奪われる真実
「……離れてください」
「あ、ああ」
思ってもいない一言が口を突いて出た。
このまま甘い時間を過ごせばそれでもっと自分は幸せになれるのに、どうしてそうしないの。
心のなかでもう一人の自分はそう不満を募らせる。
聖女としての自分と少女としての自分が、胸の内で対立していた。
色々と口論してようやく聖女としての自分にもうひとりの自分は渋々と勝利を譲った。
「彼の不安をまだ決めていなから、ね?」
「彼?」
「あの人よ、バルド。彼がとても悲しそうに返事を求めていたよね。それをないがしろにして私たちだけこんなことするなんて、アレンはどう思う?」
「……確かに。よくないな……」
「これの続きは、続きは……」
続きは。なんだろう。
誰もいないところで? 人のいない誰にも知られない場所で?
たった二人きりで? そこから何をどうするの?
無数の感情が、疑問符を付けて心の底から湧き上がってくる。
女としての理性をどっかにすっ飛ばしておいてきたような恋愛の感情が明らかに理性をおしていた。
押し切られてしまったらどうなるんだろう。
そんな将来への不安を考えながら、ライラは彼は否定しているのではないと分からせるように、ゆっくりと体を離した。
距離を取りソファーに座り、村人たちの話をしようと彼に誘いかける。
「……続きは村人たちの話を」
「分かった。とりあえず子供達を外に売るという話はしない。しないと言うかそういった行為を二度と行わせない。お前が戻ってくれたらやりようはいくらでもある」
「やりよう? その意味が分からないわ」
「俺たち二人が揃えば、精霊王様の奇跡に近い行為もなすことができると、そういう意味だよ」
「つまり、結界の質を変えると。そういうこと?」
「子供の頃から魔族としての力を抑えなくてもいい。そういう風にすれば、誰も得る必要はない」
「そんな力……待って、アレン。その力は本当に必要なの? ようやく見つけることもできた安住の地から、またどこかに追い払われていくようなそんな未来を考えてしまう」
「土地はここでなくても、世界にはどこにでもある。結界の外に広がる、大森林だって開墾すれば住むこともできる。その為に必要な労力として今のままの村人たちではどうやっても時間がかかる。最低でも俺たちの子供の世代にならなきゃ、ずっと住んでいける土地を手に入れるのは不可能だ」
「ちょっと待ってね。少しだけ考えさせて」
「ああ」
戻ってきた返事がこれだとは思わなかった。
魔族の力。
それを祖先が捨てたことはなぜなのか。
また取り戻す必要がどこにあるのか。結界の中だけでのんびりと過ごせばそれでいいじゃない。
人の王国も国を守る結界のさらに外に住む魔族たちがどれほど恐ろしい存在か、彼は理解していない。
思わず、自分が撃退してきた魔族の数々をライラは思い出す。
魔族と人はよく似ている。
戦う力とか魔法の大きさとかそういったものは別として。
利用できるものを利用し新しいものに興味を持ち、そして自分たちの住むために生活のために贅沢のために……他の弱い種族を利用してでもそれを得ようとするところ。
「数百年っていう歴史は、私たちから魔族として生きる本能を失わせてしまった気がする。私たちは農民として、土地を耕しその場所共に長く生きてくるという生活に慣れてしまってるんじゃない?」
「新しい土地を手に入れればそこに慣れるのも同じだよ」
「そんな簡単なものじゃないよ、アレン。新しい場所に行けば必ず新しい何かがそこにはいるんだから。あなたは結界の向こうにいる魔族の恐ろしさを知らない。いくらあなたが私が強くても、村人たちが昔の力を取り戻したとしても、それはほぼ一部だけ。大勢の村人は今のまま何も変わることができない。彼ら全員を守ることなんて、私たちにできると考えるのは……それは傲慢だと思う」
「……魔王を退ける程度には俺は強いんだが、な」
「え? どういう意味?」
「三年前に村に戻ってきたそのちょっと前に、村に戻って静かに暮らそうと思わせてくれた。あることがあったんだ」
「またなぞかけなの?」
「いやそんなつもりはない。言っても信じてもらえるか怪しかったから」
「あなたの言葉を信じることができなくなったらこの村を出て行くわ」
「……なんだか怖い表現だぞ? これは本当の話だが、数年前にいろんな国や種族が加わった聖戦が終わった。魔族と竜と、獣人と人と、妖精や精霊とが混じり合って戦ってきた大戦争が終わったんだ」
「そのくらい知っているわよ。このレブナスという王国は水の精霊様の結界に行って外界と隔絶された王国ではあるけど、それでもまだ外の世界と繋がってることは繋がってるから」
「俺は聖戦で勇者たちに参加していた。負けたけどな……」
言われて思い出すのは炎の女神の聖女が魔王によって撲殺されたという、風の噂。
ライラが婚約を破棄した王国の王子アスランとシュナイダル公爵家令嬢ハンナ。いまは王太子妃だが、その二人の結婚式で、トランダム王国の当代の聖女ヘザーが悲し気に伝えていたのを思いだす。
ついでに王太子アスランのあの嫌味な顔も思い出して、心に疲れを覚えた。
余計なことを思い出した。
尾が不機嫌な揺れ方をしていて、それを見たアレンは不思議そうな顔をする。
「勝ち負けは誰でもあるでしょ。魔王陛下には勇者様だって勝てなかったっていう噂だし。剣聖を名乗っていなくてよかったわね」
「嫌味かよ、おい」
「自慢話にしか聞こえないからよ。勝ち負けなんて関係ないでしょ、あなたは今生きてここにいるんだから。私にはそれが一番嬉しい」
「あーああ。俺もそれが聞けてありがたい」
「それであなたの強さなんてどうでもいいの。村人たちが新しい人生を強いることが問題だと言ってるの」
「だがこの土地には」
「ここの結果については私が、きちんと精霊王様とお話をする。ちゃんとするから、それまで待って。それと、彼にはきちんと伝えてあげて。もう聞いているかもしれないけれど、二度と奴隷売買はしない、と。そうここで約束して、ね? お願い」
「だが、ライラ。それは……主の御心でもあるんだ」
「は?」
主の御心?
つまり精霊王様が彼に命じてやらしていたとそういうこと?
「ついでにこの国の本当名前を知っているか?」
「え……本当って何が?」
「レブナス王国の元の名は……いや、いまの王国の領土とティトの大森林の一部を含む、古い存在だったんだ。その国の名は、アルフライラ。意味がわかるか? 元々それらの国の領土は、俺達、蒼狼族の祖先が持っていた土地だった。お前は知らないかもしれないな」
「それは本当の話? これでも大神殿にいた頃から遥かな古代の歴史まで色々と勉強したのに。アルフライラ何て名前はこの村以外には出てきたことがないわ」
「遥かな古代と言っても、よくて千年前だろう?」
「それはそうだけど」
「この国がアルフライラと呼ばれていたのはもう二千年以上昔の話だよ。その当時、いやもっと昔にここには大森林なんてなかった。移動してきたんだ、侵食されたと言ってもいい。遥かな北の方角からな」
「それも含めて全部古い話。昔の栄光なんてどうでもいいとは思わない? 私たちに与えられた責務は、過去の栄光を取り戻すことなんかじゃない。あなたは英雄になりたいかもしれないけど、私はそんなものに興味がない。魔族と戦いたいとも思わない、王国と戦争したいとも思わない。ただ、この村のみんなが幸せになれる方法を考えたい」
「その王国は数ヶ月前に結界の外の魔族の国々と同盟を結んだじゃないか」
「それはそうだけど。だからどうしたって言うのよ」
アレンは何も知らないのかと悲しげに言い、不審な顔をするライラに一言付け加えた。
「奴隷を欲しがってるのは今度は王国じゃない。王国の下で商いをしている奴隷商人達が俺たちの子供たちを寄りかかっている先。魔族の子供を欲しがっているのは……南の大陸にある蒼狼族の魔王たちだ。戦わなければ子供達は無理やりにでも奪われていくぞ」
「そんな」
結局、暴力による暴力の悲しみの連鎖は止めることができないのか。
聖女は思考が止まってしまって、ぐっと喉元になにか重たいものが詰まった。そんな感覚に追いやられた。
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