一人対六十万 絶対強者と人海戦術
武州人也
ソロアーミーと物量作戦
広大な平野に、青と金の鎧をまとった青年が一人。緋のマントは風にそよぎ、剣は陽の光を受けてきらきらと輝いている。
その視線の向こう側には、雲霞の如き大軍が左右に翼を張る形で陣を組んでいた。
***
青年は、勇者と呼ばれる男である。冒険者という無頼稼業に従事しながら、己の身一つ剣一つで数々の偉業を成し遂げた強者だ。
しかしその栄華は思わぬところで暗転を始める。その発端は女のことであった。
勇者と関係した女の中に、やんごとなき身分の女がいた。東方の大国である
如何に名声ある勇者といえど、所詮は下賤な冒険者。官位のない流れ者に皇帝の血を引く者が孕まされたとあっては一大事である。だが姚は断固出産の決意を曲げなかった。
騒動の中、この件を利用しようと画策した者がいた。その者こそ晋国皇帝である。姚の祖父だ。
皇帝は孫娘と勇者に婚姻を結ばせ、官位を授けて廷臣にしようとしたのである。晋は長らく北方民族との小競り合いを続けており、勇者の圧倒的な武力を戦争のために使おうとしたのであろう。
皇帝は文を持たせた使者を勇者の泊まる旅館に急行させ、宮中に勇者を召し出そうとした。
しかし、勇者は書簡を斜め読みするや否やこれを放り投げてしまった。たとい断るにしても、この態度は無礼極まるものだ。礼知らずな流れ者に憤慨した使者は皇帝の元へ馳せ戻ると、
「かの者は他国へ走るようです。その前に殺してしまうように」
と
皇帝は烈火の如くに
その動きを姚は察知した。姚は勇者を救うべく、孕み腹を抱えて馬車に乗り込み、勇者のところへと急行した。勇者を連れて国外へ逃亡しようとしたのである。
ところが姚は勇者の泊まる旅館で、彼が大勢の女性を傍らに侍らせているのを見てしまった。箱入り娘の姚は、勇者の女癖の悪さを知らなかった。
姚の中にあった勇者への情は、ここに霧散し果てた。彼女は少しでも勇者を都に留めようと、自身の財力を使って旅館に酒や珍味を山ほど仕入れさせた。思惑通り、勇者は享楽に現を抜かした。その間、大軍の編成が着々と進んでいることも知らずに……
そんなある時、旅館に泊まっていた商人たちが、ひそひそと立ち話をしていた。
「知ってるか、晋が大軍を編成しているらしいぜ」
「北方の蛮族どもとやり合うってことか?」
それを聞いた時、勇者は本能的に危機を覚えた。
――その大軍はもしや、自分に向けられるものではないのか……
勇者とて、数々の死線を潜り抜けてきた男だ。危機察知能力は人並み以上に兼ね備えている。彼は急いで荷物をまとめると、連れてきた女たちに声をかけた。
「すぐにここを発つ」
女たちはただの情婦ではなく、勇者とともに戦う戦友でもあった。勇者は彼女らを伴って、急いで宿を後にし、商人風の装いをしてこっそり都の城壁の外に出ようとした。
ところが、その動きを都の守備隊に察知されてしまった。城門の前を、たちまち戟を持った兵士に塞がれる。勇者は聖剣を抜き、兵士を一思い切り伏せた後、足早に城門を潜り抜けた。ここに、勇者と晋軍による全面戦争の戦端が開かれた。
その頃、すでに晋軍は大方の編成を終えていた。城門での異変の報告が宮中に上がると、ただちに皇帝から将軍へ出撃命令が下された。
車騎将軍
宋豹はまず、足の速い騎兵を先行させた。騎兵はすぐさま勇者一行に追いつき戦闘になった。勇者一行は
晋軍の誇る精鋭の騎兵は強かった。勇者も奮闘したが、勇者の供をする女たちは一人、また一人と騎兵の槍に刺し貫かれていく。勇者に仲間の死を悼む暇を、騎兵部隊は全く与えてくれなかった。
それでもやはり、勇者の力は宋豹が思っていたよりずっと強力であった。後続の部隊が追いすがる前に、勇者は騎兵を蹴散らして再び逃走を始めたのだ。
宋豹の軍は勇者の背を追い続けた。その途中で、大きな川に差し掛かった。
宋豹は川の様子を見て首をひねった。最近大雨が降ったわけでもなく、現在も空は快晴そのものだ。にも関わらず、目の前には濁流がごうごうと音を立てて流れていた。
実はこの濁流、勇者の魔法によるものであった。水魔術で川を増水させ、追ってくる軍隊の足止めをしたのである。
晋軍は勇者の持つ特殊能力……つまり「魔法」と呼ばれるような力について全く知らないというわけではなかった。だがそれはあくまで「奇っ怪な妖術のようなものを使うらしい」という、ぼんやりとした認識に留まっていた。西方からの流れ者にすぎない勇者の能力について正確な情報を掴んでいたとは言い難い。
結局、宋豹の軍は川の増水が収まるまで立往生を余儀なくされ、行軍を大幅に遅らせてしまった。
しかしこの時、趙章、公孫忠、霍弘、田積の四将軍率いる軍がすでに迂回していた。そして谷道を挟む山に伏兵を置き、密かに勇者一行を待ち伏せしていたのである。
その伏兵の潜む谷道を、勇者一行が通った。この頃になるともう勇者は青と金の派手な鎧に身を包んでおり、兵たちにはそれが自分たちの討伐目標であるとすぐに分かった。
伏兵たちは一斉に立ち上がり、弓や弩を構えてひたすら矢の雨を降らせた。頭上に降りしきる猛烈な矢弾には、さしもの勇者一行も手を焼いた。勇者は目の前に炎の壁を作り、自分の身に迫りくる矢を焼き尽くしながら進んでいったが、カバーできる範囲には限界がある。勇者の供をする女たちは、次々と矢弾に倒れていった。伏兵を蹴散らして谷道を抜ける頃になると、勇者は一人ぼっちになっていた。
――犠牲になった者たちのためにも、生きてこの国を出なければ。
そうした決意を胸に秘め、勇者は西へと急いだ。
その間、合流した四将軍の率いる軍は盆地に陣取った。この場所は三つの街道が交差する交通の要所であり、ここを早急に塞いでしまうのは得策といえる。
そこに、勇者がやってきた。もう勇者は大軍を目の前にしても逃げなかった。正面から決戦を挑み、打ち破って進むつもりである。死中に活を求めるとはこのことだ。もたもたしていると、後ろから宋豹の軍がやってくる。時間は晋軍の味方であり、勇者の敵であった。
よく晴れた空の下、一人と四十万の軍が対峙した。
***
勇者は聖剣を手に晋軍へと単身突撃を敢行した。晋軍も黙って見ているわけではない。弓や弩の弦がうなり、無数の矢弾が発射される。さらに並べられた投石機からも石弾が発射され、矢と岩石が空を埋め尽くした。
「はああっ!」
勇者はそれらに向かって、聖剣を薙ぐように振り払った。すると、聖剣の先から眩いばかりの光が放たれ、矢を燃やし、岩石を溶かしてしまった。
今度は槍騎兵が勇者に襲い掛かる。だがそれらも、空から降ってきた炎の球によって焼かれ、一騎として勇者に肉薄するものはなかった。勇者の魔法攻撃だ。仲間を失った怒りによって、勇者の内に眠る魔力は最高潮に達していた。
「奴は化け物か!」
「くそっ囲め!」
戟を持った歩兵が、数をたのみに押し寄せる。しかしこれも騎兵の二の舞となった。炎に焼かれ、多くの兵が倒れ伏した。
聖剣と魔法の力によって、晋軍は多くの被害を出した。だが、何分晋軍には圧倒的な数がある。殺しても殺しても、兵は次々と、波のように押し寄せてくる。絶え間なく兵を繰り出すことで持久戦を挑み、勇者を疲弊させて仕留めようというのだ。
「第一陣、突破されます!」
「ちぃ、
晋軍の前線に、車輪付きの箱のようなものが数名の兵に牽引され送られた。兵士たちは箱の後方に回り込み、何やら作業を始めた。
その奇妙な音は、突然聞こえた。何かの破裂音のような乾いた音。しかし、何かが破裂したにしては、明らかに大きすぎる音であった。当然、勇者がこれまで聞いたことのないような音である。
その音に合わせて、前方から無数の矢が飛んできた。これまで以上に量も、速度も桁違いの矢が一斉に飛来したのである。
勇者は自分の目の前に炎の壁を作り、すんでのところで矢を防いだ。もう少し反応が遅れていたら勇者の体はハリネズミのように矢で貫かれていたであろう。
「な、何だこれは!?」
勇者が驚いたのも無理はない。この晋軍の兵器の正体は「火箭砲」と呼ばれる兵器で、勇者の故郷である西方には伝来していない火薬が使われているのだ。
火箭砲というのは、いってしまえば箱に詰められた矢を火薬の力で飛ばす兵器だ。晋軍が勇者の魔法をよく知らなかったように、勇者もまた、東方の火薬兵器については全く知らなかった。生きてきた世界が、まるで違うのである。
もう一度、火箭砲が火を噴いた。疲弊しきった勇者には、もう魔法を扱うだけの力を振り絞ることができなかった。無数の矢に貫かれた勇者は、聖剣を取り落とし、そのまま膝から崩れ落ちた。
最強無双の勇者は、晋軍の集団戦と火薬技術の前に倒れたのであった。
***
その後、勇者の忘れ形見を産んだ姚は、産後の肥立ちが悪く、じわじわと体力が落ち、そのまま死んでしまった。
残された子は姚の侍女の手で養育されたが、その後に勇者討伐軍の将軍の一人である趙章の養子となった。勇者の血を引く子であるから、将来は武人として大成するやも知れぬ……そういった思惑からのことである。
その子が歴史に名を遺す名将となるのであるが、それはまた別のお話。
一人対六十万 絶対強者と人海戦術 武州人也 @hagachi-hm
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