スターゲイザー

楸 茉夕

 

 ようやく視界が回復してみれば、強化アクリル板越しに見えたのは、厳しい顔のドクターだった。

『やあ』

 声に出したつもりだったのだが、培養液の中だったので音にはならなかった。白衣姿のドクターは、ため息をつきながら傍らのコンソールパネルを操作する。

「どうぞ。音声を繋いだわ」

『やあ。どうしたんだ、ここは機械用のラボだろう』

 今度はちゃんと音になったようで、聞こえたらしいドクターは再びため息をついた。

「気分はどう?」

『悪くない。動けないがね』

「当たり前でしょう」

 呆れたように言い、ドクターはかぶりを振った。

「無茶はしないでと何回言わせるのかしら。命は無限ではないのよ」

『私を命にカウントするのはドクターくらいだ』

 彼は特に他意なく言ったのだが、ドクターは悲しげな顔になった。彼女の悲しい顔は見たくないので、彼は話を変えることにした。

『皆は無事だったか?』

「ええ。……第42小隊で大破はあなただけよ、ネイル」

 彼のことをネイルと呼ぶのはドクターと、第42小隊の隊員だけだ。由来は彼のアーキタイプが白兵戦用、爪型タイプ・ネイルのヒューマノイドだからという単純なものだが、ネイルは気に入っている。

『それは重畳』

「何が重畳なものですか。どうして無茶をするの」

『無茶だとは思っていないよ。人間が手足を欠損すると再生に一月はかかるだろう。私ならパーツの換装で済む』

「そういうことを言っているのではないの」

『もうパーツの予備がないのか? それは困ったな』

 ネイルは二世代も前のモデルであるが故に、今はもう作られていない。同型は大体壊れて殆ど残っていないらしいので、壊れるたびにパーツの調達に苦労するとメカニックがぼやいていた。

「違うの。聞いて、ネイル」

『なんだろうか』

「あなた、エメラインを庇ったらしいわね」

『いかにも』

 敵の攻撃がエメライン機に直撃しそうなので、射線上に割って入った。大破の原因はそれだ。エメラインに大過なければ、目的は達成された。

「エメライン、泣いてたわよ」

 ドクターの言葉を聞いて、ネイルは視覚センサーを点滅させた。まぶたがあったら瞬きをしているところだ。焼けてしまったのか、今はない。

『何故だ。何か悲しいことがあったのか。それとも怪我をしたのか』

 ドクターはますます悲しそうな顔になる。

「エメラインに怪我はなかったわ。あなたのおかげ。悲しいのは、自分を庇ったせいで、あなたが壊れてしまったから。どうしようどうしようって、とても取り乱して」

『何故だ。私はメモリが無事なら消えることはないのに。エメラインも知っているはずだ』

 逆に言えば、どこも壊れていなくとも、メモリを消されれば消えてしまう。ネイル自身は、それでいいと思っている。人間に似せて作ってあるだけで、所詮は機械―――道具だ。生き物が死ぬのとはわけが違う。

「あのね、ネイル。自己犠牲の精神って、とても尊いものよ」

『うん?』

 唐突に話題が飛んだ気がして、ネイルは再び視覚センサーを点滅させる。ドクターには、しばしばそういうところがある。彼女の個性かもしれないが、話が飛躍するのだ。頭がいい人間の考えることはよくわからない。

「でもね、他人を守ろうと思うなら、自分も無事じゃなきゃ駄目なの。絶対に」

『私は無事だ。メモリのある頭部は最優先で守るようプログラムされている。だからこうして話ができている』

「違うのよ、ネイル」

『違うのか。すまないが、私がまだラーニングしていない事象のようだ。後ほど教育プログラムを頼む』

 ドクターは悲しげに目を伏せ、束の間沈黙した。しかし、ネイルがどうしたのか問う前に口を開く。

「第42小隊のみんなは、あなたを機械だと思っていない」

『私は機械だ。事実は正確に伝えるべきだ』

「勿論、機械だと知ってはいるわ。でも、ただの機械だとは思っていないのよ」

『機械にも特別もあるだろうか。ならば何だと思っているのだ』

「仲間だと」

『仲間』

 繰り返してネイルは喋るのをやめた。ドクターの言っている意味がわからない。これも教育プログラムに加えて貰おうと思う。

「あなたは第42小隊の隊員なの。それを忘れないで」

『忘れることなどない。私は第42小隊に配備された備品だ』

「ネイル……」

 呟いて、ドクターは無理矢理のような笑みを浮かべる。

「わたしはね、AIにも魂は宿ると思っているの」

 また話が飛んだ。しかし、指摘しても無駄だと言うことは過去の経験でわかっているので、ネイルは話を合わせる。

『不確定要素だ。魂という存在はいまだ証明されていない』

「証明されていないから、ないことにはならないわ。心は証明できないけれど、存在するでしょう」

『つまり、ドクターは何が言いたいのだ?』

「あなたも、第42小隊のみんなと同じ、尊い存在だということよ」

 ドクターの言うことはやはりわからなかった。この世界にはまだまだ知らないことばかりだと、ネイルは考える。

『私はどれくらいで直るだろうか』

「パーツがそろい次第ね。珍しいわね、直るまでの時間を気にするなんて」

『時間があるなら、教育プログラムを流して貰おうと思って』

「後でね。その前に、みんなに無事……ではないけれど、姿を見せてあげて。本当に心配していたのよ」

 呼んでくると言い置いて、ドクターは視界から姿を消した。残されたネイルは考える。

(魂。仲間。ドクターの言うことはいつも謎だ)

 ラーニングすればきっとその謎も解けるはずだ。次の戦闘に備えて、情報は常に最新のものにしておかねばならない。第42小隊の隊員は自分が守るのだ。そのためにもメモリは温存しなければと、ネイルはスリープモードに移行した。


 彼が、己に芽生えた感情の名前を知るのは、まだ先の話。



 了

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