第2話 初恋の話と二人の愛の巣 その4

    *****


「どうしても勇也君は一人で寝ると言うんですか?」

 一葉さんの入浴タイムが終わり、いざ就寝となった時。ついに俺は最大の問題とたいすることとなった。

 え? 一葉さんがお風呂に入っている時に何をしていたかって? リビングで動画見てくつろいでいたが何か? 浴室から、

「勇也く───ん。覗きに来ないんですかぁ───? 鍵は開いてますよぉ───?」

 なんて声が聞こえたが当然無視したよ。

 ピンク色のセーターを着た芸人の「私のここ、空いてますよ?」みたいなノリで言うなよ。本来なら誰も行かねぇよって突っ込みをする場面だがむしろ逆だ。飛び込みたい衝動を振り払うのに全力を注いだわ。

 俺はこの待機時間だけでなく、お風呂に浸かっていた時も寝室問題について考えたが、この件はどうして世界から争いが無くならないのかを考えるのと同じくらい深く壮大な問題だ。

 俺はグレてない君なので声高に主張して無駄な議論をするのではなく、あくまで冷静にリビングのソファで寝ると宣言した。

「いえ、勇也君は十分グレタ君です。どうしてこんなにふかふかかつ二人が並んで寝てもあまりある大きさのベッドを前にしてソファで寝ると言うのですか? 同棲初日で家庭内別居ですか? 泣きますよ?」

 そして現在。俺と一葉さんはベッドの両端に座って会話をしている。少しでも近づいて話そうものならお風呂上がりでっていてなまめかしさが倍増している一葉さんの魅力にコロッと死んでしまうかもしれないからだ。何が死ぬかは推して知るべし。

「俺だってできればこの明らかに最高品質なベッドで寝たいよ? でもさ、付き合ってない男女がいきなり同じベッドで寝るのはどうかと思うんだよね。いくら一葉さんがよくても俺がダメだ」

「どうしてですか? あっ……わかりました! 私を襲ってしまうのではないかと不安なんですね!? そうなんですね!?」

 なんで襲われるかもしれないことをとした顔で言うんだよ。しかもなんでわざわざずいずいっと近づいて来るんだよ!? 俺は動揺してベッドから転げ落ちた。くそ、地味に痛い。

「勇也君!? 大丈夫ですか!?」

「大丈夫だ……大丈夫だから近づくな。いい匂いがしておかしくなるから」

 一葉さんからかんきつ系の爽やかな香りが漂い、鼻孔をくすぐる。俺が好きな匂いだと知っていて用意したのだろうか。だとしたら孔明顔負けの策士と認めざるを得ないな。シャンプーだけでなくボディソープも統一していると思われるので完璧だ。衝動に身を任せるならこのままぎゅっと抱きしめたいところだ。

「いいんですよ? 抱きしめて、子犬のようにクンカクンカしてくれても。少し恥ずかしいですが、そんな勇也君を私はぎゅってしながらなでなでしてでますから」

「……あなたはエスパーですか?」

「勇也君のことなら何でもお見通しですよ? なんていうのは冗談で。顔に出やすいんですよ、勇也君は」

 マジか! 俺ってばそんなに露骨に顔に出していたか。一葉さんを思い切り抱きしめたいっていうのを我慢していることを、本人に知られるなんて恥ずかしいとかいうレベルじゃないぞ! 俺は簡単に欲望には負けない! 屈しない!

「……わかりました。本当ならぎゅっとしながら眠りにつきたかったところですが諦めます。ですが! やはり勇也君には同じベッドで寝てもらいます。とんもなく寒いリビングで寝れば風邪かぜをひいてしまいますからね。私の手厚い看病を受けたいのなら話は別ですが。あれ、それはそれでありですね……」

 めいもくし、一葉さんの妄想タイムが始まる。最初は険しい顔になるが徐々に口元が緩んでいき、やがてニヘラとだらしない顔へと変わる。美少女が目を閉じて頭の中でどんなストーリーを描けばこういう変化をするのか問いただしたいところではある。

「はぁ……はぁ……はぁ……勇也君、汗かいてますね。私が拭いてあげますよ。だから大人しく服を脱いでください……あぁ、なんて立派な背中……ぴとぉ……」

「妄想の中で服を脱がして身体を寄せるなぁ!」

 俺は思わず叫びながら手刀を優しく頭にたたき込み、妄想の世界にトリップしていた一葉さんを現実世界に引き戻す。あぅ、と可愛い声を出すな。

「もう……いい所だったのに。何をするんですか。ひどいですよ勇也君。罰として一緒に寝ましょう。そうじゃなきゃ許しません」

「……理不尽にもほどがあると思うんだが?」

 だが俺の抗議などそよ風にもならない。頰を膨らませた一葉さんとのにらめっこにかなうはずがない。なぜかって? 可愛いからに決まっているだろう、言わせるなよ。

「……わかった。俺の負けだよ。一緒に寝ればいいんだな? だけど出来る限り距離を取るぞ。寝相はそこまで悪いわけではないし抱き癖もないから大丈夫だと思うが、万が一があったら困るからな」

「私は寝相が悪いし抱き癖ありますけど眠っている時のことなので万が一があっても許してくださいね!」

「その時は容赦なく引き剝がすからそのつもりでな」

「フフッ。そこでベッドから叩き落とす、と言わないところが勇也君の優しさですね。そういうところ、好きですよ」

 なんて、ニコッと笑顔で言われて俺は顔をそむけた。また頰が熱くなるようなことを平気で言う。好きって言葉が軽くないか?

「家族を除けば勇也君だけですよ、私が好きと言うのは。決して軽い言葉ではありませんのでしからず」

 俺の表情は本当にわかりやすいみたいだ。おかげでますます俺の身体からだは熱くなる。これ以上悟られたくなくて俺は半ばやけくそで布団に潜った。男には戦略的撤退をしなければならない時もあるのだ。

「勇也君は先に寝てください。私は髪を乾かしてきますから。それじゃ、おやすみなさい」

「……おやすみ」

 寝室の電気を消して一葉さんは出て行った。俺は必死に目を閉じて夢の中にダイブしようとするが緊張で出来るはずがない。かすかに聞こえるドライヤーの音がやけにうるさく感じられた。それが止まり、気を遣って物音を立てないように一葉さんが戻って来て、ベッドに入ってきた。

 彼女は何も言わず、そのまますぐにわいい寝息を立て始めた。

 俺もそっと目を閉じた。疲れていたのだろう。俺の意識もすぐに黒に染まっていった。


    *****


 俺は一人立っていた。その視線の先には父さんと母さんが。二人の表情はよく見えないがどこか申し訳なさそうにしながら別れの言葉を口にした。

「さよならだ、勇也。達者でな」

「さよなら、ユウ君。元気でね」

 そう言って二人は俺に背を向けて歩き出した。どうして俺をおいてどこかに行ってしまうのか。どうしようもない両親だったけど、それでも俺はこの二人の子供で、家族だ。なら───

「俺も……! 俺も一緒に───!」

 必死に叫びながら後を追う。一人にしないでくれ。家族はずっと一緒にいるものじゃないのか? どうして俺をおいてどこかに行ってしまうんだ。これから俺はどうすればいいんだ!?

 必死に手を伸ばすが届くことはなく、二人は闇の中へと消えていった。

 そこで俺の意識は覚醒した。

「はぁ……はぁ……はぁ……夢、か」

 隣で眠る一葉さんを起こさないように静かに身体を起こして、渇いた喉を潤すためにベッドから出て台所に向かう。

「まったく。なんて夢だよチクショウ……」

 冬だというのに背中にびっしょりと汗をかいていた。パジャマが張り付いて気持ち悪い。このまま布団に入ってまた寝るのは難しいかもな。それ以上に、また同じ夢を見るかもしれないと思うと───

「俺は実の両親に捨てられたんだよな……」

 一葉さんに助けられて、あれよあれよという間にどうせいすることになったが、これは消えることのない紛れもない事実。楽しいこともつらいこともあったけど、それでもこれからもずっと一緒だと思っていた父さんと母さんは俺をおいて遠くに行ってしまった。

「……どうしてだよ。どうして俺も……一緒に連れて行ってくれなかったんだよ、父さん……母さん……」

 膝から力が抜けて地面にへたり込み、大粒の涙が頰を伝う。声を出したら一葉さんを起こしてしまうから、俺は口を両手で押さえて静かに泣いた。

「勇也君……」

 どれくらい泣いていただろうか。うれいを帯びた声色で俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。さっと顔を上げて確認するが、そこには誰も立っていなかった。

「気のせいか……? ハハハ。そうだよな。ぐっすり寝ていた一葉さんが起きてくるはずないよな」

 一日にも満たない間で、一葉さんの存在が俺の中で大きくなりつつあることに思わず自嘲しながら俺は立ち上がった。いつまでもここにいるわけにはいかない。俺は物音を立てないように気を付けながら寝室へと戻ると、そこで俺は不可思議な光景に遭遇した。

「なんで俺が寝ていた方に一葉さんが来ているんだ?」

 確かに一葉さんは反対側で寝ていたはず。それがどうして俺の方に来ているのか? 寝相が悪すぎないか?

「……考えても仕方ないか」

 俺は思考を放棄して布団に潜り、一葉さんが使っていた枕に顔を沈める。爽やかな香りがふわりと漂い、かすかに残るぬくもりに心が洗われていく。

 かなうことなら、この温もりは手放したくない。そんなことを思いながら俺は再び目を閉じた。

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