尊いモノたち

鳩藍@2023/12/28デビュー作発売

尊いモノたち


 

 あなたにとって尊いものとは何か、と問われれば。


 市役所職員の木村は『古美術品』と答える。

 絵画、茶器、刀剣、宝飾品……時代や洋の東西を問わず、永く愛されてきた品々は彼の心を震わせる。


 古美術に関わる仕事に就きたいと望んだ木村にとって、『黒山邸』は最高の勤務場所だった。


 黒山邸は、明治時代に建てられた洋館であり、市の重要文化財に指定されている。当時の黒山家当主の意向もあって、市では黒山邸の一部を一般に開放し、黒山家が代々収集してきた古美術品を展示している。


 入館料が安い事もあって、木村は学生の頃から時間があれば黒山邸に入り浸っていた。大学では歴史を専攻し、学芸員資格を取得。資格取得のために必要な博物館実習で選んだ実習先は、もちろん黒山邸である。


 そして公務員試験に合格し、本人の強い希望と学芸員資格を取得している事もあって、無事に『黒山邸』への勤務が決定。


 古美術に関わる仕事に就きたいと望んだ木村にとって、『黒山邸』は最高の勤務場所だった。


 その最大の理由は――



 ◆



「じゃあ木村君、宿直よろしくね。何かあったらすぐ連絡していいから」

「わかりました。お疲れ様です」


 午後六時。黒山邸の一般開放を終え、宿直番である木村以外の職員たちは一斉に帰宅する。


 警備を兼ねたこの宿直の時間が、木村にとって至福の時間であるのだ。


 スーツからジーンズとパーカーというラフな格好に着替えて、黒山邸の一室に設えられた、唯一の飲食可能スペースである事務所に備え付けのレンジでコンビニ弁当を暖める。


「いただきます」

「はい、召し上がれー」


 応接用のソファで弁当を食べようとした木村に、どこからともなく合いの手が入る。


 一般開放は終わっているし、職員は全員帰宅した。邸内には、木村以外は誰もいない。

 木村以外の、は。


「お疲れ木村くん。何食べてんの?」

「鯖の塩焼き弁当ッス、クロさん」


 ニカッ、と笑った木村の向かいのソファには、いつの間にか一人の男が座っていた。片眼鏡モノクルを掛けたクラシカルな装いの中年男性が、穏やかな笑みを浮かべながら木村の食事を見守っていた。


「鯖かあ、確か義彦よしひこの好物だったなあ。『こんびに』では本当に何でも買えるんだねえ」

「義彦……三代目のご当主様でしたっけ?」

「そうそう、よく覚えてるねえ」

「まあ毎日通って年表とか観てますし、クロさんの話聞いてると自然と覚えちゃうんですよ」


 弁当を食べ終えた木村は、食後のお茶でも入れようと戸棚を開けた。戸棚には来客用のお茶各種と、宿直をする職員たちのマイマグカップが置かれている。木村はインスタントのコーヒー粉を自分のマグカップに入れ、ポットのお湯を注いだ。


「またそのでお茶飲むの?」


 ソファに戻っていざ口にしようとした途端、木村の背後から刺々しい少女の声が飛ぶ。


「そんな黒一色のダサい寸胴女で飲むより、で飲むお茶の方が絶っ対に美味しいわよ!」

「君でお茶飲んだら俺クビになっちゃうよ、マイセンちゃん。ていうかこのマグ女の子なの?」

「知らないわよ、馬鹿!」


 気にせずコーヒーをすする木村の隣へ、可憐な少女が乱暴に腰掛けた。金糸の髪に群青の瞳、傷一つない白い肌。色とりどりの花の刺繍で彩られたドレスの腰回りには、瞳と同じ群青色のリボンが巻かれている。


「マイセンちゃん、木村くんが常設展示に顔出さないもんだから、拗ねてるんだよ」

「ちょっとやめてよクロさん! べ、別に寂しくなんかないわよ! ほぼ毎日来るんだし!」

「そうだったの? ごめんねマイセンちゃん。これ飲んだら見に行くよ」

「だ、だから違うって言ってるでしょ!? ま、まあ? どうしても私を見たいっていうなら仕方ないけどね!」


 頬を染めながら反論するマイセンを横目に、木村はさっさとコーヒーを飲み干した。シンクでマグカップを洗って棚に戻し、宣言通りにまずは常設展示に向かう。


 常設展示には市の歴史を解説したパネルと共に、黒山家の歴史、黒山邸の建築様式や改築歴についての解説展示がされている。そのパネル部屋の隣に、黒山邸で実際に使われていた家具や調度を用いて、黒山邸の応接間を再現したコーナーが併設されており、マイセンちゃんのは重厚なテーブルの横に置かれているガラス張りのキャビネットの中に、お行儀よく収まっていた。


「……やっぱりこういう、当時の雰囲気を再現する展示っていいですよねえ」

「雰囲気じゃなくて私を褒めなさいよ!」


 木村が誰に言うでもなく呟きに、マイセンがすぐに反応する。クロは穏やかな笑みを浮かべたまま彼女を嗜める。


「マイセン、集中させておあげ。木村くんは今、再来月の『特別展』の企画を考えてるんだよ」

「あらそうなの? 出世したじゃない!」


 黒山邸では毎月職員が交代で企画した『特別展』が行われる。常設展示とは違った角度から市の歴史を解説する特別展は、ルーチンワークをこなすばかりの市職員たちの個性や得意分野を如何なく発揮できる場であった。


「ねえねえ、どんなテーマにするの? 私は飾る?」

「テーマはねえ、『黒山家の暮らしに寄り添う美』ってのにしようと思うんだ。そして残念ながらマイセンちゃんは常設展示なので飾れない」

「何よもう!」

「マイセンちゃん人気者だからねえ。来館者アンケートでも三枚に一枚はマイセンちゃんの話題が出てくる」


 人気者、と褒められて怒るに怒れなくなったマイセンはムウと唇を尖らせるだけに留まる。


「具体的には、何を展示するんだい?」

「ここで実際に使われていた食器類や、一輪挿しとかの普段あんまりメインにならない小物類を展示したいと思ってるんですけど、先輩方から『地味』『華がない』と酷評を喰らって悩んでるんです」

「じゃあ私を飾りなさいよ、私を!」


 クロは木村の展示コンセプトを聞いて、フムと暫し考えてから言った。


「テーマが漠然とし過ぎているのと、目玉になる品の選定が課題かな。『美』というよりは、『暮らし』の方に焦点を当ててみたらどうだい?」

「暮らし……ですか」


 クロは難しい顔をした木村の頭をそっと撫でるように掌をかざす。彼もマイセンも、思念のカタマリでしかなく、実体がないので触れられないのだ。


「ここは、残されたを通して歴史を見る場所だ。歴史とは、人の営み。僕たちを通して、僕たちを使っていたもういない誰かの事を知って、想って貰う事が今の僕らの存在意義だ。

 人の関心を惹くのに、『美』という要素は確かに大切だ。でも木村くんは、『美』だけに惹かれてここに居る訳ではないだろう?」


 木村がここで働く理由。それは、古美術品たちと交流が出来るから。


 マイセンを始めとした品々は、黒山家の人々を始め様々な人の目に、手に、想いに触れて来た。その体験を、それに付随する彼ら自身の想いを、今こうして木村に語り掛けてくれる。


 でも彼らは、木村にしか見えないし聞こえない。


 ――ではこの場所に、黒山邸に訪れる来館者にどうやって伝えていくか。


「……うん、もうちょっと考えてみます」


 クロは、自分の想いを受け取る稀有な人の子を、眩しいものを見つめるような眼差しで見守っていた。



 ◆



 二か月後、収蔵品を『付喪神』として擬人化し、彼らの目線で黒山家の暮らしを語る特別展が話題を呼ぶ事となる。


 常設展のマイセン磁器を擬人化した『マイセンちゃん』、そして『黒山邸』そのものを擬人化した、片眼鏡モノクルを掛けたナイスミドル『クロさん』の二人が解説する展示はSNSを通じて全国的な話題を集めた。


 二人が市の公認キャラクターになるのは、もう少し先の話である。



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