精霊王の降臨
精霊王様はこのことを全てご存知だったのだろうか。
多分そうなんだろう。
アレンが主命だというならば。
じゃあ何故自分には教えてもらえなかったの?
そんな疑問が鎌首をもたげてくる。
神殿を抜け出したあの時から、水の精霊王はどんなに問いかけをしても応じてくれなかった。
これまでどんな時でも返事送れたというわけではないから、今は忙しいのだろうとライラは自分を納得させていたけど。
これはどうにもおかしい。
「アレン、どうしてあなただけに主は語りかけているの?」
「俺だけ? いや、何か間違ってるぞ。精霊王様はこの数日、俺にも何も返事を返してくださらない」
「……え?」
「本当のことだよ。お前はどうなんだ?」
「私も、そう。同じよ、だからあなたにだけ神託を下されているのかとばかり思っていた」
「それは間違いだ、と、いうことは……?」
「私たち二人が精霊王様の機嫌を損ねたか、もしくは」
はっと気づき、二人はその部屋を駆け出るとあわてて、礼拝堂……村人の多くが待っているその場に舞い戻る。
自分たちの主は返事をしなかったのではなく。
ただずっと、側にいて見守っていてくれたのだと気づいたからだ。
その人物。
彼こそが、精霊王だと確信に至るまで、そう時間はかからなかった。
「あなたがそうなのですか」
「おや、何の話でしょうか?」
戻ってみると、リー騎士長に率いられた神殿騎士たちや、農作業に出ていたはずの村人たち。神殿騎士たちによって保護されたという、まだまだ幼い子供達。
それが一堂に集まっていた。
場の中心にいるのは彼で、精霊王に会ったことがないはずのリー騎士長ですら、恭し気に頭を垂れて挨拶をしている。
何ていうことなんだろう。
騙されること二回目。
神様という存在は好きなように、自在に姿を変えられるから全くもって判別がつかない。
してやられた。
そんな気分だった。
「……ゼフト神官。いったい、いつから精霊王様とその場所を交換したのさ?」
「アレン。私は私だよ。一番最初から、私さ」
「おいおい、それなら俺たちは。俺とライラが村をでた頃からずっといてくれたってのか」
「そういうことになるかもしれないね。高原オオカミどもの話が出ていたが、あいつらはどうにも執念深い。頭の賢いし、信ずる神を持たないだけ、たちが悪い。どこかの神の信徒なら、まだ忠告も出来たが……我が信徒の村人たちから犠牲者が出ないようにするために、いろいろと心を砕いたものだ」
心を砕いたって。
そのやり方はどう考えても賛成できない。
ライラはそうぼやいていた。
守って下さったのは嬉しいけど、それならそれでもっと早く、アレンや自分に教えて欲しかった。
そうすればいろんな善後策が取れたはずなのに。
聖女と剣聖は主の前に膝をつく。
しかし、彼はその必要はないと言い二人を立ち上がらせようとするが、従ったのはアレンだけだった。
「不満かな、我が聖女殿」
「……いいえ。あったとしても口にすることは許されませんから……」
「十年の後に聖女を解放したいと言い出したのはお前だよ、ライラ?」
「分かっております、我が主。そのことについて、何も不満はございません」
「しかし、村人たちの扱いに関しては……そうでもない、と?」
ふう、と大きなため息が出る。
アレンがおい、とたしなめるがライラはそれを無視した。
不満?
もちろん、大いに不満ですとも!
尾が驚いた時とは真逆の膨れ具合を見せている。
不機嫌に下向きに垂れてしまい、まるでそこだけ別の重力が働いているかのように床にぺたりとくっついていた。
その姿は獲物を捉えてこれから仕留めようとする狼そのもので。
黒と狼のまだら模様をもつしなやかなその肉体からくりだされる牙と爪先を交わせる相手はどれほどいるだろうか。
ライラのそれを見て、アレンはもし夫婦になっても喧嘩はするまい、と心に誓っていた。
「神の御心がどうあれ、もっといい方法はなかったのですか!」
聖女の叫びは悲痛な狼の咆哮となって辺りを侵食する。
誰しもが心に痛みを覚え、彼女の悲しみを共有するかのように、鈍い痛みを胸内に抱えた。
だが、相手は神だ。
ライラの無意識のそれも簡単には届かない。
もっとも、彼女に攻撃する意思はなかっただろうけれど。
「神の御心というのは至極、都合のいいものでな、ライラ」
「はい」
「私はなるべくこの王国に添うようにやってきた。人の世の理を守りながら、世界からすればちっぽけな結界のなかでだが……それでもお前の言うやりようをすれば、それは誰の得になる?」
「得って! それは神々が未来を見据えて行われるものでは?」
人も魔も獣人もしょせんはこの世に生きる存在。
世界を越えた支配者である神や魔王に立ち向かうこともできなければ、そうしたとしてもいずれどこかで修正されるもの。
ライラはそう考えていた。
自分はその駒として生きなければならないと。
でもそうなると――いま、こうして異論を唱えている自分はなんなのだろうと矛盾に行き当たる。
いったい、誰のための結界なの。
誰のための……王国なの。
「誰のためのものでもないな」
「心を……読まれましたね」
「少し、な。そういう意味ではライラ、お前の願いを聞き入れたときからこの異常は始まったと言ってもおかしくはないかもしれない。そう言えば、お前は悔いて死でも選ぶのか?」
「――っ!」
「アレンが言った通り、この国はかつてアルフライラと呼ばれていた。結界などなく、蒼狼族の王が統治していた。しかしまあ、なんというか……イブリースのやつはいろいろと先を考えすぎたというか」
イブリース?
そう呼ばれて、蒼い毛並みの青年がこちらを向く。
だけど、ライラには彼を呼んだのではないと理解する。
古い伝説の英雄の名前だ。
イブリース。賢者イブリース……蒼狼族の英雄にして、人間だった男。
魔王の制約から一族を解放し、この地に導いた魔導王。
そして、魔王と戦った男。南の大陸の蒼狼族の魔王に……打ち勝った英雄。けれど、一族は散りぢりになりライラたちの祖先はこのレブナス王国に辿り着いたという伝説。
「あれにはいくつか嘘がある」
「は? どういう意味でしょうか。我らの祖先は流れに流れて、ここにやって来たと」
「流民も数多くいたが、正確にはこの地を支配していた勢力から解放した。しかし、彼らの多くは普通の生活を望み、結界を張ることになる。まあ、その間には数世紀のときの流れがあるから、気にしなくてもいい。私がそれを当時の人間の国王から委託され、受任した。その時には、すでに蒼狼族の力はほぼ失われていた」
「では……祖先たちが自ら望んで、そうした、と」
「正しい歴史を語るなら、その通りだ。ついでに、私はここに赴任させられた側だぞ?」
「えーっと……赴任、とは」
今ひとつ理解が及ばない。
赴任とはどういうことだろう、とライラは考える。
まるでその世界における貴族や代官の赴任とそっくりはないかと思ってしまった。
「神の世にも政府のようなものがあってな。あるようでないないようである。その中核を担っていたのが……まあこれはいい。とにかく若い頃の私が最初に任されたのはこの王国。そのままずっとここに暮らして約千年。聖女に結界を維持する方法を任せるやり方も、色々と問題がある。どうしようかと悩んでいたら、解決の糸口をくれたのはお前だった」
「……はい? そんなことあるはずが……神々は全てを見通しておられると……」
「人間の目から見ればそう見えるかもしれないが、何もかも完璧に行えるはずがない。そんなことができるなら、あの可哀想な聖女だって救ってやることができた。そうだろう、アレン? いや、黒影の剣聖と呼ぶべきか」
「あ、はい。我が主」
神でも万能じゃない。
もうそれしか方法がなかったと言われたら、最高責任者がそう決めたのだから誰も逆らうことはできない。
むしろこれからどうするのかを知りたくて。
ライラはそちらの方に興味を持ち始めていた。
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