婚約者とわたし

モカコ ナイト

婚約者ラブ

第1話

 貴族の世界で婚約とは、比較的早い年齢で取り交わされることもまま有ることで、例に漏れず私の婚約も十歳を迎えた年に取り交わされた。


「これが、我が息子カインだ」 

「はじめまして。ロードスター侯爵家嫡男、カインです」

「はじめまして。エヴァーソン伯爵家次女のマリーナです」


 相手は、私の家より格上の侯爵家。しかも嫡男で一人息子のカイン様。と言う事は、私の未来は侯爵夫人と言う破格の婚約。

 カイン様の見た目は、黒いサラサラとしたストレートの髪に、宝石の様な紫の瞳の秀麗な顔立ち。第一王子の側近候補に名を連ね将来有望、見た目も爵位も好条件この上ない事は、当時の私ですら理解出来る事で。


 だから私は頑張りました。カイン様に少しでも気に入れられよう、覚えてもらえるように、自分をアピールしに行ったのだ。


「あとは二人で話すといいよ。父さん達は向こうで大人の話をしているからね。セルマ、あとは頼んだ」

「は、畏まりました。旦那様」


 カイン様のお父様と、私のお父は何やら話があるとの事なので、帰りの時間までは二人で過ごすように言いつけられた。

 残されたのはカイン様と私、それに老執事のセルマ。


「さて、何をしようか……」


 カイン様自身も、いきなり婚約が決まった事を伝えられたのか、戸惑いの混ざった困り顔をうかべた。


「なら、お互いの事を知るためにも時間の限りお話しませんか!?カイン様のお部屋も見たいですし、他のお部屋も!!」


 カイン様の事を少しでも早く、多くを知りたい。はやる心が少々声を大きくしてしまったようで……。

 カイン様の腕を取り、先に行こうと軽くひっぱった。

 途端に、カイン様の私を見る目が険しい物に変化し、私はドキリと胸が跳ね上がる。

 興味ない相手から、やや不快な者を見る目に移ろう。その変化に、早くも婚約期間に暗雲が立ち込めて来たのだと幼いながらに感じたのだ。


「君は…。君は、少し他者との距離の保ち方という物を学ぶべきだね。僕たちは今日が初対面だ。初対面からその様に声を大きくして話されたら、相手はどう感じるかな?」

「あ……。ご、ごめんなさい。不躾でしたね」


 確かに、釣書書、姿絵でカイン様の姿を拝見していたとは言え、今日が初対面。そんな人間に、いくら婚約者になったからと言っていきなりズケズケと自分の領域に入り込まないで欲しいというのは、浮かれきっていた私にも、理解は出来ました。



「分かれば良い。別に僕は君の事を好きな訳でも婚約者になったからと言って慣れ合うつもりもない。だから、あまり多くを期待しないでくれよ?」


 チクリ。浮かれだった心に釘を刺す言葉は心に小さな傷を負わせた。





 あれから何度か互いの家を行き来していた頃、その日は生憎の雨で侯爵家自慢の庭園散策は出来そうに無かった。


「今日は、本を読んで過ごそうか?」

「侯爵家の蔵書ですね。きっと沢山あるんでしょうね!」


 侯爵家の書庫は、天井まである本棚にぎっしりと本が収まっていた。厚みのある表紙の辞典から、神話、逸話を綴った物。魔法、歴史、地理、薬学、それに物語も。

 エヴァーソン家では見たことのない異国の本もあって、中々に素敵な場所だと目を輝かせたのは内緒で。


 いけないいけない、今は本よりカイン様にアピールだ!!


 ロードスター侯爵家とエヴァーソン伯爵家との婚約には事情がある。

 お父様が手を出した魔鉱石の採掘事業か、現地作業監督者の資金の持ち逃げという一件のせいで頓挫仕掛けたのだ。そこに資金援助の名乗りを上げたのがロードスター侯爵家で、資金援助と共に事業にも参加、そして両家の協力関係をより強固にする為に私とカイン様の婚約が結ばれたのだ。


 だから、私達の間に恋愛感情は無い。なにせ、婚約が決定した顔合わせの場がまるっきりの初対面。


 それから月に2回は、互いの家を行き来したり手紙のやり取りは多少してはいる。けれど、それで仲良くなったかと言えばそんなことは無く、未だにカイン様の笑った顔は見られていない。


「この本!面白いですよ!!この内容は他には無いです!!」

 読んでいた本が余りにも面白くて、向かい合わせに座るカイン様に声を掛けたら眉を顰めて嫌そうな顔をされてしまった。


「読書中は、静かにしてくれないか?そちらは楽しくても、こちらは真面目に読んでいるんだ。思考の邪魔はされたくない」

 ピシャリと拒絶の態度を取られ、高揚していた気持ちは萎んだ風船の様にしおしおと萎んでいく。


「すみません……気を付けます」


 自分が楽しいから、つい聞いてもらいたかった。楽しい時間を、楽しいと思えることを少しでも共有したかった。ほんの些細な願いなのに、それすらも拒絶されるかのようで、浮かれた心は、見事に地面に叩き付けられたのだ。







 十四歳、デビュタントの年。

 初めてお城の夜会に招かれた。当然、婚約者であるカイン様がエスコートをしてくれる訳だけど、やっぱりここでも私の心はへし折られた。

 ふんわりと可愛らしくピンクのレースをあしらったドレス。赤い宝石の入ったイヤリング。そして大好きな薔薇の香水をふんだんに使った。


 会場である王宮の入口。そこで、カイン様とは待ち合わせていた。


「こんばんは……っ!!」

 遠目では、不機嫌では無かったカイン様。けれど側によった瞬間、思い切りその顔を歪め、心底嫌だと言う表情を浮かべた。


 えっ?なに?私、また何か失敗した!?


 その表情に不安を感じ、恐る恐るカイン様を見つめれば再び機嫌を悪くした声が返ってきた。


「その香りは何だ?付け過ぎなのか何なのか、気持ち悪い臭いだ。吐き気がする。今日だけは我慢してやるが、次もこれなら二度とエスコートはしないからそのつもりでいてくれ!!」


 気に入っていた匂い。確かに今日は付け過ぎだったのかもしれない。だけどそれは、カイン様にエスコートして貰えるから嬉しくてで、嫌われたくて付けたんじゃない。


「ご、ごめんなさい…。折角来ていただいたのに……」


 この日の夜会は散々だった。王家への挨拶と、ファーストダンスが済むと殿方同士の話の輪に行ってしまって、私は会場の片隅でただ時が過ぎるのを待つだけだったから。



「貴女がロードスター侯爵家嫡男カイン様の婚約者?貴女とカイン様って、実際仲はどうなのかしら?良いの?悪いの?」

 幾人かのご令嬢に囲まれて、根掘り葉掘りと聞かれたのもこの日で。目の前の女性は、ロアンナ・デスベル侯爵令嬢。

 ロードスター侯爵家とは同格。エヴァーソン伯爵家よりは格が上のご令嬢だ。


「婚約して四年だったかしら?初めての夜会だというのに、婚約者の色も付けていないのね。それとも、色をつけることを拒まれたのかしら?」

 格上、同格の令嬢の集まり。そこに目を付けられるというのは中々精神的にキツイ物がある。


 そこに来て、婚約者とは仲が良いかと問われれば答えは否。

 良くも悪くも、興味すら抱かれてはいない始末で、何かすれば咎められる。あるいは諫言される始末で優しげな言葉も甘い空気も未だになったことは無い。


「いえ、その様な事は……。そもそもそう言った話は、したことがありませんでしたから」




 初めての夜会に行く。デビュタントだと喜んではしゃげば、

「そんなに浮かれてどうする?平静ぐらい保てないのか?」

 と、呆れられ。


 ドレスは紫を入れたら良いかしら?と、訊ねれば、

「勝手に俺の色を入れるな」

 と、冷ややかな視線を送られる。


 仲が良いか悪いか。悲しいかな、間違いなく、悪い方に分類される自信はあった。




「それなら、早く婚約を辞退なさい。そうすればそのしみったれた顔をカイン様が見ることも無くなるんだから。貴女だって、その方が気が楽なんじゃ無くって?」

「カイン様には、もっと家格に釣り合うロアンナ様の様な華やかな令嬢がお似合いよ」

「ファーストダンスだけで、後は放置されているようじゃ、婚約者とは言えないわよなぇ?」


 傍から見ても、カイン様と私の間には信頼関係の信の字も、親密さも愛情も見えないらしい。

 私自身、そんな物を感じたことは無いのだから、きっとそうなのだろう。

 ズキリ、ズキリと、言葉のナイフに少しずつ心を切られる。そんな言葉を投げかけられた散々なデビュタントで終わった。

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