四半世紀以上前から続く明晰夢のお茶会

第５会 あるところの珈琲店

　気持（きも）ちが沈（しず）んでいた。

　お気（き）に入（い）りの珈琲店（コーヒーてん）が閉店（へいてん）されていたのだ。

　色々（いろいろ）珈琲（コーヒー）を飲（の）んで来（き）たけど、一番（いちばん）美味（おい）しいと思（おも）える珈琲店（コーヒーてん）が閉店（へいてん）になってしまっていたのだ。

　あまり長（なが）い付（つ）き合（あ）いではなかったのだが……。

　割（わり）とショックだった。

　「こんばんは……。」

　「あら、元気（げんき）ないわね。」

　「お気（き）に入（い）りの珈琲店（コーヒーてん）が閉（し）まっちゃってね。」

　「あぁ、貴方（あなた）が気（き）に入（い）っていたあのお店（みせ）の？」

　「うん。」

　「それは残念（ざんねん）ね……。」

　「一応（いちおう）本店（ほんてん）に行（い）けばいいんだけど、ちょっと敷居（しきい）が高（たか）くて。」

　「貴方（あなた）、あまりそういう冒険（ぼうけん）はしないものね。」

　「そうなんだ。

　唯一（ゆいいつ）ブラックでも飲（の）める珈琲（コーヒー）だったのに。

　一番（いちばん）美味（おい）しいと思（おも）っていたものの先（さき）が途絶（とだ）えて、今（いま）まで一番（いちばん）と思（おも）っていたものに戻（もど）るのはなかなかにきつい。」

　「わかるわ。

　私（わたし）も中々（なかなか）手（て）に入（はい）らないお紅茶（こうちゃ）が飲（の）めた時（とき）は嬉（うれ）しいけれど、入手性（にゅうしゅせい）が悪（わる）いとつらいわよね……。」

　「久々（ひさびさ）に堪（こた）えたよ……。」

　「余程（よほど）美味（おい）しかったのね。

　ちょっと味覚（みかく）の記憶（きおく）を辿（たど）らせてもらってもいい？」

　「どうぞ？」

　「んー……、あら美味（おい）しい！

　紅茶派（こうちゃは）の私（わたし）でもこれは美味（おい）しいと思（おも）えるわ。

　こんなに美味（おい）しい珈琲（コーヒー）があるのね。

　澄（す）んだ味（あじ）がするわ。

　後味（あとあじ）も喉（のど）に引（ひ）っかからない。

　ガムシロップも要（い）らないくらいね。

　入（い）れたらなお美味（おい）しいんでしょうけど。

　……本店（ほんてん）に行（い）ったら？」

　「まぁ、味（あじ）と量（りょう）を考（かんが）えると値段（ねだん）は適正（てきせい）なんだけども。

　大分（だいぶ）遠（とお）いんだ……。

　日々（ひび）通（かよ）える距離（きょり）ではないかな。」

　「あぁ、一日（いちにち）の始（はじ）まりには些（いささ）か厳（きび）しいのね。」

　「うん。」

　「まぁ、元気（げんき）出（だ）しなさい。

　マリアージュフレールのポンムを出（だ）してあげるから。」

　「お、ありがとう。」

　紅茶（こうちゃ）とお茶菓子（ちゃがし）が出（だ）される。

　テーブルを囲（かこ）んで座（すわ）ると人数（にんずう）が少（すく）ないことに気付（きづ）いた。

　「ん？　陽菜（ひな）に双葉（ふたば）が居（い）ないな。」

　「最近（さいきん）何（なに）かやってるみたいだけど何（なに）かしらね。

　私（わたし）も詮索（せんさく）はしてないんだけど。」

　「ケンカとかしてない？」

　「仲（なか）はいいわよ？」

　「ならよかった。」

　お茶菓子（ちゃがし）を口（くち）に放（ほう）り込（こ）んで紅茶（こうちゃ）を口（くち）にする。

　「うん、紅茶（こうちゃ）はやっぱりこれだなあ。」

　「貴方（あなた）、あんまり好（す）き嫌（きら）いしないわよね。

　食（く）わず嫌（ぎら）いはするけど。」

　「食（た）べちゃったらそればっかり食（た）べるけど。」

　「それもよくない。」

　「たはは……。」

　「最近（さいきん）は何（なに）が好（す）きなの？」

　「切（き）り干（ぼ）し大根煮（だいこんに）。」

　「また随分（ずいぶん）と和風（わふう）なのが来（き）たわね……。」

　「体重（たいじゅう）が増（ふ）えてるんだよー、減（へ）らしたくて。」

　「昔（むかし）が瘦（や）せ過（す）ぎだったのよ。

　それに今（いま）は年齢的（ねんれいてき）に体重（たいじゅう）が増（ふ）えても仕方（しかた）がない。

　そういう時期（じき）だから。」

　「うー……。」

　「奥（おく）さん、そういうところで貴方（あなた）を物差（ものさ）しで測（はか）らないでしょう？」

　「まぁ、そうですね。」

　「逆（ぎゃく）に聞（き）けば、貴方（あなた）も奥（おく）さんの事（こと）を見（み）た目（め）で判断（はんだん）しないでしょう？」

　「それは勿論（もちろん）。」

　「そういうことよ。」

　「健康（けんこう）のためってのもあってね？

　身長（しんちょう）の割（わり）には多（おお）い……。」

　「最高時期（さいこうじき）に比（くら）べたら痩（や）せたんじゃない？」

　「まぁ、そうですね。」

　「夜（よる）ご飯（はん）食（た）べないようにしてるんだって？」

　「そうですね。」

　「倒（たお）れない？

　三食（さんしょく）食（た）べないとかちょっと私的（わたしてき）には驚（おどろ）きなんだけど。」

　「リーフェはまだ若（わか）いからね。

　代謝（たいしゃ）がいいんだよ。

　４０代（だい）間近（まぢか）になると必然（ひつぜん）……。」

　「仕方（しかた）ないんじゃない？

　その中（なか）で空腹（くうふく）をあえて選（えら）ぶ辺（あた）り、貴方（あなた）は精神力（せいしんりょく）が強（つよ）いというか何（なん）というか。」

　「体脂肪率（たいしぼうりつ）は減（へ）ったなぁ、確（たし）かに。」

　「いくつくらい減（へ）ったの？」

　「３６％が２８％になった。」

　「ちょっと……、そんなに急激（きゅうげき）に減（へ）らして大丈夫（だいじょうぶ）なの？」

　「食（た）べたいものは割（わり）とよく食（た）べてるよ。

　ただ食物繊維質（しょくもつせんいしつ）が多（おお）いものだったり、豆類（まめるい）だったり食（た）べるものを変（か）えたかな。

　まぁ、一食（いっしょく）外（はず）すようになったのは大（おお）きいかもしれないね。」

　「無理（むり）がないならいいんだけど。」

　「無理（むり）だったら続（つづ）いてないだろうね。

　食（しょく）に関（かん）しては珈琲（コーヒー）の件（けん）もそうだけど、意志（いし）が弱（よわ）いから。

　日々（ひび）体重計（たいじゅうけい）に乗（の）るのが結構（けっこう）楽（たの）しみだったりします。」

　「結果（けっか）が出（で）れば面白（おもしろ）いでしょうね。

　でも、痩（や）せた後（あと）どうするの？」

　「着（き）たい服（ふく）があるんだ。

　特殊（とくしゅ）な染色（せんしょく）を施（ほどこ）したジーンズでね。

　痩（や）せてた時（とき）でも穿（は）くのがギリギリだったんだ。

　それをもう一回（いっかい）穿（は）きたい。」

　「どんなジーンズなの？」

　「アウトレットショップでも売（う）ってなかったなぁ、何（なん）だっけ。

　エドウィンの５０２ユーロとかって名前（なまえ）だった記憶（きおく）がある。

　色（いろ）は青（あお）が深（ふか）くて凄（すご）く綺麗（きれい）だよ。」

　「着（き）られるようになったら見（み）せてもらおうかしら。」

　「それはもう是非（ぜひ）。

　もうちょっと頑張（がんば）って痩（や）せないとなー。」

　「ちなみに目標（もくひょう）体重（たいじゅう）はいくつなの？」

　「５０キロ台（だい）。」

　「今（いま）、いくつか聞（き）いてもいい？」

　「７６キロ……。」

　「ちょっと……。」

　「最高（さいこう）が８４キロだったんで結構（けっこう）これでも減（へ）らしたんですけどね。

　今年（ことし）豪雪（ごうせつ）で運動（うんどう）がなかなかできなくて。

　いや、無理（むり）にでもしようとしたら滑（すべ）って転（ころ）んで膝（ひざ）と肘（ひじ）を強打（きょうだ）。

　思（おも）いっきり擦（す）りむいて打（う）ち身（み）して治（なお）るまでに時間（じかん）かかって酷（ひど）い目（め）にあった。」

　「何（なに）やってるのよ……。」

　「痩（や）せたいんだよぅ！」

　「いーい？

　痩（や）せるのは急激（きゅうげき）に出来（でき）るもんじゃないのよ。

　体重（たいじゅう）が増（ふ）えたってことはそれなりの理由（りゆう）が体（からだ）にはある筈（はず）。

　無理（むり）に痩（や）せたら危（あぶ）ないわよ？

　ちょっと体重（たいじゅう）が多（おお）いくらいが長生（ながい）きの秘訣（ひけつ）なんだから。」

　「まぁ、そうだけどさー……。」

　「気持（きも）ちはわからなくもないけど、そんなに目立（めだ）つ見（み）た目（め）でもないでしょうに。

　そんなにジーンズを穿（は）きたいの？」

　「割（わり）と。

　他（ほか）のジーンズは手放（てばな）せてもあれだけは手放（てばな）せなかった。」

　「変（へん）なところに頑固（がんこ）ね……。」

　「まぁ、ぼちぼち頑張（がんば）ります。」

　「そうなさいな。

　……あ、こういう事（こと）なら出来（でき）るか。」

　「……ん？」

　リーフェの指先（ゆびさき）が輝（かがや）くとその光（ひかり）がゆらゆらとこっちにやってくる。

　身体（からだ）に当（あ）たるとその光（ひかり）は沈（しず）むように溶（と）け込（こ）んでいく。

　するとどうした事（こと）か。

　身体（からだ）が痩（や）せていくではないか。

　「お、おぉ……。」

　「あ、やっぱやめ。」

　「えっ？」

　光（ひかり）がすっと抜（ぬ）け出（で）てくると体型（たいけい）が元（もと）に戻（もど）ってしまった。

　「ちょっと！？」

　「貴方（あなた）、痩（や）せない方（ほう）がいいわ。

　痩（や）せた姿（すがた）見（み）てみたけど、結構（けっこう）危（あぶ）ない。」

　「どう危（あぶ）ないの。」

　「何（なに）かしらね、痩（や）せすぎで危険（きけん）な体型（たいけい）してる。

　ちょっと体重（たいじゅう）が多（おお）い方（ほう）が素敵（すてき）よ。」

　「そうかなぁ。」

　「それこそ珈琲（コーヒー）でも飲（の）んでゆっくり考（かんが）えなさいな。

　どちらにせよ痩（や）せるのにはもっと時間（じかん）が必要（ひつよう）だと思（おも）うから。」

　「そうだね。」

　サァ……と光（ひかり）が差（さ）し込（こ）んでくる。

　「そろそろ朝（あさ）かぁ。」

　「一食（いっしょく）外（はず）してもいいけど無理（むり）はしない事（こと）、いいわね？」

　「はーい。」

　目（め）が覚（さ）めると空腹感（くうふくかん）に見舞（みま）われていた。

　朝（あさ）ごはんの準備（じゅんび）しなきゃ。

　こうして今日（きょう）も一日（いちにち）が始（はじ）まるのであった。