目なのか。


 電脳空間でありながら、リアルな現代を再現したというなら、そこから一歩進んで電脳空間での現実と、リアルでの違いを何らかの形で科学と電脳で裏打ちしてないと、ただのチート小説になる。


 ログインログアウト出来るしぃ、ステータスウインドウが出て……


 もういい。それはSFじゃない。ただのゲームだ。

 そんな小説にするなら、やりこみ切ったMMOのリプレイでも書いた方が、まだましだ。


 今は逆にそういうのが好まれているのか。


 いや、そもそも書き手には「科学」の事が分かっていないのだろう。

 そして、読み手は、たぶん「もっと分かっていない」から、只の雰囲気でいい。

 とどのつまりは『フレーバー』でいい。

 中身がゲームでいい。そう言う事か。


 電脳空間や主人公の置かれた世界に、文化の退廃や社会構造、機構或いは体制に対する反発(これらすべてがいわゆるパンク要素)や反社会性を、主人公の言動と共に盛り込んで行けるとサイバーパンクが見えてくる。

 こういう「パンク」を作品自体の「主題ではなく」、作中のもう一つの軸に据えたものがサイバーパンクだ。

 そして重要なのは、この時の主人公が只のチンピラ風情で終わったり、ただの悪党で終わったりしてはいけない。

 その「パンク」つまりその作中の社会に対する反抗心があるならば、それを解放したうえでの、結末が無ければ、それは小説ではない。

 結が無い話を書いて、どうする。


 ジャンルで言う「サイバーパンク」すら、たぶんただの雰囲気なんだろう。

 未来っぽい世界か、電脳空間に悪党っぽいのが出て来て「ヒャッハー」とか言うのを出していけば「サイバーパンク」だと勘違いしてる書き手が多すぎる。

 パンクアートがSFに持ち込まれ、それをやりやすい舞台が、電脳空間を含んだ退廃した社会だった、と言う所への理解が全くないままに、「サイバーパンク」タグとは恐れ入る。


 それにディストピアを描いていても、希望の萌芽すら残らずに終われば、読後感の悪さだけが残る。これは、一体何を書きたかったのだ。

 今の「作者も読者も」、そういうのが好みなのか。

 ノワールも構わないが、風味で終るくらいなら、最後は悪党がきっちり破滅か、逆転してのハッピーエンドか。それくらいの割り切りは欲しい。


 さて日本の大都市、特に東京はサイバーパンクの原風景とすら言われているのだ。

 東京の猥雑さと、綺麗な部分と電飾と夜景と、どこか薄気味の悪さと。

 高いテクノロジーが街の隅々にまでいきわたっている等と言うのは、実は極めて稀有。そこに古い文化まで共存している等となると、もはやそれは日本くらいしか無い。

 しかし、急激に都市化が興って発展した中東のドバイとか、今ならアゼルバイジャンとか、お隣の大国などは、本来はこうしたSFを書くのに向いているのだろうが、その社会がそうした「サイバーパンク」を書くのを許していない場合が多々ある。

 イスラム系の国家なら宗教批判は、絶対にできないので、まずパンク要素から社会構造への批判的な部分が大きく欠落するだろう。

 特にお隣の大国は社会構造は元より機構または体制批判が現在の状態を暗に匂わせるだけでも、本当に捕まってしまうからだ。


 しかし、日本で生まれ育ってしまうとそう言う事とは無縁で平和だし、東京の風景はそれが普通なので、それを取り立てて稀有だとは思えないし、思わない。

 ならば、それを空気のように纏った、サイバーとリアルが交錯するSFがよさそうな気はする。

 そこに抑圧された者たちの抵抗とか文化的なカウンターを絡めてサイバーパンクは成立しそうな気はする。


 恐らく、士郎正宗氏の『攻殻機動隊』は、そういう様々雑多な物が詰め込まれた東京に、ある種の閉塞感が漂い始める、そこそこ遠くない近未来を見据えていたのだろう。

 2度の核戦争があったとする空想的な未来の先に、科学技術が最先端に到達し、電脳空間が発達している東京を描いたのだ。

 そこで様々な犯罪が起こるが、それを犯罪者ではなく、取り締まる視点で描いたのは、勿論、日本だからである。銃器が公然と使えるのは警察と自衛隊だけだからである。

 アクションを無理なく起こせるのは、警察側だったからに過ぎない。


 あの原作が1989年の春。

 まだバブル真っ盛りのイケイケ状態だった日本(彼は大阪と神戸)に居て、1988年にはこれを着想、構想出来ていた。というのが、才能なのだろう。

 この作品の初期は設定オタクと言われるほどの、欄外注釈だらけの漫画だったが、読む者にある程度のミリタリーとか科学の知識を要求し、それについていけない人は置いてけぼりである。

 作者は、最低限注釈に知識を置いている。

 彼自身がハードSF愛好家であり、宇宙論や量子力学に興味が強くあってサイバーパンクも取り込んだ作品を1980年代半ばに漫画として描いている。


 翻って、こういう科学の部分を、自分の中できちんと設定として落とし込んだうえで、書いていかないとどこまで行っても、「超便利魔法」と何でも入ってしまう異次元空間アイテムパックみたいな「作者の大好きご都合主義全開チート頼み」は、治らない。

 物語のフレーバーとしての、多少のズルは作者から主人公に贈られる事はあっていいし、それによって主人公の活躍に輝きを添えられるなら、それはいい。

 ただし必要最低限に抑えた、抑制的な物なら。

 乱発したら、もはやそれはフレーバーではない。

 大量の『合成バニラエッセンスだけ』入った恐ろしく甘いソーダ水を飲んでみたいのだろうか?

 私は勿論、そんなものは要らない。


 同じくSFのサブジャンルに、スチームパンクがある。

 サイバーパンクをもじって少し遅れて登場したため、さほど変わらない時期に流行した。

 蒸気機関が広く使われている設定である事が「必須」だ。

 イギリスのヴィクトリア朝時代とか、アメリカの西部開拓時代、日本の明治から大正ロマンの時代。

 その世界観にSF要素と若干のファンタジーを含ませレトロな、時代錯誤というべきテクノロジーを登場させつつも、未来的な技術も投入される。


 よく知られている、セガの「サクラ大戦」とかスクエア・エニックスの「ファイナルファンタジーVI」は、まさしくここに当てはまるスチームパンクだろう。

他にもスタジオジブリの「天空の城ラピュタ」とか、「ハウルの動く城」とか代表的な作品は多くある。

 欧米のコテコテのやつよりは、ずっと親しみやすいし、子供の頃に触れたという人も多いと思う。

 このサブジャンルの特徴的な部分は、ヒストリカルなファッションと文化、建築様式が、こうしたレトロな蒸気機関によるガジェッツやら、蒸気で動く空想機械と絡めて描かれる部分だ。

 これを絵ではなく、文字で書けば一応はスチームパンク小説の筈なのだが。


 しかし、これは相当な勉強が必要である。

自分が注目している時代、その背景、その時代の一般的な技術、そして文化、建築様式、そこでの人々の暮らし。

 そういったものを勉強なしに書ける人は、誰もいない。


 何れにしても、その設定にきちんと何かの「科学」がないといけない。

 その「科学」を感じさせないSFって一体、何だろう。


 これじゃ、70年代のスペースオペラの方が、まだ空想科学だった。

 スペースオペラはSFじゃないと怒った人達が見たら、今の惨状をどう言い表すのだろう……。


 でも。現在見た処、科学は無い。

 あるのは、アニメやゲームの設定から持ってきたような、「何か」があるだけだ。


 SFは最早、そのジャンルの枠組みが溶けてしまったのだろうか。


 なにか未来っぽい要素や電子機械や電脳を入れただけでSFをタグに入れる程度には、安っぽいフレーバーになってしまったのか。

 しかもそれが「魔法」と一緒に記述される、このカオス。

 それはサイバーパンクやハイファンタジーやハードボイルドと同じく。

 この3つも、元の意味をきちんと知って書いていらっしゃる作者の方は1%いるかどうか、という位、枠組みは溶けてしまっているが。


 とくにハイファンタジーは悲惨だ。

 元の意味を分かってつけている方は、ほとんどいないといってよいくらい、隠れた、埋もれた所にいらっしゃる。

 どのサイトでも運営と編集は、こう言ったことに対して基本放置だから、ジャンル分け用のタグは、作者の主観。


 つまり作者にはきちんとそのジャンルに対する「基本知識」が必要である。


 しかし、現実はそうなっていない。

 要するに、今のこういうライトノベルの集合体にきちんとしたジャンルの枠組みを求めるほうが、どうかしているのか。


 しかし、大衆文芸だからと言って、先人の作って行った線引きの意味を出鱈目に変える事が、先に進む進化やレボリューションだとは思わない。


 私は、がちがちの教条主義者じゃないから、読み手として柔軟なつもりだ。

 SFで異世界に転移しようと構わないし、過去に行って冒険しつつ時代を行ったり来たりでも、良いと思うし、ゲームの世界でSF要素でもいいと思う。


 しかし、ある程度の限度はある。

 SFであるならば、サイエンス・フィクションであるべきだ。


 き ち ん と し た 科 学 の 要 素 は 必 要 だ。


 『シリー・ファンタジー』じゃないのだ。

  今はびこっているのは、せいぜい『サイエンティフィックスタイル・ファンタジー』(S(s)F:科学(風)・幻想)とでも言えばいいのか。


 ジャンルに対して敬意は払うべきだとは思う。

 そのうえで枠を破るなら破る挑戦をするべきなんじゃないかと思う。


 物書きならば。


 <了>

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