(9)



「やっぱりここの図書室はいい本ばっかり置いてあったなぁ」


放課後、私は図書室で借りた本を抱えて歩いていた。本当はアドリエンヌと行きたかったのだが、彼女は上流貴族のご令嬢方にもで開催されるお茶会に出席しなければならないらしく、仕方なく1人で図書館に来たのだ。

上流貴族というものは大変だな、なんて思う。もちろんそれが好きで積極的に開催するご令嬢もいるが。


(うちが上流貴族じゃなくてほんとよかった)


どこかしらで開催されるそういう催し物(ダンスパーティーやらティーパーティーやら)に出席しないと威厳が保てないとかなんとか。だから私はそこまで厳しく縛られない今の身分がとても身の丈に合っているのだと実感した。


「それよりも早く帰って読まなくちゃ」


図書室はとても広く、王都にある王立図書館よりは少し小さいが、それでも十分過ぎるほどの蔵書数らしい。それを読み切ることはとてもじゃないができない。しかし少しでも知識を得て早く上級魔法まで使えるようになりたいので、私は図書館に通うことに決めたのだった。

今日借りた本はまだ基本中の基本。しかし基本はとても大切だ。ゲームの主要人物たちは魔力が高く、1年目の時点で使える魔法の種類がモブよりも多い。設定上仕方のないこととはいえ、なんだかそれはとても悔しいので少しでも魔力を上げなければならない。


「えっと、中庭を突っ切った方が寮まで近いのよね、うん」


頭の中で地図を思い浮かべ、寮までの簡単なルートを検索する。乙女ゲームでよくあるシーンだけどさすがに私では起こらないだろうと茂みを突っ切った瞬間、木の幹に寄りかかって座るラルフと目が合ってしまった。


「うげっ」


思わず出てしまった言葉は聞かれていないことを願うしかない。とりあえず何もなかったかの如く、くるりと体を反転させて戻ろうとしたがそれよりも早く『おい』と声をかけられてしまった。無視すればいいのに思わず止まった自分に頭を抱えたい。


「カーラ・マルサス」

「……はい?」


ラルフとはクラスが同じ。シルヴィアとは別クラスなのだが、教室以外で高感度を上げていく人物なので特段問題はない。しかしながら私が話して万が一仲良くなってしまったら(基本シルヴィア以外には心を開かない設定)ラルフルートが消えかねないと思ったので彼から逃げていた。それなのに、だ。まさかここでラルフと出会してしまうなんて……どんだけ運がないんだ。


「お前に聞きたいことがある」

「私に答えられるようなことはなにも……」

「お前について教えろ」


予想外の言葉に、私は抱えていた本を落とすところだった。私について知ってどうするというのか。まさかレジスタンスに情報を流して私を誘拐……なんてあるわけがないか。そもそも彼はレジスタンスのリーダーの息子だし、それに誘拐されるの私ではなくシルヴィアなのだ。私が誘拐されたところでなんの意味も価値もないのだから。


「私について知ってどうするんですか」

「別に。ただ知りたいだけだ」

「だから、どうして?」

「どうして……」


彼は自分でも分かっていないのか、私の言葉を反芻させて首を捻る。どうやら答えは出なさそうなのでここで立ち去ろうと足を動かしたと同時にラルフが口を開いた。


「理由はわからないが、お前は俺に教えることになる」

「それはどうしてですか?」

「子供の頃、お前を助けたことがあっただろ」


その言葉にあの日の出来事を思い返した。子供のころのラルフが見たくて路地裏に入った私を誘拐しようとした男から助けてくれたのが、その子供ラルフだった。それが一体どうしたというのか。


「あの日、お前はいつかお礼をすると言っていたな?」

「え?」


そんなこと言ったっけ、とあの日のことを思い返すが全く思い出せない。きっとレオンをその場から離れさせるのに精一杯だったから。しかしここで『覚えてないもんね!』なんて言ってこの場から逃げようものなら私の僅かに残った良心が痛むことだろう。


「……わかりました。少しだけなら付き合います」


諦めた私は嘆息しつつ彼に従うことにした。ラルフは満足したのか頷いて自分の隣をぽんぽんと叩く。これはもしかしなくてもここに座れということだろうか。一瞬悩みはしたが、ここで渋ってもまた面倒なことになりそうなので大人しく座り込んだ。


「まず、お前の家族について教えてくれ」

「家族、ですか?」


家族構成なんて知ってどうするのかと身構える。もしかしたら私の情報をレジスタンスに……って、これじゃさっきと一緒じゃない。堂々巡りになりそうだったのでもう何も考えないことにした。


「お父様、お母様、そして弟がいます。お祖父様とお祖母様とは離れて暮らしていますが、距離は遠くないのでたまに遊びに行ったりするんですよ」

「ふーん。じゃあ好きな食べ物は?」

「えっと、甘いお菓子とか好きです。最近はあまり食べておりませんけど。あと知り合いが焼いたライ麦パンとか……」

「嫌いな食べ物は?」

「嫌いというか苦手な食べ物でしたら辛いものが苦手です」


その後もラルフは矢継ぎ早に質問を繰り返し、それに答えるというなんとも不思議な時間を過ごしていた。ある程度答えたところで、彼は私の足に載せていた魔導書へと目を向けた。


「それは?」

「あ、これは図書館から借りた魔導書です」

「なんのために?」

「私はラルフと違って魔法を使いこなせないので少しでも勉強をしようと」


タイトルは『基礎中の基礎! 魔力を使いこなせ!』というもの。もちろん分かっている。胡散臭いと。でも内容をチラ見した限りでは大丈夫そうだった、うん。


ラルフは何かを考え込む仕草をしたのち、人差し指を立てた。すると次の瞬間、指先から小さな炎が出て来た。


「わっ! びっくりした!」


ラルフが作り出した炎はじんわりと暖かい。そよ風ぐらいなら出せるのだが、彼の炎はだんだんと大きくなっていた。指先から掌になり、炎も火球へと……。


(って、待って待って待って!)


どこまで彼は大きくするつもりなのだろうか。掌に収まりきらなくなろうとしていた時、私は咄嗟に彼の手首を掴んだ。その瞬間手に厚さを感じたがそれどころではなかった。


「だめ! 止めて!」

「なぜだ?」

「危ないから!」


ここは草木が生茂る中庭だ。冬とは違って乾燥していないからといって燃え移る危険性はないわけではない。ラルフは切れ長の目を瞬かせ、そして火球を消したのだった。


「ふう」

「……すまない」

「え?」

「俺はどうやらそういう感覚に疎いようだ」


彼の言葉に“設定”を思い出す。幼い頃からレジスタンスの一員として育てられたラルフは、感情を押し殺して生活を強いられていたせいで“感情”というものがなかった。いや、正式には感情を己の中に封印していた。それを引き出すのがシルヴィアの役目と言っても過言ではない。しかし目の前にいるラルフを見ていると、胸がつかえたようなそんな気分になった。


「ラルフ、あの……」


何か言おうと口を開いたのだが、その途中で彼が私の手に視線を向けた。そして、先ほどの私と同じように手を掴んできた。


「お前、これ」

「え? あぁ、少し赤くなってるだけですよ」


意識がそこにいくとズキズキと痛み出した。赤くなっただけ、というのは嘘。火傷をしてしまったのだろう。しかしラルフには心配をかけたくはなかった。だから私は嘘をつく。


「……今まで、なんとも思わなかったのに」


ぽつり、ラルフが何かを呟く。聞き取れなかったが、聞き返すこともしなかった。聞き返したところで教えてくれないと直感的に思ったから。


「すまない、カーラ・マルサス」

「いいえ、大丈夫ですよ」

「今度は俺がお前にお詫びをする」

「へ?」


何かを決意したような、そんな目をしたラルフに困惑する。大丈夫だと言っているのだから気にしないでほしい。しかし私が声にするよりも早く、彼が立ち上がった。それに釣られて私も立ち上がる。


「寮の入り口まで送る」

「いえ、そんな……」

「送らせろ」


有無を言わせぬその声音に開いた口を閉じる。ラルフは些か頑固な面があるようだ。ならば大人しく従うのがいいだろう。私は彼のお言葉に甘えることにして、寮まで送ってもらうことにした。

治療魔法が得意なアドリエンヌに治療されながら怒られるとは、この時の私は知る由もなかったのである。

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