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席に着き、お冷が運ばれてきて早々に雨郷はたらこスパゲッティを注文する。笑みを浮かべる店員に、俺はドリンクバー、と呟いた。
腕時計を確認すると、既に13時を過ぎていた。昼食は事前に済ませている。俺は不器用な人間だ。人の死体を見たあとすぐに食事などできやしない。
スパゲッティのみを頼んだらしく、ちょびちょびとお冷を飲んでいる雨郷をおいて立ち上がり、ドリンクサーバーの前に移動した。昔は苦手だったアイスコーヒーも、今では好きになった。30を超えて久しい。俺は大人になった。
歩く度に氷がカラカラと音を立てる。かつての俺は、氷を食べるのが好きだった。子どもっぽいと言われて、やめたっけ。
席に戻ると、雨郷はお冷を飲みきってしまったようで、つまらなそうにスマホをいじっていた。その四角形の物体で俺にあのメールを送っていたのだと考えると、不思議だ。俺たちは、お互いのLINEを知らない。雨郷と俺の時間は、6年前から止まったまま。
「煙草、吸わないんですか」
スマホから目を離し、彼女が呟く。そういえば、この店には喫煙ルームが設けられている。まだ煙草を吸える店はあるが、最近はどんどん少なくなってきている。彼女が俺に気をつかってこの店を選んでくれたことは明白だった。
「いつもは吸わないよ。しばらく禁煙していたんだ。でも、今日くらいは許してほしかったな、なんて」
はて、と思う。俺は誰に許されたいのだろう。
「月子、死んじゃいましたね」
「6年も苦しんだんだ。苦しそうな顔じゃなくてよかった」
内海の死に顔は安らかだった。もういつのことだったか思い出せないが、記憶の端に残っている彼女よりも随分と痩せていて弱々しかった。それでも眠っている彼女は、何か重いものから解放されたような、何も心残りのないような、そんな表情を浮かべていた。
「私、ひとりぼっちだ」
空っぽになったお冷のグラスを無感動に見つめながら、彼女はぽつりと呟いた。
「先生は、魚美さんが見つかったことは知っていますよね」
「……うん」
静かに頷く。俺は数日前、夕方のニュースで見覚えのある場所と聞き覚えのある名前を目にした。ムーンタワーの見えるあの公園で、一橋 魚美の白骨遺体が見つかった、と。彼女は6年前からずっと行方不明だった。警察は家出だろう、と言っていたが、まさかすでに死んで、土の下にいただなんて、誰も思わなかったに違いない。
「魚美さんを見つけたの、月子の妹さんらしいですよ」
「え?」
素っ頓狂な声を上げた俺に、雨郷はどうかしましたか?と首を傾げる。少年のような格好をしたあの子は、何も知らない、と言っていた。つん、と猫のように澄ました態度が、今になって俺を苛立たせる。つまり、彼女は俺をおちょくったということだ。
「世海くん、魚美さんと仲良かったからショックだっただろうな」
「そうだったのか」
女の子なのに世海「くん」と呼ぶのか、と思ったが、何故だかそっちの方がしっくりきたので、黙って会話を続ける。
「はい。あの二人、年齢は全然違いますけど、よく似ていたから」
あの二人が似ている?俺は、記憶の中の一橋 魚美を手繰り寄せた。豊かな長い髪と垂れ目の瞳。対して、内海 世海は癖のない短めの黒髪とつり目がちの瞳。俺には共通点が全く見当たらなかった。
「世海くんと魚美さんは、どこか他の人と違うところがあって、人を惹きつける魅力がありました。私、魚美さんも世海くんも大好きだったんです。とっても」
雨郷は、濁った瞳を俺に向けた。どろりとしたその瞳は、海の中によく似ている。
「金村先生。いいえ金魚さん。あなたが人魚を殺したんですね」
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