誓約

 ふと気が付くと、そこは見覚えのある天井……安っぽいそれは油の灯りで薄ぼんやりとなめし革の奇妙な紋様を照らし出していた。

 ライラは寝起きのはっきりとしない意識の中で、ああ夢だったんだと気づくと背を預けていた馬車の壁から上半身を離して背筋を伸ばす。


 獣人は人間よりも体力的に強いといわれているけど……この振動はきついわ。腰が痛い。背中も張ってるし、まだつかないのね。

 そう思い鈍く痛む首筋を片手でさする。

 対面には自分より背丈のあるリー騎士長が狭い車内を更に狭く感じさせるほど大きな身体を縮めて、窮屈そうに目を閉じていた。


「あれから二日、か。まだ着かないのね……」


 ここはどのあたりだろう?

 王国の北部に故郷の村はあるが、そこまでは四日はかかる距離だと聞いていた。

 空に浮かぶ三連の月の並びと窓向こうに見える人工の灯りが大体の場所を教えてくれた。


「明後日の朝、ですかな。早くてですが」

「リー騎士長。起きていたのですか?」

「つい習性でしてな、熟睡するということが出来ない体質になりました。武人とは因果なものだ」

「起こしてしまったのかと……」

「お気になさらずに。いつでもどこでも即時に動けるようにしておくのが、自分の仕事ですから。ところで、聖女様。何か故郷に戻りたくない理由でも?」

「え、何故??」

「あなたは故郷の村に近づくたびに残る距離を数えていますが、その都度、どうも悲しそうな顔をされますからな。何か戻りづらい事情でもあるのかと」


 困ったなあ、そんな心情を表すかのようにライラは偽りの笑顔を浮かべてはにかんでみせた。

 普段通りにあまり感情を表に出さない物静かな聖女を演じているつもりだったのに、リー騎士長には何もかも見透かされているようで嘘は通じないように思える。

 でも語っていいものなのかな、言わなくても村に着けば全部知られてしまうけど。

 とても……言いづらい。

 そんなライラの頭上にある二つの狼の耳は主の機嫌を如実に表していて後ろに少しばかり垂れてしまっている。

 リー騎士長はそれを見て、いつもライラの機嫌を察するバロメーターにしているのだが、まだ気づかれていないようだと思い、ライラの返事を静かに待っていた。

 やがてライラは思いを決めたのか、おずおずと悩みを語りだす。


「……もしかしたら、そう、もしかしたら……待たせている相手がいるのです」

「うん? 待たせている? それは男性ということでよろしいでしょうか?」

「そう、ですね。はい、男性です。それも同じ蒼狼族の……幼馴染」

「では村を出た時から会ってない? それともたまに神殿や城塞都市に行商のついでにやってきた同族の男性の誰かですか?」

「村を――出てから一度も会っていません」

「では、手紙や魔導での対面の会話は?」

「……していません」

「それなのに待っているという確証がある、と? 不思議な話ですな。何か約束でもなさいましたか?」

「――っ? ええ、はい。そうですね……私はどうしようもない悪女です」

「悪女とはまた聞き覚えのよくない言葉ですな。何をしてそう言うのですか? 待たせているというその状況ですか?」


 ライラは話している間にもその相手のことを思い出し、罪悪感を募らせたのだろう。十年近い付き合いのあるリー騎士長でさえもこれまで見たことがない、悲痛な面持ちをしていた。


「これは困りましたな、聖女様。男女の仲のことは、このリーにはなかなか難しいですよ」

「それは何故……?」

「自分は戦争は得意ですが、家庭のことは去っていった妻に任せきりだった。ああ、こう見えても結婚していたのですよ。若い頃ですがね。だから、こうしろああしろとは言えないのです。失敗した人間ですから」

「まあ。それは知りませんでした。お子様は?」

「幸いにもいません。両親がそれぞれの都合で離婚することほど、子供に申し訳ないことはないですからな。まあ、自分のことはさておき、待たせているというなら約束したということでしょう? 幼い頃の約束を覚えているものかな……あれからほぼ十年。相手も二十歳に近ければ、成人して妻をもらっていてもおかしくない」


 ピクリとライラの肩がはねた。

 リー騎士長の妻をもらっている、その一言に反応したらしい。相手はどうあれ、ライラはまだ彼のことを何かしら気にかけているようだった。そして罪悪感も、持ち合わせているようだとリー騎士長は思った。


「結婚してくれているなら、それでもいいのです。でも、彼は誓約を立てていて、それを破ったとなった時の罰は私に欲しいのです。身代わりになりたい」

「ですが、相手が決めたことでしょう? 誰に誓約を立てたというのですか? 国王陛下にでも誓いを立てたような言い方ですね。まるで誓いを破った時には重い罰が与えられることが決まっているような口ぶりだ」

「ええ……主に、その。私が十年で死に、蘇生した後に殿下の側室になるという約束をしましたから。その間、自分も孤独になり、私の苦しみを半分……引き受ける、と」

「そう誓ったということですか? しかし、それは難しいなあ。例え精霊王様に誓約をしていなくても、幼い子供の勢いということもある。それに、あの村で精霊王様の怒りに触れたという話は……うーん。大神官様からも耳にしておりませんな。心配ですか?」

「はい。とても――心配です」

「そうですか」


 王都を出る前からの心ここにあらずといった感じの正体はそれだったのか。

 リー騎士長はどう返事をしたものかと、考えあぐねていた。

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